炎
「殺したのさ、奴の心を。徹底的にいたぶり尽し、誰も彼もが傍観し奴を殺した。」
とろとろに柔かくなるまで甘く煮込まれた肉を嚥下し終えたフィルネスは、これまでの粗暴が嘘の様に優しく綺麗な仕草で手拭を使い口元を拭うと椅子から立ち上がる。
所望した料理が届けられるやいなや国王や王太子、取り囲む重鎮らを置き去りにして料理を貪り始めた態度は最悪だったが、フィルネスは世界を救った魔法使いであり、現在も闇の魔法使いを封印できる唯一の希望である彼の態度を誰もが息を顰めて許すしかないのだ。
見目に反して粗暴とも感じられるフィルネスがモーリスに向ける視線は、国王ハイベルや王太子ファウルに向ける感情とは明らかに異なり柔かい。魔法使いというだけで同族意識が強いのか、それとも最初より膝をついたのが良かったのかは知れないが、国の最高権力者を差し置いてモーリスにだけ向けられる言葉を誰もが黙って聞いていた。
「それはいったいどう言う―――」
「てめぇら結界師と同じで、逆らえない奴は国に都合が良い様に転がされた。使う事に慣れた馬鹿共は奴に心がある事を忘れた…いや、皇帝だけは解っていながら抉り続けたんだな。」
フィルネスがモーリスを横切り、横切られたモーリスは「どちらへ」と黒いローブを視線で追った。
「てめぇのケツは自分で拭けって書いといただろうが。頼っても無駄だ。俺にあいつと張り合う力はもうねぇからな。」
「フィルネス殿!」
「馬鹿やらかしてるわけじゃねぇんだろ。ならほっとけ。ケツも拭けない阿呆揃いで化け物目覚めさせてどうすんだ?」
さわらぬ神になんとやら。俺は知らないと投げられる方はたまったものではない。望むままに食べつくしたフィルネスはそのまま部屋を出て行こうとし、横切られたファウルは咄嗟にフィルネスの腕を掴んでしまった。
「待たれよ!」
「触んな糞餓鬼―――」
凍てつく視線が突き刺さる。文字通り、突き刺さった。
冷たく言い放たれた言葉と共に、フィルネスの腕を掴んだファウルの胸を突如現れた氷の刃が貫いた。次いで声を上げる間もなく炎がまき上がると刃が融けファウルの体を覆い尽くす。
「殿下っ!」
「ファウル!」
王の声を受け近衛が一斉に剣を抜く。ファウルを包む炎は真実のものよりも高温で、消そうと近寄ったものは焼けつく皮膚の痛みを覚えたたらを踏み、悲鳴を上げた女官は一目散に逃げ出した。
「手を出すな!」
剣を構えた近衛とフィルネスの前にモーリスが体を滑り込ませ、よく見ろと炎に包まれたファウルを一瞥した。
氷の刃に胸を貫かれ灼熱の炎に体を焼かれたと思われたファウルは、炎の中で胸を押さえ驚きに目を見開いていた。「ファウル!」との王の呼び掛けに徐に顔を上げると、ファウルは状況を把握し視線をハイベルに向ける。
「陛下―――ご心配なさらずとも私は無事です。」
ファウルは己を纏う炎に驚きながらも、いったいどういう仕掛けかと体を動かし確認する。虚をつかれはしたが貫かれた胸は痛みも何もなく、氷の刃は幻であったのかと胸を撫で、纏わりつく炎に熱は全く感じない。居合わす誰よりも術をかけられたファウルが冷静で落ち着いていた。
「結界なのか?」
体に受ける感覚は守りの結界に似ており、術者であるフィルネスに問えばニヤリと不敵な笑みを返された。
「守護壁だ。結界と違って外界と同じ時の経過を持つ。意味が解るか?」
最後の言葉はファウルにではなくモーリスにであり、はっとしたモーリスは危険と解りながらもフィルネスを止める為に腕を伸ばしたが一歩遅く届かなかった。
「触れた報いだ。命が惜しけりゃマキアの末裔を捜すんだな。」
美し過ぎる容姿に浮かんだのは悪魔の微笑みだ。けれどそれも空気に溶け込むように揺らめくと、瞬く間に消え去ってしまった。
残されたのは、身を焦がしはしないが炎に包まれたファウル。フィルネスの放った守護壁の意味を正確に理解したモーリスは眉間に深く皺を刻み、ハイベルは阻む熱を前に厳しい顔つきになった。
「解除できないのか?」
「力の差があり過ぎます。」
放たれた魔力が尽きれば自然と消える守護壁。魔物から身を守る為に張られるのが普通だが、大抵は無色透明でかけられた者に害をもたらしたりはしない。けれどファウルにかけられた壁は灼熱の炎を伴い人を寄せ付けないのだ。いったいいつまで効力が続くのか知れないが、このままでは衣食住が不可能で、水を飲む事すらかなわないだろう。それに気付いたファウルも難しい顔で思案に暮れている。
「マキアの末裔とは―――所在不明となった二代国王の王女マキアの事でしょうか。」
命の期限を押しつけられているファウルが冷静に問えば、ハイベルも深く頷いた。
「恐らくそうであろう。だが腑に落ちん。我々にマキアの末裔を捜させようとしているのなら何故この様なやり方をなさるのか。モーリス、そなたはどう思う?」
いったい何故こんなやり方をと、少ない期限を押しつけてきたフィルネスの思惑が解らない。後からやって来た逃げ腰の重臣らは今の男が本当に賢者なのかと疑いの声を上げ、本当は闇の魔法使いではないかと囁く始末だ。
「陛下や私に対する態度とお前とでは明らかに違っておったぞ。お前に対して何らかの問いかけをしているのではないのか?」
王と王太子、二人の視線が意見を求める。禁書を読んでいた所を呼びだされ心身ともに疲れているモーリスは疲れを隠す様に額を掌で覆った。
「解りかねるが、あるとするなら一つだけ。フィルネス殿は闇の魔法使いを憎い存在に感じていないという事です。それが我々にとって良い結果を齎すか否かはさておき。目下の問題は何百年も昔に姿を消した王女の末裔を探し出すなど不可能に等しいという事ですな。」
「お前は私に死ねというのか。」
非情だなと炎の先で睨むファウルを無視してモーリスはハイベルに視線を移した。
「かけられた魔法はそれを上回る魔法で解除されます。フィルネス殿を凌ぐ力を有するのは恐らくこの世界に一人。」
「闇の魔法使い、か。」
ハイベルは眉間の皺を更に深く刻む。
「あの娘は人に甘い、状況を知れば呼び出してくれる筈。それに王太子とも知らぬ仲ではない。」
ファウルがイオを囲い込んだ一日をハイベルも把握しており、意味有り気に息子を睨めば父の想いを知ってか知らずか、命を握られている張本人は涼しい顔で肩をすくめてみせた。
「果たして呼び出しに応じてくれるかどうか、応じてくれたとしても無事に済むかは賭けではありますがな。」
「王太子の不始末の為に世界を危険に曝す訳にはゆかぬ。」
「父上それは酷い。これまでふられ続けていたのです。怪我の功名と、いっそ考えを変えてみては如何です?」
接触をはかりたくとも叶わなかった相手だ。それをイオが渡りをつけ引き出せたなら一つ望みがかなう。たとえアスギルがファウルの危機を救ってくれなかったとしても、ハイベルの前にアスギルが現れ会話の糸口が掴めるならそう悪い話じゃない。そう切り出したファウルに、何を呑気にとハイベルは忌々しくファウルを睨みつけた。
「ほんの一年前は此方の方が命の危険に曝されていたというのに、全くお前は。」
「陛下はまだまだお若い。世継ぎの一人や二人、若い側妃を娶ればすぐに授かりましょう。」
「ファウルっ、私はそなたを死なせはせぬぞ。」
「私とて飢え死にはごめんです。」
二人の口論を右から左に流しながら、モーリスは突然現れ姿を消したフィルネスの思惑が何なのかと考えに耽る。
アスギル同様、その場から忽然と姿を消す魔法を使いこなせるのなら、何故わざわざ歩みを進めファウルを横切ったのか。
粗暴で傲慢な態度、粗悪な言葉使い。見た目は息をのむ程の美貌をしておきながら魔法で王太子を人質とばかりに閉じ込めた悪行。高熱の炎に遮られたファウルはこのまま放っておけば確実に死ぬだろう。桁違いの魔法に女官は逃げ出し、考えなしの者等は賢者としてあがめ続けて来た魔法使いを闇の魔法使いと混同してさえいる。フィルネスはモーリスの望み通り答えを齎しながらも、恐れの対象としての自分を曝して消えたのだ。
「とにかく彼女を呼びましょう。それからレオンを急ぎ戻さねばなりませんね。」
「あれには早々使いを出した。魔物討伐に出たらしいが、遅くとも今夜中には戻れるだろう。」
「不眠不休になるか。騎士団長とは名ばかり、まるで奴隷だ。」
「我ら王族はその為に存在しておるのだ。」
そうでしたねと、ハイベルの言葉にファウルはゆるく口角を上げた。窓の隙間からは朝日が差し込み一日の始まりを告げている。
ファウルは爽やかな朝に似合わぬ炎に包まれながら、王太子として役に立たない身をすぐに焦がしてしまわぬ炎に、少しばかり難く感じつつ朝日を眺めた。
*****
予定にない一人きりの夜を過ごしたイオは、夜が明けるとともに目を覚まし階下へと向かう。寝台に横になっても二人が心配で安らかな眠りは訪れなかった。レオンの言葉はきっと正しい、アルフェオンもイグジュアートも無事に戻ってくるに決まっている。それでも不安は消えないのだ。
早起きしても一人きりではする事もない。睡眠不足で重くなった体を引きずりながら顔を洗って朝食の準備にかかろうと台所に立つがやる気は全く起きなかった。
はぁと溜息を落としたイオの左肩に同様の吐息を感じて飛び上がりそうになる。が、耳元で囁かれた声にイオは勢い良く振り返った。
「お腹が空きました。何か食べる物を分けてくれませんか。」
「アスギルっ!」
初めて会った時と同じ台詞に感動すら覚え、勢いのままアスギルに抱き付くとそのまま床に尻餅をつかれてしまう。
「ごめん、大丈夫?」
「問題ありません。」
表情の乏しいアスギルを助け起こし椅子に座らせる。変わらない姿に沈んでいた気持ちが少しだけ浮上した。
「今から朝食なの。すぐに準備するから一緒に食べましょう。」
「ご迷惑をおかけします。」
「いいのよ、ありがとうで。来てくれて嬉しい!」
くるりと背を向けかまどに火を入れる。湯を沸かして野菜を煮込んでいる間にパンに挟む肉と野菜を準備した。
手早く用意を済ませると出来上がった料理からアスギルの前に並べて行く。並べる間も待てないのか、アスギルが摘み食いする様にイオは自然と笑みを零した。
「先に食べてていいわよ、すぐに温かいスープをよそうわね。」
「いただきます。」
感謝を述べながらパンを口に含むアスギルの前にスープを差し出し、自分の分もよそってイオは席についた。
「今朝は一人だからなんだか寂しくて。アスギルが来てくれて本当に嬉しいわ。」
それでも食欲は出ない。スープだけを側に置き匙で掻きまわして一口啜ったらすぐに匙を置いた。
「まだ戻らないのですか。」
「え?」
咀嚼しながら話すアスギルにイオは首を傾ける。
「あの男です。昨日助言をもらいました。」
「あの男って、アルフェオン?」
確認するとアスギルがコクリと頷いた。
「成程。貴方に元気がなかったのはあの男を心配していたからですね。大丈夫、詫びを兼ねて怪我の治療はさせていただきましたから無事ですよ。」
「怪、我……」
いったい何があったのか。酷い怪我なのかと体が震え問い詰めようとした時、強い力で玄関の扉が叩かれ中断させられる。
こんなに朝早くから何だろう、アルフェオンやイグジュアートに何かあったのかとアスギルに視線を移せば、扉を叩く音など聞こえないといったふうで朝食に手をつけ咀嚼していた。
魔力を使った後の大食はアスギルとモーリスによって十分理解させられている。多めに作ったサンドイッチ用の具とパンをアスギルの前にずらしてからイオは玄関に向かい扉を開けた。
扉を開くと見覚えのある騎士の姿。城の庭園で木から落ちた所を助けてくれたファウルの近衛騎士。レオンの元婚約者の兄であるその人が酷く焦った表情を浮かべイオを見下ろしている。一瞬身構えたのは少しばかり苦手に感じていたからだ。
その彼が頭を下げたと思えばそのまま跪き、驚いたイオは「えっ?!」と目を見開いた。
「我が主の命の危機。是非とも貴方の力をお貸し願いたい!」
「えっ、あ、いや……無理でしょ!」
懇願し言葉を絞り出す騎士に、自分は医師でも癒やしの力を持つ魔法使いでもないと慌てて首を振るが相手は聞く耳もたない。
近衛は了解を得る前にイオの背と膝裏に腕を伸ばすと、有無を言わさず抱き上げ馬の背に上げる。イオはそのまま攫われる様にして屋敷を後にし、激走する馬の背で悲鳴を上げた。




