砂糖菓子
部屋の周囲はフィルネスが作り出した結界に囲われていたのか、早朝から騒がしかったイオ達の声は外に漏れていなかったようだ。アルフェオンに気付かれてないのならなかった話にしたい所だがそうもいかない。闇の魔法使いを封印しイクサーンでは賢者と崇められる魔法使いの言葉はかなり重要だと思われ、時間もなかったことから今朝の出来事についてはイグジュアートが休憩時間にアルフェオンへと報告してくれる事になった。
アスギルが靡く血―――それが誰を示しているのかは解らない。けれどイオを懐かしく思う切っ掛けとなったのはフィルネスと同じ魔力をイオが持っていたからなのだろう。偉大な魔法使いの血を本当に自分が引いているのか。正直複雑な心境だった。
きっとフィルネスはアスギルの全てを知っているに違いない。とんでもなく恐ろしい美貌を湛えておきながらあまりにも酷い毒舌には唖然としてしまったが、滅んでも良いと毒づきながらもアスギルの為に何かをしておこうと動いているのは確かなようだ。きっと彼もアスギルが好きなのだろう。
そうだとするとイオが進む道はそれに従わざるを得ないのだろうか。アスギルに世話になっているからというだけじゃないし、世界の未来の為でもない。ただアスギルの為にそれが必要なら、フィルネスの言葉通りイグジュアートとの間に子供をつくり、アスギルの拠り所となれる場所を残し続けて行くべきなのだろう。イグジュアートさえよければ出来る気はする。けれど、本当にそれをアスギルが望むのか。
まるで心の中に何かがつっかえて邪魔をしている様だ。素直にうんと頷けない自分に身勝手さを感じる。
イグジュアートと別れて仕事場に向かい、サリィと一緒に目の前にある仕事をこなしていく。沈む様子に調子が悪そうだと心配され、あとで抜けるかもしれないからとだけ告げておいた。
集めた洗濯物を所定の場所まで運んでいると頭から水が浴びせられる。
泥臭い臭いに洗濯物が茶色く染まっているのが見え、何があったのかと唖然としたがゆっくりと上を仰げば、しまったと青くなっている人物と目が合った。
「ごっ、ごめんなさいっ!」
新人で入った二人のうちの一人レティシアが踵を返し見えなくなった。どうやら床掃除をしていて汚れた水を二階からぶちまけたらしい。いくら面倒だからといっても汚れた水を二階からまき捨てるなんて……せめて下に人がいないかどうかくらいは確認して欲しかったと、イオはびしょぬれの我が身をどうしたものかと見下ろす。間を置かずして慌てて降りて来たらしいレティシアが必死に頭を下げながら走り寄って来た。
「ごめんなさい、本当にごめんなさい!」
自分の仕出かした事に慄いてか、涙ながらに必死になって頭を下げられたイオは怒る気にもなれず、もういいよと苦笑いを漏らした。
「こういう事もあるわ。次から汚れた水はちゃんと用水路に流してね。」
「だってあまりにも重たくて、降りる間に服がぬれちゃったら嫌だったんですもの。でもまさかこんな事になるなんて。次からはちゃんと言われた通りに致しますから、本当にお許し下さる?」
薄茶色の瞳がうるうると潤んでイオを覗き込んで来る。同じ色のふわりとした柔かい巻き毛、白い肌にほんのりと染まる頬。十七歳という年齢の割には子供っぽく見えるレティシアは世間知らずのお嬢様だ。没落貴族の娘らしく女官として城にあがっていたが虐めに合い、自ら希望して下働きの地位に下りて来た素直で可愛らしい娘。まるで砂糖菓子の様だと思いながらイオは頷いた。
「それじゃあお互い仕事に戻りましょう。」
「そんなっ、ずぶ濡れのまま行かせられないわ。」
わたしも一緒に行きますと騒ぐレティシアにイオはまたもや苦笑いを漏らした。
「大丈夫よ、一人で出来るから。それよりレティシアさんの仕事もまだまだ残ってるんじゃない?」
「そうですけど、一人では恥ずかしくありません?」
「勿論よ。」
いくら洗濯物とはいえ泥水に汚れたまま洗ってくれる下女に渡すなんてできない。レティシアに手伝ってもらい二人で粗方綺麗にしてから渡そうかとも考えたが、イオ達が身につけるよりもずっと上等な生地で出来た服を濡らさせるのも悪かった。そもそも濡れるのが嫌で汚れた水を二階から放り出したのだ。没落でも貴族、掃除の仕方なんて知らず少しずつ覚えている途中であるだけに強くも言えず、手伝ってもらえば更に仕事が増えそうな予感がして申し出を遠慮した。そもそもレティシアはイオが手にした洗濯物を泥水で汚してしまったから下洗いをして下女に渡すという発想もないだろう。そんなつもりでついて来ると言った訳でないのは容易く想像できる。
近場の井戸は飲食用なので、少し遠いが騎士達が汗を流すのに使う井戸を目指す。予想通り時間が早いので人の気配はなく、先に頭から水を浴び直してから洗濯物を水にくぐらし汚れを落として絞った。イオの方もエプロンやら外せるものは外し、後は服を着たまま絞って洗濯物を抱え下女の持ち場を目指す。そこで着替えを借りられないか尋ねると、下女たちをまとめ上げる女性がでてきて着替えを貸してくれた。その姿で仕事に戻ればサリィに見咎められる。
「いったい何があったの!」
また王太子に攫われたんじゃないだろうなと驚くサリィに、レティシアの名は伏せて水に濡れた話だけをしたのだが、勘のいいサリィにすぐに悟られてしまう。
「レティシアさんにやられたんでしょ。わたしもいっぱい被害にあわされて困ってるんだから!」
「でもわざとじゃないのよ。それに一度きちんと教えれば間違いをしない子だし。」
「何が間違いをしないよ。常識の段階がわたしら庶民とまったく違うから困ってるんじゃない!」
噴火しそうなサリィをまぁまぁと諌める。
確かにサリィの言いたい事もわかるのだ。最初の段階があまりにも違う。初日はわざとじゃないのかと疑いたくなるような失敗ばかりだったが、一緒に入った新人のルルがフォローしてくれたお陰で大きな騒ぎにはならなかったのだ。もう一人の新人であるルルはレティシアと違って一を言えば十をこなせる仕事のできる娘だった。そのせいでレティシアの悪い個所が目立ってしまうというのもあるが、それでもイオ達の仕事が楽になったのには変わりがない。
「とても素直な子よ。」
「それも計算じゃないかしら?」
「サリィ……」
ぷいと身を翻し仕事に戻るサリィの後をイオは溜息を落としながら追った。
昼になり込み合いだした食堂でレティシアが騎士らに囲まれている。その中心ではレティシアが本日の失敗談を披露しているのだ。
本来なら隠したくなるような失敗を、反省の色を匂わせつつも堂々と話して聞かせるレティシアがサリィは気にくわないらしい。サリィ曰く、『ああやって男の気を引いているんだ!』とのこと。聞いている騎士らは『大変だったね』『次から頑張れよ』と砂糖菓子の様なレティシアと話が出来ていつも楽しそうだ。けれど本日はイオに水をぶちまけてしまい余程堪えたのか、しゅんと項垂れ騎士らに慰められている。
さて、何時までも話し込んでいるとサリィの機嫌が悪くなるのでレティシアに声をかけようかとした所で後ろから腕を引かれた。
「イオ、なんで服が違うんだよ!」
借りた服は上等なものでもないのにどうしてこうなるのか。サリィ同様ファウルへと結びつけたらしいイグジュアートが綺麗な顔に不満を湛えてイオを見下ろしていた。
「仕事中に濡れちゃったから洗濯場の女性に借りたのよ。」
「なんだ、そうか。」
安堵に胸を撫で下ろすイグジュアートと並んで歩き出す。レティシアもお話はやめて仕事に戻ったようだ。
ちなみに着ていた服は洗って乾かしてくれるとのこと。有り難い申し出を素直に受け取り、夕方洗濯物を回収しに行く時に貰い受ける予定だ。
「今朝の事、話したから。今はアルフェオンが団長の所に行ってる。」
「―――そう、わかったわ。」
レティシアが起こしてくれた騒動のお陰ですっかり頭から飛んでいた出来事が否応なく舞い戻って来た。
「あいつの言った事、全部本当かな。」
トレーを手にしたイグジュアートがぽつりと呟くように問いかける。
「あんなの気にしなくていいのよ。」
イオとイグジュアートの間に子供を作れだなんてとんでもない話しだ。アスギルの為となればイオには出来るが、イグジュアートはまだそういう年齢に至ってはいない。イグジュアートの将来にもかかわる重要な事にイオの気持ちだけで決着をつけていい物ではなかったと、真剣な表情で俯くイグジュアートをみて反省する。
「でも俺、嬉しかったから。」
「え?」
おかずをよそってイグジュアートのトレーに置きながらイオは目を丸くした。
「俺たち従姉弟って事だろ。それが本当なら一生離れる必要ないんだなって思った。」
お前は違うのかと訴える碧い眼差しを受け、イオは自然に笑顔を浮かべた。
「うん、わたしも嬉しい。」
「ならいいや。」
素っ気なく前を通り過ぎて行くイグジュアートを見送りながら仕事をこなす。けれどイオの頬は緩みっぱなしだ。
そうだ、どうして気付かなかったのだろう。親を亡くし親戚もなく天涯孤独の身であったけれど、フィルネスの『母親が姉妹』との言葉を信じるなら、イオの母親とイグジュアートの母親は姉妹という訳で、イオとイグジュアートはかなり近しい血のつながりを持っているという事になる。姉弟よりも薄いが、それでも血のつながりがあるという事実は無条件に嬉しい事柄だった。
イオとイグジュアートは少しも似ていないのでフィルネスの言葉は疑わしく、そのまま素直に信じてしまうのは危険かもしれない。アルフェオンが言うにはイグジュアートとその母親のレティシアはとてもよく似ているらしいが、イオの母親はイグジュアートと違って凡庸な顔立ちだったので、二人に伯母と甥の血縁関係があると聞かされても見た目では信じられないのだ。けれどフィルネスがそんな嘘をついても何の得にもならないだろう。せいぜいイオとイグジュアートの心が騒ぐ程度だ。
「そうか、従姉弟か。」
「え、なに?」
後ろに立ったサリィがイオの呟きに反応する。何でもないのと答えれば、サリィがごった返す食堂の方を見て顔を顰めた。
「また仕事さぼって。レティシアさんって絶対アル様狙いよ。」
「え?」
ほら見なさいよと促された先に顔を向ければ、食堂に入って来たばかりらしいアルフェオンのすぐ側にレティシアが立っていた。厨房に入っていた筈のレティシアがどうしてと瞳を瞬かせると、此方へ向かって来るアルフェオンの腕にレティシアが腕を絡めているのが目に入る。
アルフェオンに腕を絡める砂糖菓子の様に甘くてふわふわしたレティシア。二人の様子を目の当たりにしたイオの胸につきりと痛みが走った。
「イオがいるっていうのにアル様もアル様だわ、あんな子の腕なんて振り解けばいいのにっ。」
悪態をつきながらも仕事をこなすサリィと違いイオの手は完全に止まっていた。再び時間が動き出したのは二人が目の前に来てからだ。アルフェオンはイオの服装が今朝と変わっている事に気付いた様だが、それについては何も言わない。というよりアルフェオンが指摘するよりも早くサリィが低く冷たい声色でレティシアを窘めたのだ。
「忙しいんだからさっさと厨房に入ってくれない?」
「アルフェオン様がイオさんにお話があるそうなのでご案内していただけですよ?」
「アル様はあなたが来るずっと前からここにお勤めなの。そんなの必要ないって事くらい解らないの?」
サリィが睨みつければ「そんなわたし…」とレティシアは涙ぐみ、絡めたアルフェオンの腕にすがる様に顔を埋めた。
「そんなに怒らないであげてくれないかサリィ、私がいけなかったんだ。」
「アル様のせいじゃないわ。この子いつもそうやって仕事さぼるのよ。」
「酷いわサリィさんっ、でも……わたしが悪いんですね。」
しゅんと項垂れるレティシアにサリィは更に目を吊り上げるが、爆発する前にアルフェオンがレティシアの背を押して厨房へと送り出した。
「君、どうもありがとう。」
アルフェオンが優しく微笑むとレティシアも機嫌を直して厨房へと入った。二人の仕草があまりにも自然に美しく貴族然としていて、入り込めない空間の存在にイオは酷く惨めな感覚に陥る。
「アル様も可愛い子には目がないのね、がっかりだわ。」
「すまないサリィ、二度はないと誓うから許してくれ。」
半眼開いてアルフェオンを睨みつけていたサリィだったが、苦笑いを浮かべたアルフェオンに拗ねた様な表情をとりながらもしょうがないなと頷き許した。
「イオ、どうかしたのか?」
「え、ああ、なんでもないわ。それより何かあったの?」
レティシアが絡めていたアルフェオンの腕に釘付けになっていたイオは、何か用かと顔を上げる。
「ちょっといいかな?」
イオと、イオを連れ出す許可をサリィに求めたアルフェオンに、サリィは嬉しそうに「どうぞどうぞご遠慮なく」とイオを厨房から追い出す。追い出されたイオはごった返す食堂から廊下に出てアルフェオンと向き合った。
「イグから話を聞いてレオンに報告した。午後からイグと一緒に呼ばれるだろうから伝えに来たんだ。」
「ああ、そう。そうね。そうだったわ。わかった、了解。」
衝撃の光景にフィルネスの事などすっかり頭から吹き飛んでしまっていた。そんなイオの頬にアルフェオンが手を伸ばしそっと添えたのでイオの鼓動がドキリと跳ね上がる。
「大丈夫か、動揺している様だけど。」
「大丈夫、平気よ。」
「残念ながら私は同席できないがイグジュアートが一緒だ、不安だろうが心配ない。」
多分この動揺はアルフェオンの思っているものとは違う。これではいけないと、イオは大丈夫だと頷いて笑顔を見せた。
「ありがとう、心配してくれて。でもフィルネスの件は本当に平気。帰ったらアルにも詳しく話すわね。」
「わかった、それじゃあまた夜に。」
イオの頬から手を離したアルフェオンはくるりと背を向けて外に出て行く。イオは笑顔を浮かべてはいたが複雑な心境のままアルフェオンの背を見送った。




