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勇者様、まず剣を置いてください。~魔王を倒した最強パーティーが買い物で詰むので、元魔王軍の俺が生活係になりました~  作者: 他力本願寺


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第45話 剣聖は橋を守る

灰潮の魔力圧と、五万の魔獣の波。


 王都防衛司令部の作戦卓で、俺はひっきりなしに更新される被害状況と避難の進捗を、両手に握った赤と青のペンで地図に書き込み続けていた。


 エステルが指揮する救護所は持ち堪えている。


 だが、避難作戦における最大のボトルネック――王都の外縁と安全地帯を繋ぐ、最も太い避難路である『東部連絡大橋』が、今まさに致命的な危機を迎えようとしていた。


「……橋が傷んだ。このままの人数を通すのは危険だ」


 俺は通信鏡に映し出された大橋の惨状を見て、奥歯を強く噛み締めた。


 橋の向こうには数千人の列が続く。通す人数を絞っていたところへ、地震が来た。古い石造りの橋脚と木製の橋桁が、今にも真っ二つに折れそうなほど危険な軋み音を上げていた。


 ここが崩落すれば、橋の上の避難民は濁流に飲まれ、後続の数千人は完全に退路を断たれて魔獣の群れにすり潰される。


『レグ! 橋脚の基礎部分に溜まっていた魔力圧は、非常路へ戻したわ。採石場側で放散を続けている! これ以上はインフラ網の限界よ!』


 通信鏡の向こうから、ティナの悲鳴のような声が飛んでくる。


 昨夜から稼働を続ける魔力分散網のおかげで、橋が魔力的な内部崩壊を起こす危険だけは回避されていた。


「よくやった、ティナ。……あとは、物理的な耐久力の勝負だ」


 俺は通信回線を、橋の真下で泥まみれになっている男へと切り替えた。


「バルド! あと何分持つ!?」


『通す人数を半分にしてくれ! 三番の柱に負荷が集中している。親方、左の支えを増やせるか!』


 通信鏡越しに、バルドの野太い号令が響いた。


 東部連絡大橋の橋台側、岸から組んだ足場の上。そこには、バルドとガラン親方を中心とした、王都の木工・修復班の職人たちが集結していた。


『おう! 野郎ども、勇者様に負けんな! 楔(くさび)を打ち込め!』


 ガラン親方が叫び、職人たちが一斉に巨大な木材を橋脚の隙間に押し込む。


 移動の際に道具車から引き取った大剣は、バルドの背中に収まっていた。だが、彼が今両手に握っているのは、使い込まれた大工用の巨大なハンマーだった。


『右の橋桁が歪み始めているぞ! 接合部の角度が悪い、急ぎ三十度の添え木を入れろ!』


 かつてのバルドは、敵の「間合い」や「急所」を見切ることにその天才的な眼力を使っていた。


 だが今の彼は、木工所で習い、老女の家の扉を直し、椅子の品質を確かめた経験を、すべてこの瞬間に注ぎ込んでいた。


 建造物のどこに荷重が偏り、どこから壊れるか。


 破壊の天才は今、その眼力を『残し、直す』ために極限まで研ぎ澄ましている。


「レグさん! 避難路の後方から、魔獣の群れが接近しています!」


 マヤ実務官が、血相を変えて俺の肩を掴んだ。


 通信鏡の端に、避難民の列の最後尾からもうもうと土煙を上げて猛進してくる、小山のように巨大な魔獣の姿が映った。


「大型重突撃種だ。群れの進路を外れた……橋へ向かっている!」


 誘導灯の間を抜けた個体だった。元管理官の言った通り、同じ刺激ですべてを動かせるわけではない。


 巨大な角を持つその魔獣が、地響きを立てて橋のたもとへと真っ直ぐに突進してくる。


『ひいぃぃっ! ば、化け物だぁぁっ!』


 橋のたもとで悲鳴が上がり、列が止まりかけた。誘導員が間に入り、転んだ人を起こしている。これ以上の荷重と混乱が起きれば、補強したばかりの橋は確実に崩落する。


『……チッ』


 橋の下にいたバルドが、舌打ちをして身を翻した。


 彼の手が、自然な動作で背中の大剣の柄へと伸びる。


「……!」


 俺は思わず、通信鏡に向かって息を呑んだ。


 抜け、バルド。


 今の状況で、あの重突撃種を止められるのは、お前の規格外の剣技だけだ。お前が一撃で魔獣を両断すれば、避難民は助かる。


 だが。


 バルドは、柄を握った手を、ピタリと止めた。


『ここでは斬れん。死骸が橋へ来る!』


 バルドの声で、俺も気づいた。斬れば動きが止まるわけではない。巨体がそのまま橋台へ滑り込めば、今の補強では受けられない。


『親方!! 誘導路の可動柵はどうなっている!!』


 バルドは剣の柄から手を離し、ハンマーを握り直して叫んだ。


『組み上がってるぜ! あとは最後の固定だけだ!』


『よし!』


 バルドは橋のたもとへと跳躍し、職人たちが組み上げていた強固な木製の斜めの壁――『可動柵』の前に立った。


 重突撃種が分岐の手前へ迫る。バルドは先に組んであった斜路の留め具を外した。


『おおおおおぉぉぉっ!!』


 バルドは渾身の力を込め、可動柵の要となる巨大な楔を、ハンマーで一撃のもとに打ち込んだ。


 ガァァァンッ!! という轟音と共に、橋の入り口を覆うように、見事な角度の木製の防壁が立ち上がった。


 柵が進路の片側を塞ぐ。バルドは脇へ退き、最後の楔を打った。


 魔獣の角が、斜めの板をかすめた。板は何枚も割れたが、巨体が正面から衝突する前に、その鼻先が開いた方を向く。


 道路の傾斜を利用した迂回路が、岸の低い河原へ続いていた。


 魔獣は泥を跳ね上げ、橋台の横を走り抜けていった。


 可動柵は半壊した。だが、橋にはぶつからなかった。


『二枚目を入れるぞ! 足元を見ろ!』


 親方の声で、職人たちが破片をどけた。


「……やりやがった」


 俺は、作戦卓の上で両手を強く握りしめた。


 斬ることしか知らなかった男が。壊す技術では世界一だった男が。


 職人たちと協働し、構造を計算し、あえて自分の最強の力を「抑える」ことで、魔獣の脅威を退け、数千人の命を守り抜いたのだ。


『橋は無事だ! 止まるな、渡り切れ!』


 バルドの野太い声に促され、パニックになっていた避難民たちが再び橋を渡り始めた。


 バルドは割れた板を拾い、次の柵へ回せる部分を親方に見せた。剣の柄には、それきり触れなかった。


 避難民の最後尾が通るまで、支えの点検と列の調整は続いた。


『レグ。こちら東部連絡大橋。最後の避難民が、今、橋を渡り切ったぞ』


 通信鏡越しに、大粒の汗を光らせたバルドが、ハンマーを肩に担いでニヤリと笑った。


 その背中で、最後まで一度も抜かれることのなかった大剣が、静かに朝の気配を帯び始めた光を反射している。


「確認した。職人たちも渡ってくれ。現場を離れる時刻を、もう一度知らせろ」


 俺は心からの称賛を口にし、そして、作戦卓の最も深く、最も危険なエリアへと視線を移した。


「……マヤ実務官。最終前線のカイルの部隊はどうなっている」


「……よくありません。魔力脈の崩落の兆候が見られます」


 マヤ実務官の震える声に、俺は通信鏡のチャンネルを切り替えた。


 すべての避難民を逃がすための時間稼ぎ。その最も過酷な殿(しんがり)の任務に就いている、勇者カイル・レインの最後の戦いが、そこにあった。

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