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勇者様、まず剣を置いてください。~魔王を倒した最強パーティーが買い物で詰むので、元魔王軍の俺が生活係になりました~  作者: 他力本願寺


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第6話 平和の五か条

その日の朝、俺とマヤ実務官が停戦館の門をくぐったとき、王都の外れにある古びた洋館は、まるで小規模な局地戦の舞台のような惨状を呈していた。


「……おい。誰か、あの庭の惨状を説明してくれないか」


 俺が額を押さえながら指差した先。


 停戦館のそこそこ広かったはずの庭には、腰の深さまである見事な『塹壕』が縦横無尽に掘り巡らされていた。


 泥だらけのスコップを持った勇者カイルが、爽やかな汗を拭いながら塹壕の中から顔を出した。


「おはよう、レグ! 朝の基礎訓練ついでに、防衛陣地を構築しておいた。この地形なら、東からの騎兵の突撃を完全に無力化できるぞ!」


「王都の東から騎兵が突撃してくる予定があるのか? ここは戦線の最前線じゃない、ただの庭だぞ!」


 俺の怒鳴り声を背中で受け流しつつ、カイルは「備えあれば憂いなしだ」と真顔で言い返してくる。


 ドォン!


 その時、今度は館の厨房の方から、くぐもった爆発音が響いた。


 窓から黒い煙がモクモクと吐き出されている。


「ゴホッ、ゴホッ! おかしいわね、パンを温めるだけの最小出力に設定したはずなのに、なんで厨房の壁ごと焦げるのよ……!」


 すすだらけになった大魔導士ティナが、真っ黒な消し炭の乗った皿を持って這い出てきた。


「火を止めろ! 白湯と同じ出力を、なぜパンに流した!」


「同じ重さならいけると思ったのよ。……水分量が違ったわ」


「分かったなら、次は試す前に場所を選べ!」


 俺がティナから炭を取り上げようとした瞬間、今度は庭の反対側から「シィッ!」という鋭い呼気とともに、銀色の閃光が走った。


 ズシャァァァン!


 停戦館の庭に生えていた立派な松の木が、斜め四十五度に両断され、ズドシンと地響きを立てて倒れた。


「……よし。見通しがよくなった」


 剣聖バルドが、大剣を鞘に納めながら満足げに頷いている。


「庭師が日陰に使っていた木だぞ。切る前に聞かなかったのか!」


「門から玄関が見えぬので、死角を減らすつもりだった。……日陰も、必要だったか」


「ここは敵地のジャングルじゃないんだよ!」


 次から次へと起こる問題に、俺は呼吸困難を起こしそうになっていた。


 そこに、トドメとばかりに柔らかな声が響く。


「マヤさん、昨晩は書類仕事であまり眠れなかったようですね。目の下に隈が。さあ、私の治癒で細胞の疲れを完全に消し去ってさしあげます」


 聖女エステルが、マヤ実務官の肩に両手を置き、神々しい黄金のオーラを全身から放ち始めていた。


「ちょっ、待ってくださいエステル様! ただの寝不足にそんな全霊の奇跡を使わないで! 今夜きちんと寝ますから!」


 普段は冷静なマヤ実務官でさえ、慌ててエステルの手から逃れようとしている。


 勇者、大魔導士、剣聖、聖女。


 世界を救った最強の四人が、各自の『戦場基準の合理性』を一切の悪意なく同時に発揮した結果、停戦館の朝はわずか十五分で崩壊の危機に瀕した。


「……全員、直ちに動作を停止しろ。事務室に集合だ」


 俺の地を這うような低い声に、四人はピタリと動きを止め、ぞろぞろと事務室へ向かって歩き出したのだった。


「いいか、お前ら」


 事務室の長机に四人を並んで座らせ、俺は黒板の前に立って腕を組んだ。


「この適応室が始動してまだ数日だが、俺は今日、確信した。お前たち四人が同時に動くと、三日でこの停戦館が倒壊する。一ヶ月で王都が滅びる」


 カイルたちが、少し気まずそうに視線を泳がせる。


「俺たちは、良かれと思って……」


「わかっている。お前たちに悪意がないことは、俺が一番よく知っている」


 俺は敵軍時代の観察記録を思い返しながら言葉を紡いだ。


「戦場において、陣地を構築し、最速で着火し、視界を確保し、仲間の疲労を取り除くことは、絶対に正しい『正解』だった。その行動がお前たちを生かし、俺たち魔王軍を追い詰めたんだからな。だが……」


 俺はチョークを手に取り、黒板をコンコンと叩いた。


「ここは平和な日常だ。戦場での一〇〇点は、日常では大惨事の引き金になる。お前たちには、平和な世界で生きていくための『基準』がすっぽりと抜け落ちているんだ」


 四人は黙って俺の言葉を聞いていた。


 エステルが、おずおずと手を挙げる。


「レグさんの言うことはわかります。でも、私たちは長い間、ずっと戦場にいました。今さら『普通にしろ』と言われても、何が普通なのか、どう行動するのが正解なのかがわからないんです」


 その言葉には、切実な響きがあった。


 彼らだって、好きで市場をパニックに陥れたり、風呂を爆破したりしているわけではないのだ。


「だから、基準を作る」


 俺は黒板に、大きな文字で書き始めた。


「お前たちの戦闘力を封印するつもりはないし、いきなり一般人になれとも言わない。ただ、これ以上王都を物理的に破壊しないための、最低限の『生活ルール』を共有する」


 俺はチョークを走らせ、一つ目のルールを書き込んだ。


 一、危険でない相手へ先制攻撃しないこと。


「カイル、バルド。これはお前たち向けだ。市場の客は敵の軍隊じゃないし、隣の家のじいさんは暗殺者じゃない。救助に使う場合は別だ。危険かどうかも分からないうちから、人や動物へ刃を向けるな」


 カイルとバルドが、神妙な顔で頷く。


 俺は続けて二つ目を書いた。


 二、頼まれる前に全力を出さないこと。


「ティナ、エステル。お前たちだ。風呂を沸かすのに攻城魔法はいらないし、ただの寝不足に死者蘇生一歩手前のような大治癒はいらない。頼まれたとしても必要な量を確かめる。人命に関わる緊急時まで許可を待てという意味じゃない。」


「……善処するわ」


 ティナが唇を尖らせ、エステルも少し不満そうだったが、小さく頷いた。


 そして三つ目。


 三、分からなければ、まず質問すること。


「これが一番重要だ」


 俺は四人の顔を順番に見回した。


「戦場では、迷いや決断の遅れは死に直結する。だからお前たちは『即断即決』の癖がついている。だが、平和な世界では、一秒判断が遅れたからといって誰も死なない。だから、自分のやろうとしていることが『普通』から外れていないか迷ったら、まず俺かマヤ実務官に聞け。相手の持ち物なら、まず持ち主に聞け」


 三つのルールが黒板に並んだ。


 すると、横で聞いていたマヤ実務官が進み出て、無表情のまま四つ目を書き加えた。


 四、公共の設備を壊した場合は、自費で弁償すること。


「これは私からのルールです。あなた方の功労手当は無限ではありません。屋根を飛ばし、庭の松の木を切り倒せば、それだけあなた方の生活費が減ると思ってください」


「救助中の損傷まで、一律に自腹ではありません。事情は確認します。でも、勝手な改造で壊したものを、そのまま誰かへ押しつけてはいけません」


 四人は庭と厨房を順番に見た。


「よし、以上だ。これを『平和の四か条』とする。今日から絶対に守ってもらうぞ」


 俺がチョークを置こうとした、その時だった。


「待て、レグ」


 カイルが真剣な声で手を挙げた。


「そのルールが必要なことは理解した。俺たちの非常識が迷惑をかけていることもわかっている。だが、これでは不公平だ」


「不公平?」


「ああ。このルールは、俺たち四人を縛るためだけのもので、お前たち適応室が一方的に俺たちを管理する形になっている」


 カイルは立ち上がり、俺を真っ直ぐに見据えた。


「俺たちは、管理される囚人になりたいわけじゃない。平和な世界で生きていく練習をするなら、お前とも対等な関係でいたい」


 その言葉に、バルド、ティナ、そしてエステルも深く頷いた。


 特にエステルは、前回の広場での一件――俺が勝手に彼女の心を分析し、先回りして傷つけたこと――を思い出したのか、静かだが確固たる意志を込めた目で俺を見ていた。


「レグさん。ルールを作るなら、あなたにも守ってほしいことがあります」


 エステルの言葉を継ぐように、カイルが力強く言った。


「そうだ。だから、五つ目のルールを加えさせてもらう」


 カイルは俺の手からチョークを奪い取ると、黒板の最後に、大きな文字で書き殴った。


 五、レグ・オルフェンは、勝手に予測で俺たちのことを決めつけないこと。


 黒板に書かれたその一文を見て、俺は一瞬、言葉を失った。


「……どういうことだ」


「そのままの意味だ」


 カイルがチョークを置いて笑う。


「お前は有能な『勇者対策官』だ。俺たちのデータを全部持っていて、行動を完璧に予測できる。だが、俺たちはデータじゃない。今ここで生きている人間だ」


「何か問題が起きた時、私たちに何も聞かずに、勝手に分析して答えを出すのはやめてください」


 エステルが、まっすぐな声で告げた。


「私たちは、あなたともっと話がしたいんです。だから、分かったつもりにならないで、分からなければ私たちに質問してください」


「……」


 彼らの目は、俺を『監視者』や『元敵』として見ている目ではなかった。


 失敗を共に笑い、時にぶつかり合いながら、同じ空間で生活していく『同僚』を見る目だった。


 俺は根っからの裏方だ。人をデータとして扱い、予測し、盤上で動かすことでしか他人と関わってこなかった。その方が傷つかずに済むし、確実だからだ。


 だが、彼らは俺に『盤上から降りてこい』と言っているのだ。


 俺は小さく息を吐き、頭を掻きむしった。


「……俺の名前だけ、ずいぶん大きく書いたな」


 俺はカイルからチョークを受け取ると、五つ目のルールの横に、大きな丸を書き込んだ。


「わかったよ。お前たちが暴走する前に俺に相談するように、俺もお前たちの行動を勝手に決めつける前に、本人に尋ねるようにする。これで文句はないな?」


「ああ。異存はない」


 カイルが満足げに笑い、他の三人も表情を緩めた。


 マヤ実務官が、眼鏡の奥で少しだけ目を細め、静かに頷いた。


 一、危険でない相手へ先制攻撃しない。


 二、頼まれる前に全力を出さない。


 三、分からなければ、まず質問する。


 四、公共の設備を壊した場合は自費で弁償。


 五、勝手に予測で決めつけない。


 黒板に並んだ『平和の五か条』。


 それは、世界を救った最強の英雄たちと、彼らを殺そうとしていた元敵の裏方が、初めて結んだ人間同士の対等な約束だった。


「よし。ルールの確認は終わりだ」


 俺はパンと手を叩いて、全員の顔を見た。


「それじゃあ、平和な生活の第一歩として、まずはあの塹壕の埋め立てと、厨房の煤払い、倒れた松の木の撤去を始めるぞ。昼までやったら、一度飯にしよう」


「レグは?」


「煤払いをやる。脚立を押さえてくれ」


「脚立の支えは私がやろう。構造の弱点を――」


「見つけても斬るなよ」


 バルドは少し不満そうに、剣を壁へ立てかけた。

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