第42話 命令ではなく依頼する
「方針はわかった。では、連絡をどこに集める」
防衛司令部の総司令官は、地図の周囲に並ぶ部署名を見た。
「軍の各隊は私が動かす。避難は地方の役所も始めている。給水局と診療所、それに自治領からの観測を、同じ時刻で照合する担当が要る」
軍の通信係だけで回そうとして、既に二つの町の報告が前後していた。勇者の戦果なら同じ欄に書ける。水圧と患者数と橋の傷みは、そうはいかない。
「いるだろう。適任が」
カイルは肩越しに振り返った。
その視線の先、会議室の片隅で腕を組んでいた俺の顔に、すべての視線が集中する。
「レグ。情報をまとめる役を、引き受けてくれないか」
カイルは俺を見た。
「俺たちだけの担当じゃない。現場の声を聞いて、できることと、できないことを繋いでほしい」
「……引き受ける。だが、俺一人では報告を捌けない。マヤ、記録と照会を頼めるか」
「はい。時刻と情報源を分けて記録します」
マヤは総司令官へ担当案を示した。
「適応室での処分とは分けて、今回の調整業務を任せます。復職の審査は、これで終わりにはしません」
「了解した。作戦上の命令は私から出す。現地の隊長には、切迫した危険を避ける判断権を持たせる」
総司令官が通信係に指示し、各機関との回線が開かれた。
鏡の表面に波紋が走り、王都の各所にいる現場責任者たちの顔が次々と映し出される。
「あー、繋がったか? こっちはいつでもバルブを開けられるぜ!」
給水局の技師長。
「特別処置室の準備、および一般治療師の招集、完了しております」
第二診療所の看護長。
「消防・救助隊、いつでも全車出動可能だ!」
第一小隊の隊長。
さらに俺は、専用の周波数を合わせ、ある『別の場所』へと通信を繋いだ。
「……遅かったな、元参謀殿。こちらでも集落の避難を始めている」
鏡の端に映ったのは、旧魔王領の自治区画で観測所の土埃で顔を汚した、元・魔王軍の魔獣管理官の顔だった。
「状況は分かっているな。旧戦場から南下中の灰潮の正確な進行ルートと、群れの密度データが要る」
「ああ、二刻前の図から、先頭の向きが少し変わった。先頭集団は中型の甲殻魔獣。後続に大型の重突撃種が控えている。ルートの予測図は送ってある通りだ」
かつての敵軍のネットワークすらも、今は王都を守るための一つの神経として繋がっている。
将軍たちがポカンと口を開けてその光景を見つめる中、俺は通信鏡に映る全員、そして目の前に立つ四人の英雄たちに向かって、静かに、だが明確な声で問いかけた。
「聞け、全員。今から灰潮に対する広域防衛・避難の作戦を組む」
俺は、新しい記録用紙に日時を書いた。
以前の俺なら。俺一人ですべての情報を読み込み、脳内で勝手に最適解を導き出し、「お前はここに立て」「お前はこれをしろ」と、完璧な予測に基づいた絶対の指示を上から叩きつけていただろう。
だが、俺はもう、彼らを自分の支配下に置くような真似はしない。
「この作戦の主役は、俺ではない。現場で動くお前たち自身だ」
俺は作戦卓の白紙の地図を広げ、ペンを構えた。
「だから、教えてくれ。お前たちには、今、何ができる?」
「……!」
俺の言葉に、通信鏡越しの人間たち、そしてカイルたちがハッと目を見張った。
「何が必要だ? そして……何はしたくないか、何は無理なのか。全員、正直に自分の限界と希望を口にしろ。それらを組み合わせて、一つの作戦にする」
その瞬間、現場の人間たちから堰を切ったように声が上がり始めた。
「おう! 俺たち給水局は、ティナ様が組んでくれた分散網を使って、非常用の魔導路へ接続できる。生活用の水道からは切り離す! だが、魔力圧の制御自体は素人だ、そこは頼む!」
「分かったわ」
ティナが前に出る。
「私が最前線で、網への魔力圧の流入をコントロールする。必要なのは、圧力が高まった時に余剰魔力を捨てる『安全な空き地』よ」
「それなら旧採石場が使える。ルートへの誘導は私が職人たちとやる」
バルドが即座に応じた。
「避難路となる東部連絡大橋の補強と、魔獣を逸らすための可動柵を組む。だが、私は遠距離の魔獣を足止めすることはできない。橋に近づく魔獣への対処を誰かに頼みたい」
「なら、守備隊と誘導班を組もう。元管理官殿、種ごとに有効な音と光の記録を頼む!」
消防隊長が声を張り上げる。
「同時に避難誘導を行うが、負傷者が出た場合の搬送ペースまでは保証しきれん!」
「救護所を三つに分けます。受け入れ数は随時連絡しますから、満床の場所へ集中させないでください」
第二診療所の看護長が力強く頷く。
「一般治療師が各患者を判断し、必要な方を特別処置班へ回します。エステル様には、私たちが手に負えない重傷者の選別と、救護所全体を守る結界の維持をお願いしたい」
「はい。結界は常設の装置と分担します。交代の時間も決めてください」
エステルが、静かに、だが揺るぎない覚悟で答えた。
俺は、彼らの口から飛び出してくる要望と限界、それぞれの専門分野を、パズルのピースを嵌め込むようにして作戦地図の上へ書き込んでいった。
誰か一人が無理をして、すべてを背負い込むような破綻した作戦ではない。
ティナの魔法が、技師たちのインフラと繋がり。
バルドの木工技術が、橋と避難路を支え。
エステルの医療体系が、重症者を確実に掬い上げる。
旧魔王軍のデータと、王国の力が、俺の『情報構造化能力』という翻訳機を通して、一枚の地図へ重なっていく。空白のままの場所には、確認を取りに行く者の名前を書いた。
「……よし。これで、防衛から避難、救護までの全体図は完成した」
俺はペンを置き、地図の上に視線を落とした。
そこにはもう、魔王軍時代のように「誰を犠牲にして勝つか」という冷酷な戦術は存在しない。あるのは、一人でも多くの人間を活かすための、血の通った作戦だった。
「カイル」
俺は最後に、作戦卓の前に立つ勇者に向き直った。
「防衛線と救護の形は整った。だが、五万の魔獣の波から市民を逃がすための、最も危険で流動的な避難の最前線……そこを統括する指揮官が、まだ空いている」
俺は、カイルの目を見た。
「お前は、この作戦で、どうしたい?」
かつての彼なら。
自己犠牲の呪いに囚われていた彼なら、「俺が一番前に出て、死ぬまで殿を務めてやる」と吐き捨てただろう。
だが、今の彼は違った。
カイルは、白紙だった自分の未来に、確かな輪郭を描くように、力強い声で宣言した。
「俺の希望は。逃げ遅れた住民も、誘導にあたる救助隊の隊員たちも、誰一人見捨てずに全員を家に帰すことだ。……俺は、そのための道を作る」
それは、彼自身の心からの『やりたいこと』だった。
「だが、俺一人の力じゃ、五万の群れの動きを読み切って全員を無事に後退させることは不可能だ」
カイルは、俺に向かって右手を差し出した。
「俺には、お前の目が必要だ。……レグ、手を貸してくれ」
命令ではない。
自分はすべてを救える神ではないと限界を認め、その上で、自分の希望を叶えるために、かつて敵だった俺に協力を『依頼』したのだ。
「……了解した。最高の道案内をしてやる」
俺は、その大きく分厚い手を取って、固く握り返した。
「以上の配置で開始する。情報はここに集めろ。変更があれば、隣の班にも必ず伝えよ」
総司令官の号令を受け、四人は各班の連絡員と会議室を出た。先頭の群れが王都外縁へ達するまで、およそ一日。夜明けには資材を積んだ最初の荷車が動き始めた。
彼らの背中に、かつてのような悲壮感は微塵もない。彼らはもう、ただ使われるだけの兵器ではなく、自分の意志で誰かを守ることを選んだ『新しい英雄』なのだ。
俺は作戦卓に残り、通信鏡の輝きを見つめながら、これから始まる絶望的な災害との戦いに向けて、神経を極限まで研ぎ澄ませた。




