賢者の思惑
ファウルの事件の後、誰もが気を抜けない日々を過ごしたが、心配された様な事件は何一つ起こる事なく、気がつけばイオがイクサーンに来て一年が過ぎ夏の盛りを迎えていた。
そんな日常にも少しばかりの変化が訪れる。イオが勤める騎士団宿舎に二人の新人が入り、忙しさに目が狂いそうになる状況がなくなった。それとほぼ同時期にファウルよりお茶の招待を受け、レオンが横槍を入れて回避してくれようとしたが無駄に終わり、三人で優雅に、イオにとっては胃が痛い貴重な経験をさせてもらえたのだ。
時折変化を経験しながら、労働で疲れた体を寝台に横たえる。窓を開けての就寝は少しばかり危険だったが二階という事もあり、安眠の為に涼しい風を取り込みたくて日課となっていた。
程良い疲労が睡眠へと導く。眠りに落ちた瞬間、入り込む月明かりの中に解け出した黒い影がイオを見下ろした。
僅かな月明かりが一斉に銀色の瞳に集い輝を放つ。長い黒髪が簾の様に降り立ちイオを取り囲み、恐怖すら抱かせる美貌の顔が迫るが、閉ざされた淡い紫の瞳は瞼に覆われ侵入者に気付く事はなかった。
イオの白い額に象牙色の額が重ねられる。暫くその状態が続いたがやがて影は身を起こし、何事もなかったかに忽然と姿を消すと新たな人物のもとへとむかったのだ。
翌朝。
東の空が白み始めた頃、いつもの様にイオの意識は浮上する。今日も一日が始まる、二人が起き出してくる前に冷たい水で寝汗を流してしまおうと、大きく伸びをしようとして何かに動きを阻害された。
自分以外の何かがあると気付いた時には金色の頭が見えた。
「え?」
なに、何が起きたのと慌てていると金色の頭が身動きし、眠そうに眼をこする。
「うん…あれ、なんでイオ?」
イグジュアートだ。イグジュアートが隣に眠っていた。
窓を開けていたので変な輩が侵入して来たのかと驚いたが違った。イグジュアートだ、良かった。
でもどうして?!
混乱したイオはここがどちらの部屋か確かめる為に部屋を見渡そうとし、寝台の側に足を組んで椅子に座る存在に初めて気付く。
「だっ―――!」
「やっと目を覚ましやがったか。」
誰だと声を上げようとしたが声が出ない。口をパクパクさせるイオの前でのそりと起き上がったイグジュアートが視界を遮った。
「一緒に寝てたの。なんで?」
寝ぼけ眼のイグジュアートがすっかり低くなった掠れた声で素朴な疑問を口にしたが、イオはそれ所ではない。声が出ない、口がきけないのだ。
イオの様子に首を傾げていたイグジュアートもイオの視線の先を追い、その先にあるものに気付いて一気に覚醒し素早く身を翻してイオの前に陣取って声を上げた。
「だ―――!」
けれどイオ同様に誰だと叱咤する声は奪われる。驚きで声が出ないのではない、目の前の侵入者が何らかの術で声を奪ったのだ。
漆黒のローブはアスギルを思い出させる。艶やかな黒い髪に銀色に輝く瞳は息を呑まされる程の美貌と相まって理知的で全てを悟っている様な印象を与えるが、同時に何を企んでいるのか解らない恐れを抱かせた。怪しい雰囲気満載の美貌の魔法使いを前に、イオが後ろからイグジュアートの腕を引いて守る様に前ににじり出ると、イグジュアートが更にイオを守る様に腕に力を込め後ろに庇った。
初めて会う、けれどイオは目の前の魔法使いが誰なのか既に分かっていた。
一度だけ目に止めた肖像画。王太子ファウルの部屋で見せて貰った女性と見紛う美しい伝説の魔法使い。けれど違う、目の前の魔法使いは肖像画よりも何百も何千倍も妖しい美貌を撒き散らしていた。これ程の美貌を描き残せる力なんて誰にも備わっていないだろう。
何をしに来たのだと奪われた声の代わりに相手を睨みつけると、魔法使いはとても愉快そうに赤い唇に弧を描いた。
「愚鈍そうに見えるが、俺が誰だか理解したって顔だな。」
闇の魔法使いから世界を救い、イクサーンでは賢者とも呼ばれ敬われる存在である魔法使い。けれど現世に現れたこの魔法使いは王太子の命を盾に遊ぶ様な人間だ。隙を与えれば何をされるか解らない。今とて言葉を奪われ縛りを受けているのだ。油断できないと睨みつけるイオにフィルネスは更に愉快そうに破顔した。
「―――!」
たとえ皮肉が込められていようとも、その笑顔は恐ろしいほどの威力を放ちイオとイグジュアートの心を打ち抜く。女神よとフィルネスの前に跪き、踏みにじられたいと願う輩が出てもおかしくない微笑みに、迂闊にも二人は頬を染めてしまった。
「随分捜したんだがな、結局お前ら二人しか残っていやしねぇ。人間の繁殖力ってのもたかが知れてるよなぁ。」
いったい何の話だとイオが眉を顰めると、まるで心を呼んだかに「てめぇらだよ」と返された。
「阿呆なてめぇらは知らねぇだろうがよ。イクサーン王家にはな、奴の愛した女と奴を倒した騎士、そんで奴自身の血が流れてんだ。そこに俺の血をねじ込んだ。何のためにかっててめぇは悩んでやがったな。」
フィルネスは繊細な指先を細い顎に添え僅かに身を乗り出しイオへと視線を絡めた。これだけの美貌で直視されると恥ずかしさに視線を反らしてしまいそうになるが、イオは意地でも睨み続けてやると奥歯を噛みしめ視線を外さない。
「奴を殺せる剣と魔法を継ぐ人間をつくりたかったんだよ。」
闇の魔法使い復活に備え、騎士と魔法使い二人ではなく両者を備える一人の人間を作り出したかったのだとのたまうフィルネスに、そんな事はさせないとイオは瞳に意思を込める。
「あ? 何も知らねぇ阿呆が俺のせいにするってのか。俺はな、奴に頼まれてんだよ。奴が狂ったら殺せってな。けど悪いのは奴じゃねぇってのに理不尽じゃねぇか。俺自身はこの世なんて滅んでもらったほうが清々するんだが、奴の頼みだ。無下には出来ねぇ。」
心地よい声色から発せられる言葉は荒く見覚えがある。イオの中ではやはり彼がという思いと、そうでなければという思いが交差した。
「つう訳で、お前ら二人で子供作れ。」
「何がつう訳よっ!!」
イオの周りで空気が弾け、同時にこれまで失われていた声が舞い戻った。
「へぇ、ただの無能って訳じゃなかったか。」
どうやったのかイオ自身訳が解らない。けれど自力で術を解いたイオにフィルネスは瞳を瞬かせ感嘆の声を上げた。
「そもそもあなたが本物のフィルネスだって証拠あるの。何百年も昔の人間がそんな若作りでどんだけサバ読んでるのよ!」
「足元にも及ばねぇ癖に俺様の美貌に嫉妬するなんざ百億年早ぇよ。」
「あなたと違ってこっちは化け物じゃないんだから百億なんて生きられる訳ないでしょ!」
「なんだとてめぇ、誰が化け物だって?」
「貴方に決まってんじゃない、若作りでもボケには勝てない様ね!」
「いい度胸じゃねぇか、表に出やがれ!」
「望む所よ。そのかわりわたしが死んだらあなたの計画ぶち壊れなんじゃないのっ!」
「てんめぇぇぇっ……」
言葉を詰まらせたフィルネスは口惜しそうに歯ぎしりさせたかと思うと、釣り上げていた眼を穏やかな色に戻しふわりと微笑んだ。その微笑みにイオの全身がぞわりと泡立つ。
「その言葉、偽りなしと受け取らせてもらったぞ。」
やばい、何かを間違えたと悟った時には遅かった。フィルネスは優雅に椅子に座り直し、イオは嵌められた感を拭い去れないまま乱れた衣を直して寝台の上に正座し直す。生かす代わりに従うと、従えと言われたも同然。違えた場合は自分の命だけで済むのだろうかと、イオは内心びくびくしながらフィルネスの言葉を待った。
「運がいいのか悪いのか、奴は正気を取り戻した。そもそも過去の出来事は奴一人が悪いって訳じゃねぇんだから償う必要なんざ皆無だ。俺はな、奴に辛い思いをさせたくねぇんだ。てめぇだってそうだろ?」
「そりゃあ、まぁ。アスギルの事はとっても心配よ。」
「だからてめぇらで子供作れ。」
「だからそれ、意味不明!」
「ちっ、だから阿呆は嫌いなんだよ。」
フィルネスは面倒そうに舌打ちするとローブの中で腕を組み直す。滅茶苦茶偉そうでイオの内には反感の思いが渦巻いた。
「奴が望んでも平穏な奴を殺す必要なんてねぇ。けどな、自分より強い存在は奴の安心に繋がんだよ。だから奴を凌ぐ血は必要だ。てめぇらが二人で一人って感じのな。同時に奴はてめぇに執着している節がある。寂しがり屋の奴には寄り添える存在ってのも必要で、奴が靡く血を全て受け継いだてめぇは格好の餌食なんだろうよ。その血を濃くし絶やさない為にもてめぇら二人で子供作れっていってんだ。」
アスギルが靡く血。一人ではなく複数を指し示すのは誰の血なのかイオには知り様がない。
闇の魔法使いが本当の意味で復活してしまう時に対峙するべき身として、平穏が続くのなら彼の心の拠り所として有り続けろと命じるフィルネスの言葉を否定はしないが、あまりにも荒唐無稽でイオは頷く事も首を振る事も出来なかった。
そんなイオを置いてフィルネスはイグジュアートへと視線を移す。
「てめぇにはカオスの血が濃く現れてる。あの王子でもいいが、更に血を薄める結果になるから父親はてめぇの方が望ましい。意味が解るな、こっちの阿呆みてぇにぐずるなよ?」
カオスとはイクサーンの初代国王で、闇の魔法使いを封印した騎士の一人を示しているのだろう。やはりイグジュアートにもその血が流れていたのかと、イオはちらりとイグジュアートを垣間見た。
声を奪われたイグジュアートは口を一文字に引き結んだまま、黙ってフィルネスの言葉を聞いている。けれど心を許している訳ではなく警戒は怠らない。意に沿わぬ力で抑え込まれて素直に従える人間などいやしないのだ。
「子供になんてこと言うのよ。血を濃くしたいならあなたでもいい筈でしょ!」
イオとイグジュアートの間で子供を作れと言うが、いったいいくつ離れていると思っているのか。無駄に長く生きる妖怪もどきには年の差がいかなるものかを理解する能力が欠けてしまっているようだ。
十五歳の多感な時期の少年と二十一歳の大人の女。これが逆ならない話ではないが、それでも間違いなく後ろ指をさされる。
常識を考えろと訴えるイオにフィルネスは冗談はよせと楽しそうに笑った。
「てめぇみてぇなブス、俺が相手できるかよ。」
「何ですってっ!!」
イグジュアートや毒舌非常識魔法使いを前にブスではないとは言えない。言えないが、人に濃い血を持つ子供を要求しておきながら、当事者であり、かつ先端で血をばらまいた当人に鼻で笑われては怒り心頭である。
イオの放つ怒りが再度フィルネスの魔法を破り、イグジュアートにかけられた魔法が解かれた。その瞬間イグジュアートは声を大にして叫ぶ。
「イオは十分可愛い!」
「…………痛いよイグ。」
「てめぇの審美眼はえらく身内贔屓だな。下手物好きか。」
フィルネスはまるで奇跡でも目の当たりにしたかの眼差しをイグジュアートに向けた。
「まぁいい。奴を殺したくなければ何が最善か、そのうちてめぇらにも理解できんだろ。」
フィルネスは組んだ足を崩してすっと立ち上がるとイグジュアートに微笑んだ。
「てめぇは餓鬼じゃねぇ、解るな?」
ゆるりと視界が歪む。姿を消そうとしたフィルネスにイオは飛びかかった。
「待って。わたしとイグは何?!」
飛びかかったイオであったがフィルネスに触れること叶わず、歪む彼の体を通り抜け床に転げ落ちる。それを見送った銀色の瞳が細められた。
「親が姉妹だ。」
細められた銀の瞳に嫌味や思惑は何もなく、ただひたすらに慈愛に満ちた銀色の眼差しで。けれど床に転げ落ちたイオも寝台でフィルネスに背を向けられていたイグジュアートも、その優しい瞳に気付く事無く消えるフィルネスの姿を見送っただけであった。




