第41話 もう一度、英雄になれ
深夜の王都を切り裂くような緊急警報のサイレンは、いつまで経っても鳴り止まなかった。
王城の地下深く、分厚い石壁に守られた王国軍・防衛司令部の大会議室。
普段は冷静に書類を処理している将軍や参謀たちが、額に脂汗を浮かべて怒号を飛び交わせている。俺は会議室の隅に立ち、張り詰めた空気の中で次々と運ばれてくる伝令の報告を聞いていた。
「……旧戦場方面からの魔獣群、依然として南下中! その数、推定で五万以上! 北の旧監視線を越えました!」
「ダメだ、数が多すぎる! このままでは、王都北方の三つの町が完全に飲み込まれるぞ!」
絶望的な悲鳴が上がる中、司令部を束ねる白髭の総司令官が、血走った目で会議室の中央を見た。
そこには、急遽王城に呼び出された四英雄――カイル、エステル、ティナ、バルドの四人が並んで立っている。
「四英雄よ。事態は一刻を争う」
総司令官は、すがるような、それでいて有無を言わさぬ圧を込めた声で告げた。
「国王陛下の名のもとに、戦時非常令を発動する。かつての戦争と同じだ。君たち四人は直ちに前線へ飛び、その圧倒的な力で、三つの町へ向かう魔獣の群れをすべて『殲滅』せよ!」
それは、英雄への完全な丸投げだった。
どんな困難な状況でも、彼ら四人を突っ込ませて暴れさせれば、すべてが解決する。四人が揃ってから十年、王国軍が幾度も頼ってきた「最強の最終兵器」への都合の良い命令だ。
俺は、権限を凍結されている身でありながら、思わず口を挟みそうになった。
(馬鹿な。五万の群れだぞ。いくらこいつらが規格外でも、状況も分からないまま四人だけで突っ込めば、被害が拡大するだけだ)
だが、俺が動くより早く、カイルが一歩前に出た。
かつての彼なら、「任せろ。俺が全部倒してやる」と二つ返事で剣を抜き、仲間を連れて飛び出していただろう。
しかし、カイルは静かに、だが鋼のような意志を持った声で言い放った。
「……俺たちは、人命救助を拒むつもりはない。三つの町の市民は必ず助ける」
カイルは、総司令官を真っ直ぐに見据えた。
「だが、昔と同じような『四人だけの単独突入』は、明確に拒否する」
「な、なんだと!?」
総司令官が目を見開く。
「群れの目的も、移動のルートも分からないまま、俺たちが力任せに突っ込んで暴れればどうなる? 群れは散り散りになり、かえって避難しようとしている市民の退路を塞ぐことになる。……それに、俺たちだけで解決してしまえば、現場で必死に動こうとしている一般の救助部隊の連携を崩してしまう」
カイルの言葉には、消防・救助隊の訓練で学んだ『指揮』の概念がしっかりと根付いていた。
「非常時だぞ! 君たちの義務を果たせ!」
別の将軍が激昂してテーブルを叩くが、バルドが冷たい眼光でそれを黙らせた。
「助けると言っている。町と避難路の位置を、先に確認させてくれ」
将軍たちが戸惑いと怒りでざわめく中、ティナが俺の方を振り返った。
「司令部の情報じゃ、断片的すぎて全体像が読めないわ。ねえレグ、あんたはどう見てるの?」
カイルも、エステルも、バルドも。四人が一斉に、会議室の隅にいた俺を見た。
彼らは、国軍のトップである将軍たちではなく、権限を剥奪され、ここ数日は厨房で芋の皮ばかり剥いていた『元・勇者対策官』を頼ったのだ。
「……資料の照合ならできる。部隊を動かす権限はないが、それでもいいか」
俺がそう答えると、隣に立っていたマヤ実務官が一歩前に出た。
「軍への資料説明は、私からもお願いします。情報の確度も一緒に示してください」
マヤの鋭い声に、俺は短く頷いた。
俺は照合用の観測記録を取り出し、総司令官に断って作戦卓へ進んだ。
「ティナ。お前が先日から観測していた、地下の魔力脈のノイズの震源地を地図に記せ」
「ここからこの帯。旧戦場を横切る魔力脈よ。王国側の計器だけでは、北端を追えていない」
ティナが地図の北側に赤い印をつける。
「よし。司令部、魔獣の群れの進行ルートと速度のデータを寄越せ」
「こ、これだが……」
参謀から受け取った報告書と、俺が独自に自治領の元・魔獣管理官(旧魔王軍の同僚)から通信鏡経由で得ていた『魔獣の生態異常』の記録を、脳内で一つの盤上に並べていく。
俺の真骨頂である、情報の構造化。
無数の点が繋がり、一つの明確な線となった時、俺は背筋に氷を当てられたような悪寒を感じた。
「……将軍。あんたたちは、この五万の群れを『人間を襲撃しに来た敵』だと思っているようだが、前提が根本から間違っている」
「間違っているだと? では、あれは何だというのだ!」
「これは襲撃ではない。災害だ」
俺は地図の上に、太い線を引いた。
「自治領の観測では、旧戦場の地下に沈殿した魔力汚染が崩れ始めている。凄まじい魔力圧の波が、北から南へと押し寄せている。……魔獣たちは人間を襲いに来たんじゃない。後ろから迫る、目に見えない死の壁から『逃げている』だけだ。旧魔王軍の記録にある、大規模生息域移動……通称『灰潮』だ」
「ば、馬鹿な……」
総司令官が呻いた。
「相手に悪意はない。ただ死に物狂いで逃げているだけの巨大な波だ。そんなものを、たった四人の力で『殲滅』しようとすればどうなる? 群れはパニックを起こし、行き場を失った波は三つの町を完全にすり潰すだろう」
俺は将軍たちを冷酷に見据えた。
「必要なのは戦いじゃない。彼らをいなし、人間の町を迂回させて逃がすことだ。……『避難・誘導・魔力圧の分散』。この三つを軸に、各地の実情を確かめたい。群れの種類と密度によって、誘導できない場所もある」
総司令官は、北方から届いた報告を参謀へ渡した。
「襲撃を受けていない群れまで走っている。説明は合うな。避難は継続、無理な包囲は中止だ。各隊の位置を確認しろ」
会議室の端で、伝令が動き出す。
「三町の住民はどこへ逃がしていますか」
カイルが尋ねた。
「王都東部の高台だ。町は北の外縁に集中している。西は低湿地で大人数を通せない」
総司令官が地図を回す。避難を始めた町もあったが、寝たきりの人や、家畜を置けない世帯への対応が追いついていなかった。
カイルは、地図上の三つの町を指差した。
「俺は、現場の救助隊や一般兵の指揮系統に入り、市民が逃げるための『道』を作る。……群れを倒すことを目的にはしない。現場の隊長と役割を決めたい」
それは、彼が火災現場で学んだ『見えない仕事』の極致だった。
「私は、給水局の技師たちと協力して、迫り来る魔力圧の逃げ道を作るわ。第一防衛線のインフラを私が制御する」
ティナが、地図の給水施設を指して不敵に笑う。
「私は、後方の救護拠点で重傷者の選別を行います。一般の治療師たちを統率し、治療師と看護長に役割を分け、私の力が必要な方に備えます」
エステルが、自分の両手を握りしめて宣言する。
「私は職人たちと、避難路となる橋を補強する。地面を確かめて、群れを逸らす柵を置けるかも見よう」
バルドが、腰のサバイバルナイフを撫でながら力強く頷いた。
俺は、四つの希望を地図に書き込んだ。まだ案だ。人手も、資材も、現地の確認も足りない。
「それなら、誰に何を頼むか決めよう」
カイルが俺を見た。
「俺たちだけじゃ、できない」




