第43話 見えない魔法で町を守る
「第一観測所より報告! 旧戦場方面からの魔力波長、急激に増大しています! 先頭の魔獣群まで距離三千! まもなく第一防衛線に接触します!」
警報の翌日、夕暮れ。王城地下の防衛司令部へ、最初の接触報が入った。避難した三町の住民の多くは高台へ移っていたが、北の外縁には搬送を待つ集団がまだ残っている。
作戦卓の上に広げられた王都周辺の巨大な地図。俺はその中央に立ち、各方面と繋がった通信鏡の映像を鋭く睨みつけていた。
北から南下してくる五万の魔獣の波。だが、本当に恐ろしいのはその後ろからすべてを押し潰すように迫ってくる、致死的な『魔力圧』の巨大なうねりだ。
魔獣たちは人間を食うために来ているのではない。背後から迫る見えない死の壁から逃げるため、死に物狂いで暴走しているだけだ。
この魔獣の群れと魔力圧の津波を、王都の外縁でいなし、威力を減衰させなければ、避難している市民はおろか、町そのものが地図から消滅する。
「ティナ! そっちの状況はどうなっている!」
俺は通信鏡の一つに向かって叫んだ。
『今やってるわよ! 急かさないで!』
王都の北側、外縁の第一防衛線に位置する巨大な給水・魔力蓄積施設。
その制御室から、顔をススで汚したティナが叫び返してきた。彼女の後ろでは、給水局の市民技師たちが計器に張り付き、死に物狂いでバルブを操作している。
『予想以上に魔力圧の波が高いわ! 私が設計した分散網へ過剰な魔力を流し込んで、生活網を切り離した非常用魔導路を逃がし路に使っているけど、古い施設が物理的な圧力に耐えきれなくなりそう!』
「あとどれくらい持つ!?」
『十分よ! それ以上は第七バルブ施設の継ぎ目が弾け飛んで、魔力圧が地表に漏れ出す! そうなったら一巻の終わりよ!』
ティナの切羽詰まった声に、俺は地図上の『第七バルブ施設』の位置を叩いた。
「……おい。バルド!」
『通信は聞こえている』
別の通信鏡から、バルドの太い声が響いた。
「第七バルブ施設が物理的に破綻しそうだ。お前たち修復班の現在位置は?」
『すぐ近くだ。すでに向かっている。ガラン親方、急ぐぞ』
『おう! 俺たちの作った木材の頑丈さ、見せてやろうじゃねえか!』
通信鏡の映像が切り替わり、地響きを立てて魔力圧が迫る第七バルブ施設の現場が映し出された。
巨大な鉄の配管が、内部からの異常な圧力でギシギシと悲鳴を上げ、結合部から青白い光が漏れ始めている。今にも破裂しそうな配管の周りに、バルドとガラン親方が率いる木工・修復班の職人たちが駆けつけた。
『親方、支持台が沈んでいる! 技師長、ここは流れを止められるか!』
『迂回させる、待ってろ!』
バルドの号令が飛ぶ。
彼は背負っていた大剣を、修復班の道具車に預けていた。その両手にあるのは、木工所で使い込まれた太いハンマーと、極太の角材だ。
『ここの荷重が一番危ない。右の配管の下に梁を入れ、角度は三十度で楔を打ち込め!』
配管の仕組みは技師が説明し、支える位置は親方が確かめた。バルドは軋みと沈み込みの早さを読み、重い梁を据える。誰か一人の目だけで作業を進める余裕はなかった。
『おうさ!』
職人たちが一斉に動き、用意していた巨大な角材を配管の結合部に噛ませ、バルドがハンマーで渾身の力を込めて楔を打ち込む。
ガァンッ! という重い音と共に、ひしゃげそうになっていた鉄の配管が、職人たちの支持枠に支え直され、結合部のずれが止まった。
『ティナ! 支持台を補強した。技師が接合部を点検している。流量を戻す合図は、そちらから頼む!』
通信鏡越しに、バルドがティナに向かって親指を立てた。
『助かるわ、バルド! さっすが私の同僚!』
ティナは、通信鏡越しに笑い返した。
俺は、そのやり取りを見て息を呑んだ。
かつてのティナなら、配管が破裂しそうになれば、職人に頼るのではなく、無理やり自分の強大な魔力で外側から押さえ込もうとし、結果として力のぶつかり合いで施設ごと吹き飛ばしていただろう。停戦館の風呂場で、出力を落とせなかった時を思い出す。
だが今の彼女は、物理的な補強は完全にバルドと職人たちに『任せて』いる。
自分がやるべきではない領域を他者に委ねることで、彼女は自身の圧倒的な集中力を、魔力流の制御と分散という本来の役割にのみ、百パーセント注ぎ込んでいた。
「ティナ!」
俺は地図上の数値を睨みつけながら警告を発した。
「バルブが持っても、非常用魔導路に流せる限界が近づいている! このまま分散させ続ければ、都市機能の許容量を超えるぞ。どこかで最終的な排出口を作らなければ、外縁の施設が破裂する!」
『分かってるわよ!』
ティナはコンソールに両手を叩きつけ、給水局の技師長を振り返った。
『技師長! 生活網への遮断を確認! 余剰魔力を第四ルートへ回して! 逃げ道は用意してあるわ!』
『おう! バルブ全開! 第四ルートへ集約!』
王都北部の非常用魔導路。ティナが構築したその血管のようなネットワークを通して、逃げ場を失っていた致死的な魔力圧が、一つの太い線となって都市の外縁へと誘導されていく。
その行き先は、分散網の計画時から非常用の出口として整備していた『旧採石場』の巨大なくぼ地だ。
『旧採石場への接続完了! 巡回班より、立入区域に残った人員なし。退避も確認しました!』
技師長が叫ぶ。
『よし!』
ティナはコンソールから手を離し、後ろを振り返った。
『技師長、あとのインフラの通常運転は、あなたたちに完全に引き継ぐわ! 頼んだわよ!』
『合点承知! 大魔導士様は、あんたの派手な仕事をやってきな!』
ティナは施設の屋上へと飛び出した。
夜風にローブを翻し、旧採石場の方角を真っ直ぐに見据える。そこには、都市の配管から逃がされた膨大な魔力が圧縮され、今にも弾け飛びそうな極限状態のエネルギーの塊が形成されていた。
あれをそのままにしておけば、大爆発を起こして王都の一部を吹き飛ばす。
だからこそ、最後は『彼女自身』の手で、安全な方向へ逃がす必要があった。
『――さあ、平和な世界の邪魔者は、空の彼方に消し飛んでちょうだい!』
ティナが、両手を天高く掲げる。
それは、戦場から帰還して以来、彼女が一度も使っていなかった、極大殲滅用の攻撃術式の構えだった。
平和な都市を壊さないために、ずっと小出力の制御を学んできた彼女が、ここにきて排出口の角度を測り、出力の上限を自分で決めた。
『アルス・マグナ……全開!!』
ズドォォォォォォンッ!!!
防衛司令部の地下にまで、その凄まじい轟音が響き渡った。
俺が通信鏡越しに見上げた王都の夜空。そこには、魔導路から旧採石場へ集めた余剰魔力を乗せて、天を貫く巨大な光の柱が立ち昇っていた。
それは雲を突き抜け、大気を震わせ、圧倒的な熱と光で周囲の闇を完全に払拭した。
かつて魔王城の城壁を粉砕した、戦時級の大魔法。
だが、その強大すぎる一撃は、今回は避難路へ逸れることはなかった。採石場の古い岩肌だけが、白く焼けた。
「……第一波、減衰! 非常路の圧力、許容範囲へ戻っています!」
司令部のオペレーターが、歓喜の声を上げた。
将軍たちが呆然とモニターを見つめ、やがて割れんばかりの拍手が湧き起こる。
俺は、小さく息を吐き、口角を上げた。
戦場から離れたことで、彼女たちは弱くなったわけではない。
日常の小さな出力を制御し、自分ではできないことを職人や仲間に任せ、役割を分担することを覚えたからこそ。いざという時に放つ彼女の『全開』は、人のいる場所を避けて、狙った出口へ届いた。
『レグ! こっちへ来た第一波は逃がした! 次の観測値を送って。少し休んだら、制御班と交代するわ!』
屋上で息を切らしているティナから通信が入る。
「よくやった。だが、魔力圧が減衰したとはいえ、五万の魔獣の波が消えたわけじゃない。群れの先頭は、すでに避難区域に到達し始めている」
俺は作戦卓の地図に視線を移し、その一帯に赤ペンで丸をつけた。
「エステル。負傷者の搬送がそちらに集中し始めている。救護拠点の状況はどうだ?」
『……次から次へと、ひっきりなしです。ですが……』
通信鏡の向こう。血と泥にまみれた臨時救護所で、エステルが静かに、だが力強く応じた。
『私たちなら、持ち堪えられます』
俺は頷き、魔導路の監視を隣の担当へ引き継いだ。次に救護班の回線を開くと、担架の足りない地点を呼ぶ声が飛び込んできた。




