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心の鎖  作者: momo
七章 眠れる冬
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記憶の欠片




 復帰一日目は何事もなく過ぎた。調子がすこぶる良いイオを前にイグジュアートもとても機嫌が良く、久し振りになるイオの手料理を前に一家団欒の夕食がとても幸せだと、アルフェオンは感慨深く心を穏やかにする。


 不安と緊張で胸を絞め付けられた日々から解放され、アルフェオンとイグジュアートはほっと胸を撫で下ろしていた。それでもふいに不安に襲われ、深夜に目覚めたアルフェオンがイオの様子を窺いに彼女の部屋を訪れると、イオの部屋の扉を僅かに開けて中の様子を窺うイグジュアートに遭遇する。互いに気付いた二人は気まずそうに、けれど幸せを噛みしめながら苦笑いを漏らした。


 「淑女の部屋は覗いちゃいけないんだよな?」

 「私も人の事は言えない。」


 イオの無事を確認して安堵を得、二人は寝室に引き返す。イオはそんなやり取りに気付きもせず、一人幸せそうに寝息をたてて眠りについていた。



 翌日イオはレオンに図書室へと誘われた。これからイグジュアートのマントを縫わなくてはならないしあまり勉強の時間は取れないが、それでも誘われれば貴重な医学書を借りる為レオンの隣に並ぶ。

 前日もレオンに呼び出しを受けたが無事を確認され安堵の息を漏らさせて終わりになった。騎士団長としての役職にあるレオンはとても忙しく、個人的に裂ける時間があまりにも少ないのだ。けれど昨日取れなかった時間をレオンは昨夜の残業で無理矢理作りだした。今夜の残業もエディウにしっかり約束しているので邪魔される心配はない。意識のないイオを何度か見舞いはしたが、こうして無事に歩いている姿を眺めていると本当にアスギルの力には感嘆し、そして深く感謝していた。


 たとえアスギルが闇の魔法使いであり、今も封印の今後やいずれ諸外国に露見する事態にどのような説明をするべきかと頭を悩ませていても、騎士団長ではなくレオン個人としてはアスギルに対して恐れではなく感謝の気持ちしかない。禍々しいと感じた過去も大切な人の命を救われる経験を繰り返すと失われる。王家に生まれ騎士団長という地位にある自分がそれでいいのかと問われれば良くないが、レオンの中にある闇の魔法使いアスギルの人物像はとても良い物へと変化していた。


 図書室に案内されたイオは目的の場所へレオンの後ろについて向かって歩く。黴とインクの匂いに馴染んだ部屋は静かでどちらかといえば好きだった。

 レオンについて歩きながらふいに目にした書物を前に立ち止まる。レオンは突然止まったイオを振り返った。


 「どうした?」


 イオの視線を追ってレオンが一冊の本を手に取ると、イオもそれを目で追う。


 「ニルナ語で書かれた物語だな。これを読める人間も今ではかなり少なくなっている。」

 

 はらりと頁を捲るレオンの隣でイオは目を丸くしながら本を覗き込んだ。おかしい、どうしてと指を顎に添える。


 「レオン様。どういう訳か解りませんが、わたしにもこの本が読めるみたいです。」

 「―――ニルナ語は読めなかった筈では?」


 医学書にも出て来た文字。レオンがイオの色香に負け失態を犯したあの夜、イオが解らない文字だと抜き出した紙にもニルナ語が幾つか綴られていた。


 「公用語以外は解りません。でも―――どうしてかしら。ちゃんと読めて意味が解ります。」


 どうしてと首を捻るイオにレオンも同様に首を捻った。どうやら秘かに勉強して覚えたという訳ではないらしい。モーリスが教えたとしてもこれ程早くニルナ語を習得できる筈もないがと怪訝に感じるレオンから、イオは本を取り上げると元あった場所に戻した。


 「世の中は不思議で溢れていますね。」


 変だなと思いながらイオはレオンに気にするのはやめようと笑いかける。異国語に溢れた書物の表紙がどれもこれもちゃんと理解できてしまう自分が理解できなくて考えるのをやめたのだ。


 けれどレオンは首を捻りながら答えを見つけようとする。


 「アスギルが何かしたのか?」


 イオの意識を戻したのがアスギルだと言うのはアルフェオンからきちんと報告を受けていた。それに纏わる弊害が起こるかもしれないという事も。何が起こるのか知れない、けれどそれが知識として現れるなら怪我の功名ではないだろうかと思えるのだが、イオは詳しく解らないようで首を傾ける。


 「魔法で頭が良くなるなんて知りませんでした。」


 アスギルのお陰、なのだろうか。

 それで異国の文字や、ずっと昔に失われた文字で綴られた物語が読める様になるなら有り難い。けれどなんとなく腑に落ちないのは何故だろう。イオは頭の中にもやもやとした物を抱えたまま、レオンから新しい医学書を渡され屋敷に戻って開いてみる。すると難しい言葉や難解な専門用語で綴られた内容がきちんと理解でき、読み進めるうちにどういう訳か記載されている内容が既に知っている事だと気付いて、イオは驚きと恐れで小さく悲鳴を上げ飛び上がってしまった。


 どうして……どうして知っているんだろう?!

 

 アスギルのお陰で医学が理解できるようになったのか。けれどどうして? アスギルは他人に無理矢理知識を押しこむ様な真似が出来るのか。けれどあのアスギルはイオの了承なしにそんな事をする様な人じゃない。それならどうして知らない学問を、言葉を自分は理解できてしまうのだろう。

 知ってて困るどころか役に立つものばかりだ。けれどじわじわと内側から押し寄せて来るこの不安はいったい何なのか。


 イオは放り出してしまった医学書を閉じて机に置いた。


 頭の中に見知らぬ誰かがいる様で怖い―――寒気を感じて身を縮め、日が沈んだ窓の外へと視線を走らせる。


 「二人とも早く帰って来ないかな……」


 これ程一人が不安だったのは初めてだ。アルフェオンとイグジュアートが恋しくて、イオはひたすら窓に張り付き二人の影を待ち続けた。




 *****


 レオンから話を聞いたアルフェオンは帰りを急いだ。知らなかった文字が読める―――それは明らかにアスギルの記憶だ。レオンによれば特におかしな感じはしなかったというが、アルフェオンはイオが心配で仕事を終えると屋敷へと急いだ。そして到着するとイオが寒空の下、扉の前で凍える様にして蹲っているのがアルフェオンの目に飛び込んで来る。


 「イオ、こんな所にどうして―――」

 「アルっ!」


 外套も纏わず暗くなった玄関扉の前に蹲っていたイオは、アルフェオンが駆け寄ると泣きそうな声で名を呼び飛びついて来た。


 「どうした、何があった?」


 受け止めたアルフェオンは冷え切ったイオを抱き抱えて扉を潜った。イオは左右に首を振り、暖炉の火で暖められた居間に入って腰を落ち着けさせられるが、けしてアルフェオンから離れようとしない。どうしたと再び問えば僅かに身を離して再度しがみ付く。


 「怖い。」

 「大丈夫、側にいるから。」


 しがみ付き震える背を撫でてやると更に額を胸に摺り寄せられた。


 「怖い、怖いのアル。何が怖いのか解らないけど怖いの。」

 「大丈夫だイオ、それはアスギルの記憶だから。」

 「アスギル?」


 そうだよと頷いてアルフェオンはぐっとイオを抱き締めた。


 「イオの意識を戻した時にアスギルの記憶がイオの中に流れ込んだんだ。アスギルが持つ記憶のどの程度がイオに流れたのか解らないが、知らない文字を理解出来たのはアスギルが記憶している知識の一つだろう。」


 イオが少し考えてこくりと頷き、「でも」と小さく呟いた。


 「文字が読めるのは良いの、頭が良くなってお得だって思えたから。でもどうしてか……医学書を読み進めるうちにあれもこれも理解できて、それだけじゃなくそれ以上のものが頭の中に浮かんでくるの。そうしたらどうやってそれを学んだのかという記憶が蘇って―――血の、臭いが、むせる様な臭いまでが蘇って―――」


 記憶の糸を辿る様にぽつぽつと話し始めたイオにアルフェオンは首を振った。


 「思い出さなくていい、それ以上は考えるな。」

 

 失った記憶が一つの出来事を切っ掛けとして溢れ出すというのはよく聞く話だ。イオの場合もそうなのかもしれない。植えつけられた記憶の欠片を垣間見て少しずつ零れ落ちてくる。

 考えるなと意識を逸らさせようとするが、アルフェオンの胸から顔を上げたイオの淡い紫の瞳は何処か焦点が合わない危うさに染まっていた。


 「こっちを見るんだイオ、聞こえるか?」


 腕を掴んで覗き込むと顔を反らされ、イオは何かを捜す様にきょろきょろとあたりを見回した。

 

 「アスギルの記憶? これがアスギルの……なんで、どうしてわたし人の殺し方なんて知ってるの?!」


 驚き息を呑んだアルフェオンをイオは突き飛ばし悲鳴を上げる。両手で側頭部を押さえいやいやと首を振ってその場にしゃがみ込んだ。


 「違う、君の記憶じゃない!」

 「いやぁっ!!」


 人の殺し方。

 勿論アルフェオンも人の殺し方は幾つか心得ている。そのどれもがけして気持ちの良い物ではなく、命を殺める感覚などは若い娘に語れるものでもなかった。

 そのどれをイオは垣間見たのか。アルフェオンの知らない人の殺め方を見たのかその全てか。けれど何故、突然そんな記憶をと驚きながら慄くイオを落ち着かせようと、アルフェオンは驚愕に震えるイオの視界に入り込もうとする。


 「いやっ、いやっ、いやぁぁぁぁっ――――!」

 「イオっ!」


 両手を凝視し悲鳴を上げたイオは体を震わせながら気を失った。崩れ落ちる体をアルフェオンが受け止め抱き締める。


 恐怖に耐えられずに失神した姿は悲痛だった。真っ青になり閉じた瞼からは涙が零れ落ちている。イオを助けて貰う時点で覚悟はしていたが、失神させるほどの恐怖を与えていると思うとアスギルが心を痛め迷っていたのにも頷けた。


 これを乗り越えさせるのかと眉間に皺を寄せ、これだけでは終わらないのだろうとの不安が押し寄せる。アルフェオンが知る限りの闇の魔法使いに纏わる残虐性、それを予めイオに教え込んでおいたほうが心の準備が出来たのだろうか。けれど今のアスギルからは到底想像できない伝承を語るのも如何なものかと迷われたのだ。


 闇の魔法使いとして生きたアスギルの記憶はどれ程イオに齎されるのだろう。彼は若い娘が悲鳴を上げ、気を失ってしまう様な辛い記憶しかもたないのか。穏やかに過ごした日は、心休まる時は彼に訪れることはなかったのだろうか。


 心を病む程の記憶―――いったいそれがどのような記憶なのかアルフェオンには想像もつかない。どうにかしてイオが受ける辛い記憶を自分が受け持つ事は出来ないのだろうかと考えながら、アルフェオンは意識を失いぐったりとしたイオの体を抱き上げ寝室へと運んだ。

 

 





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