第8話 英雄、花祭りへ行く
厳しかった冬が去り、アルディナ王国にも柔らかな春の風が吹き始めた頃。
王都近郊にある大きな広場は、年に一度の『春の花祭り』の準備で活気づいていた。
色とりどりの花で飾られた屋台が並び、中央には夜の宴のための木造の立派な舞台(櫓)が組まれている。
俺たち『特別平和適応室』のメンバーは、地域との交流という名目で、この祭りの裏方作業に派遣されていた。
だが、広場の端で腕を組んで状況を監視していた俺は、深いため息を吐き出す羽目になった。
「……おい。あいつら、また何かおかしくないか?」
「そうですね。常識の範囲を大きく逸脱しています」
隣に立つマヤ実務官が、無表情のまま手元の記録用紙にペンを走らせる。
俺の視線の先では、英雄たちがそれぞれの担当区画で真面目に働いていた。だが、その光景はどう見ても『普通のお祭り準備』ではなかった。
荷運び担当のカイルは、荷車を使わず、自分の背丈の三倍はあろうかという巨大な丸太の束を両肩に担ぎ、鼻歌交じりに広場を歩いている。
薪割り担当のバルドは、斧を持たず、愛用の大剣の鞘で丸太を空中に跳ね上げ、目にも留まらぬ抜刀術で空中の木材を完璧な同じサイズの薪に切り刻んで束ねている。
夜間照明の準備を任されたティナは、魔導灯の回路をいじり回し、「よし、これで光量は三倍ね!」と満足げだが、漏れ出ている光の色味が完全に『第六階位・殲滅用熱線』のチャージ色だった。
救護班のエステルだけは、隣にマヤ実務官が配置した一般の薬師が目を光らせているため、「ちょっと指先を切った」程度で全霊の奇跡を使うことは阻止されているが、それでも暇そうにウズウズしている。
「まあ、物理的な破壊は起きていないから良しとするか」
俺がそう呟くと、マヤ実務官が冷たい目を向けてきた。
「レグさん。先日『勝手に予測して決めつけない』という五か条を作ったはずですが……あなた、また彼らを意図的に動かしましたね?」
「人聞きの悪いことを言うな。俺はただ、彼らに『何を手伝いたいか』を尋ねただけだ」
「嘘ですね。カイル様を東の搬入口に、バルド様を西の資材置き場に、ティナ様を中央の舞台下に、エステル様を全体が見渡せる高台に配置するよう、巧妙に誘導していたのを私は見ていました。あの配置は……」
「広場全体を三秒以内でカバーできる、対魔王軍用の完全防衛陣形だ」
俺はあっさりと認めた。
「祭りに事故はつきものだ。万が一、不測の事態が起きた時、あいつらの身体能力が一番活きる配置にしておいた方が安全だろう? これは俺の職業病みたいなもんだ」
俺が彼らの行動を制限せず、かつ最悪の事態に備えられる完璧なシミュレーション。
俺は救護の通路を地図に一本書き込み、それで安心してしまった。
「キャァァァァッ!」
広場に、女性の悲鳴が響き渡った。
悲鳴の元は、広場の中央に組まれた高い舞台だ。
飾り付けの手伝いをしていたらしい一人の子どもが、バランスを崩し、地上五メートルの高さから真っ逆さまに落下していくところだった。
「落ちるぞ!」
大人たちが絶望的な声を上げる中。
ドンッ! という空気を切り裂くような爆発音が、広場の四カ所から同時に鳴り響いた。
英雄たちの『戦闘反射』だ。
誰かの命令を待つまでもなく、彼らの身体は戦場での最適解を弾き出し、自動的に動いていた。
「風よ!」
ティナが無詠唱で放った突風が、子どもが落下する真下の地面に厚い空気のクッションを形成する。
しかし、落下地点には舞台の装飾用に使われていた太いワイヤーが張り巡らされていた。このままでは子どもがワイヤーに絡まってしまう。
シャアァァッ!
そのワイヤーを、西側から跳躍してきたバルドの剣閃が空中で寸分違わず全て斬り払う。
「治癒、展開!」
高台のエステルが、着地時の衝撃に備えて広範囲の回復結界を広場全体に展開する。
そして。
「俺が捕まえる!」
東側から地を蹴ったカイルが、凄まじい脚力で宙を舞い、空中で落下する子どもの体をふわりと抱き留めた。
完璧だった。
彼らの連携は、誰の指示もなく、一瞬の淀みもなく完了した。
――しかし、彼らの発揮した力は、平和な祭りの広場が受け止めきれるレベルを遥かに超越していた。
カイルの蹴った石畳が割れ、風の余波で空の屋台の庇がめくれた。そばにいた職人は柱へしがみついた。
そして極めつけは、カイルが子どもを抱えたまま着地した瞬間。
ズドォォォォンッ!!
支えのワイヤーを失って傾いた舞台へ、カイルが降りた。足場を押し潰して子どもへの衝撃を逃がす。バルドは落ちかけた横木を肩で受け、ティナの風が残りを人のいない側へ倒した。
土煙が舞い上がり、広場が静まり返る。
俺は舌打ちをした。
(子どもは無事だ。あとはカイルが前へ抜ければ、後ろの通路から薬師が入れる)
俺の頭の中にある『対勇者行動記録』のデータが、そう告げていた。
だが。
土煙が晴れた後、そこに広がっていた光景は、俺のシミュレーションとは全く違うものだった。
「うわぁぁぁん! こわいよぉ!」
カイルの腕の中で、助けられた子どもが大声で泣き叫んでいた。
戦場であれば、カイルは即座に保護対象を後方にパスし、剣を抜いて警戒態勢に移行する。
だが、カイルはその場から一歩も動かなかった。
「あ、いや、えっと……泣かないでくれ。ほら、怪我はないぞ?」
カイルはオロオロと周囲を見渡し、倒壊した舞台の残骸から色鮮やかな花飾りを拾い上げると、それを自分の頭の上にポンと乗せた。
「ほーら、お花のお化けだぞー。こわくない、こわくない」
一九〇センチを超える筋骨隆々の大男が、頭に花を乗せて、不器用極まりない変顔で子どもをあやしている。
俺は目を疑った。
俺が薬師を送り込んだ先には、子どもを抱いたカイルがいる。その後ろに、横木を運ぶバルドと母親まで重なった。
「そっちは通れる」と俺が保証した狭い通路で、全員が止まる。マヤが別の柵を開けるまで、誰も身動きが取れなかった。
「……おい、カイル」
事態が収拾し、子どもが母親の元へ無事に引き渡された後。
俺は、頭に花飾りを乗せたまま所在なげに立っているカイルの前に歩み寄った。
「……すまん。お前が移動すると思って、後ろから人を入れた。子どもを抱いたままでは、動けなかったんだな」
「あー……すまん」
カイルは気まずそうに頭を掻いた。
「戦場なら、すぐに次の脅威に備えて動いていた。だが……腕の中で、小さな子どもがガタガタと震えて泣いていたんだ。俺は無意識に、剣を抜くよりも先に、こいつを安心させなきゃいけないって思って……足が止まった」
俺は通路の幅を振り返った。戦場では、カイルが庇った相手を受け取る兵が必ずいた。今日は、その役を誰にも頼んでいない。
彼の速さだけを計算して、抱えた子どものことも、駆け寄る母親のことも計算から落としていた。
「……レグさん。あなたの予測も、万能ではないようですね」
マヤ実務官が、横から静かに言った。
「……ああ。俺が詰まらせた。次は、本人に救助の段取りを聞いてから組む」
俺が素直に敗北を認めると、周囲からパラパラと拍手が湧き起こった。
「いやぁ、舞台がぶっ壊れた時はどうなるかと思ったけどよ!」
「見事な助けっぷりだったぜ、勇者様たち!」
「子どもをあやす顔、ちょっと怖かったけどな!」
住民たちが、倒壊した舞台を前にしても恐怖することなく、苦笑いと感謝の混じった拍手を送ってくれている。
彼らもまた、ただ怯えるだけの存在ではない。戦争の間も商いをし、家族を養い、町を守ってきた人間たちだ。壊れたものを前にして、どう動けばいいかを知っている。
「だが……祭りの舞台を完全に壊してしまったな」
カイルが、残骸を見て申し訳なさそうに肩を落とす。バルドやティナ、エステルも気まずそうだ。
俺は、彼らの背中を力強く叩いた。
「勘違いするな。これは罰でもペナルティでもない」
俺は壊れた木材の山を指差した。
「祭りは夜からだ。まだ終わっていない。職人に聞こう。俺たちにできることがあるはずだ」
戦場での一〇〇点の行動が、日常では失敗を招く。
なら、その失敗を『直す』ことこそが、彼らが平和な世界で生きていくための次のステップだ。
英雄たちは俺の言葉に顔を見合わせ、そして、力強く頷いたのだった。




