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心の鎖  作者: momo
七章 眠れる冬
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目覚め




 フィルネスに急かされたアスギルだったがやはり迷いが強いのか、寝台に浅く腰を下ろしイオの頬に指を滑らせた状態のまま動かなくなってしまった。


 心優しい闇の魔法使い。きっと彼は人の痛みに敏感過ぎてその先を考えてしまうのだろう。闇の魔法使いの過去は伝え聞く残虐性だけで目の前のアスギルとは正反対のもの。アルフェオンの知るアスギルは信頼できる優しい魔法使いだが、アスギルの過去は踏み出すのを躊躇する程に彼にとっても過酷な物なのかもしれない。 

 イオを助けて欲しい気持は急くが、どんなに急いてもアルフェオンは彼の背を無理やり押す様なことが出来なかった。



 暫くして後、微動だにしなかったアスギルが動いた。顔を上げアルフェオンに視線を移して来たのだ。何やら問うような眼差しに声を待ったが、アスギルはアルフェオンをじっと見つめていただけで口を開くことなく再度イオへと赤い瞳を落とす。


 どの位の時間が過ぎたのか。イグジュアートが帰宅した気配があり、それがこの部屋へと一直線に目指して向かって来る。扉を叩くと返事を待たずに押し開き、中の様子に驚き固まった。


 アルフェオンが唇の前で指を立て静かにと意思表示すると、状況を理解したのかイグジュアートは頷いて静かに扉を閉める。フィルネスはちらりとイグジュアートを見やったが、アスギルは意にも介さずひたすらイオを見つめ続けていた。それは帳が下りても変わない。その間アスギルがイオを呼び戻すための魔法を使っていたのだと気付いたのはずっと後になって。アスギルが息を吐き出し労う様にイオの頭を撫でつけてからだった。


 「よく頑張りました。」


 囁かれた言葉は労い。硬く瞼を落としたままのイオにアスギルが、今にも泣いてしまいそうな悲しい視線を向けながら零した言葉で、いつの間にか全てが終わっていたのだと気付かされる。


 アスギルの言葉が幕引きであったのか、見届けたフィルネスは無言で闇に溶け込むように姿を消した。それに次いでアスギルが、アルフェオンとイグジュアートに深々と頭を下げながら闇に解けて行く。


 「彼女を頼みます―――」


 床に落ちた滴が痛々しく、アルフェオンは返事をするのも忘れてしまっていた。






 *****


 瞼が重い。


 起きなきゃいけないけれど、もやもやとした夢に引き込まれ続け、どうしても瞼を開ける事が出来ない。真っ白で何も見えない世界は肌寒く、何故か解らないが恐怖を感じる。だから本当は目覚めたいのだ。なのに目覚めない。自分が眠っているのだと夢の中で自覚したのは初めてだが、夢からの覚め方が解らなかった。


 いつまでこの時間が続くのか。肌寒いのは外気のせいではなく身の内側から沸き起こってきているようだ。目覚めより温もりを求めれば温かそうな光が遥か先で来訪を待ちわびるかに両手を広げていた。

 

 あちらに行くべきだと光に向かって泳ぐように移動する。温かい、あそこに行けば楽になれるんだと必死でもがきながら光に向かい、あと少しという所で強く誰かに腕を引かれた。


 『誰?』


 振り返ると赤い瞳の少年がイオの腕を掴んで見上げていた。

 十歳…もう少し小さいかもしれない。無表情で見上げる赤い瞳が印象的で見とれていると、少年が首を傾げて掴んでいた腕を離す。


 「アスギル、なにしているの?」

 「何も。」


 少年と同じ年頃の可愛らしい女の子が少年に笑顔を向ける。淡い金髪に海を感じさせる青い瞳の綺麗な女の子。女の子が少年の両手を取り彼の周りをくるくる踊る様に回ると、勢いでイオにぶつかりそうになるが少女の体はイオを通り抜けた。


 『わたし透けてる?』


 寒さに震え光を目指した体はいつの間にか地面に足を下ろしていたが、少年と少女の様にしっかりとした色を纏ってはいない。自分で自分を見下ろすと薄っすらと地面が体を通して透けて見えた。


 驚いているイオを少女にくるくる回されていた少年が仰ぎ見る。すると少女が動きを止めて少年の視線を追った。


 「なにかいるの?」

 

 どうやら少女には少年に見えるものが見えていないようだ。少女にうんと頷いた少年は赤い瞳をイオから離さない。


 『わたし、死んじゃったの?』


 体が透けている異常な状態に慌てない自分にも驚きだが、もしかして死んだのだろうか。ここに来る以前に何をしていたのか全く思い出せないあたりそうなのかもしれない。


 自分が死んだとなるともっと慌てるものかと思ったが意外にも冷静なんだなと感じながら、自分を見上げる少年に問うと、少年はゆっくりと首を振った。


 「道に迷ってるんだ。現実が悲観したくなるほど厳しくても、待っている人がいてあなたが帰りたいと望むなら光にのまれないで。」


 少年は少女から手を離すと両手を突き出しイオに触れた。透き通った体は少女が通過したのに少年の掌はちゃんと腹部に添えられ感触もある。


 「アスギルなぁに? おばけ?」


 少女があどけなく首を傾げて質問する。ああなんて可愛らしい女の子なんだろうとイオの表情までもほころんだ。


 「まだおばけじゃないよ。」


 まだ( ・ ・)

 

 少年がイオの腹部を押すと想像以上の強い力で体が吹き飛ぶ。人の力なんてものじゃない、魔法だと悟った瞬間暴風が吹き荒れたまらずイオは目を閉じた。




 *****


 アスギルとフィルネス、二人が姿を消してから一晩が明けようとしているがイオの様子に変化はない。うつらうつらとしながらもほとんど寝ずに見守っていたアルフェオンの隣では、同じくイオの目覚めを待っていたイグジュアートが寝台に頭を伏せ静かな寝息を立てていた。


 硬く閉じられた瞼を縁取る銀色の睫毛を指先でなぞる。いつになったら目覚めてくれるのか、二人が何の説明もなく消えてしまったのでイオの状態はわからないままだ。けれどアスギルは失敗せずイオを確実に目覚めさせてくれるのだと信じていた。伝説に残る闇の魔法使い。その力が人知を超える物だというのはアルフェオンも体験済み。けして違えることはないとわかっていたが、それでも開かない瞼に不安を覚える。


 「イオ―――」


 剣を持つせいで硬くなった掌で柔かなイオの頬に優しく触れる。すると呼びかけに応える様にイオの唇が小さく動いた。


 「―――なぁに?」


 瞼は開かない。けれど微かだが確かに聞こえた声にアルフェオンは驚き体を震わす。


 「イオ―――気がついた?」

 「うん。でもすごく眠いの。目があかなくて―――もう少し眠っても良い?」


 瞼を落としたままのイオが僅かに身動ぎ、掛布の中から温かい手を出してアルフェオンの手に重ねた。


 「もう少ししたらちゃんと起きて仕事するから。」

 「ああ、いいよ。君は何も気にしないで好きなだけ眠るといい。」

 「ごめんアル―――ありがと。」


 安心したかに小さく微笑みを作ると再び寝息が洩れ出す。それを見守ったアルフェオンの瞳から大粒の涙が零れ落ち、眠るイオの肩口に顔を埋め嗚咽を漏らした。


 戻って来た、戻ってきてくれた。


 アスギルを信じていたが、本当に戻ってきてくれたと実感すると安堵の涙と震えが止まらない。

 イオが意識を失ってからの自分はそれなりに冷静だったと思っていた。けれどイオの声を聞いて溢れて来るこれはいったいなんなのか。心は確実にイオへと動いていたが、家族とか恋とか望郷への想いという念と喪失感が交じり合ったもので、何が何でもイオを求めて止まないという感情ではないと思い込んでいた。


 けれどこれは違う。安堵と共に失う恐怖に脅えていた感情が一斉にアルフェオンの肉体を支配し、涙とともに止め処なく溢れ出てしまうのだ。守れずに死なせてしまう恐怖よりもただ失う恐怖が圧倒的に勝り、安堵と共に押し寄せる。生きる目的やここに留まる理由ではなく、純粋にイオを失うのだけが怖かったのだと思い知らされた。


 嗚咽を漏らすアルフェオンの隣では、イグジュアートが身動きすることなく同じように安堵の涙を零していた。

 イグジュアートも起き上がり、イオに抱きつき無事を喜びたい思いはかなり強い。けれどようやく素直になったらしいアルフェオンの様子に遠慮して、邪魔をしないよう寝たふりを貫く。

 

 本当ならアルフェオンにも渡したくない程にイグジュアートはイオに執着していた。

 初めて触れた女性の温もりに、母と姉と、そして同時に一人の女性として愛しいとの感情を抱いている。けれど前の二つは受け入れてもらえるとして、最後の一つは許してもらえないだろう。許してもらえても自分自身が許せない。


 無理をすれば受け入れてもらえる、失う羽目にはならないとの確信はあるが、イグジュアートにとってはイオの幸せの方が優先された。それにフィルネスによればイグジュアートとイオは従姉弟どうしということになるのだ。将来イオとアルフェオンが家庭を築いたとしてもイグジュアートとの関係は血と血で繋がれ消えることはない。その安心感があるからこそ若さで突っ走らず思い止まれているのだ。


 アルフェオンもイオも、イグジュアートにとっては特別過ぎる存在。信頼できる大切な家族は世界に二人だけだ。

 もともとが殺される運命だった。父親であるカーリィーン国王に男子が誕生したせいでそれが何時実行にうつされるという時になり、初めて差し伸べられた見知らぬ騎士の手。

 革の手袋に包まれたアルフェオンの手が戸惑うイグジュアートを力ずくで攫い、状況が飲み込めないまま追っ手から逃げた。


 事情を察してからはアルフェオンの行動をセレステアを想うが故のものだと自分に言い聞かせ、自分を守ってくれる背中を拒絶した。信用して裏切られるのが怖かったのもある。

 最終的にどうしようもなくなった時の為の選択肢として生かされていただけのイグジュアート。いらないと判断が下された命の為に命を賭け、全てを投げ出させるなんてできないと拒絶したが、それでもアルフェオンはイグジュアートに食らいつき守り抜いてくれた。そんなアルフェオンにだからイオを任せられる。そんなアルフェオンだからイオに相応しいと思えるのだ。


 いつも大人で冷静なアルフェオンの様子に、自分との差を見せつけられ嫉妬する事もあった。逆にイグジュアートばかりを気にしていて、どうしてもっと自分を貫かないのかと心配もしていた。アルフェオンにとっての一番があくまでもイグジュアートならイオを渡せないと本気で思ったりもしたが、イオが異性として望むのはアルフェオンで。だから仕方がないという諦めがあったが、こうして安堵し涙を流す様子を目の当たりにして初めてアルフェオンの弱さに触れ、出来た大人だとしてもやはり同じ人間なのだと実感しつつほっとした。イオを失えば今のアルフェオンも失われてしまうだろう。


 だから今は泣かせてやる為に顔をあげずに寝たふりを貫く。

 一番は一人だけじゃない、アルフェオンにとっての大切なものもイグジュアートと同じ『ふたつ』なのだ。そしてイオもそう、三人が誰一人欠けたくないと願う。失う恐怖がどれ程のものか、ようやく誰もが心の底から実感したのだ。



 



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