第39話 本人が書く適応計画
「……だから、給水局の配管網拡張には、この間の王都南部で得たデータが必要なのよ。でも、私の予算枠じゃ魔力計の追加購入が認められなくて……」
「なら、私の木工所で出た余剰の木材をそちらに回そう。足場くらいにはなるはずだ」
停戦館の厨房。
薄い壁を隔てた隣の事務室から、マヤ実務官を交えて四人の英雄たちが白熱した議論を交わしている声が聞こえてくる。
今日の彼らの議題は、「次なる半年間の適応計画」の作成だ。
俺が先に埋めてしまっていた黒板を、今日はマヤが四人の言葉で埋めている。
だが、今の俺は彼らの担当官ではない。権限を凍結され、厨房と庶務を担当している。
俺は白いエプロンを身につけ、夕食用のジャガイモの皮を、無心で、それこそ親の仇でも討つかのような手つきで剥き続けていた。
「カイル様、救助隊の訓練施設を借りるには、復興院への申請書に『具体的な指導内容』を記載する必要があります。どのように書きますか?」
「ええと……『危険な時は下がって、俺に任せろ』……じゃダメなんだよな」
「ダメに決まってるでしょ! それじゃまた隊長さんに怒られるわよ!」
壁越しに聞こえる不器用なやり取りに、俺の指先がピクリと動く。
(申請の記入例なら、棚にある。ティナの魔力計は、隣の区画と共同で買えば……いや、使う時刻を俺は聞いていない)
頭の中で、勝手に彼らの問題を解決するための『予測と分析』が組み上がってしまう。
今すぐ扉を開けて、あの黒板の前に立ち、最短距離の答えを教えてやりたい。そうすれば彼らは悩まなくて済むし、失敗して傷つくこともない。
俺の心の中の『勇者対策官』が、喉の奥から這い出ようと暴れ回る。
「……っ」
俺は、ぐっと奥歯を噛み締め、手元のピーラーに力を込めた。
ダメだ。それではまた同じことの繰り返しになる。
俺は彼らから選択の自由を奪い、見世物にされる恐怖を隠蔽し、信頼を粉々に砕いたのだ。 今は、意見を求められていない。そこまで待てばいい。
彼らが自分たちの頭で悩み、遠回りをして答えを出すのを、ただ黙って見守る。
「役に立つ助言をしない」というこの時間が、役割依存に陥っていた俺の精神を、容赦なくヤスリのように削り落としていた。
「……レグ」
不意に厨房の扉が開き、ティナが顔を出した。マヤも一緒だった。
「資料の照会です。私も確認します」
マヤは手元の照会票を開いた。
「どうした」
「王都の地下水脈に関する、旧魔王軍側の地質調査データを出して。あの近辺の魔力脈の干渉度合いが知りたいの」
「……わかった。第三キャビネットの赤いファイルだ」
俺は手を洗い、無言で指定されたファイルを引っ張り出して手渡した。
それからしばらくして、今度はカイルがマヤとやってきた。
「レグ。救助訓練校の立ち上げに必要な、王国の認可申請書類の形式を教えてくれ。どの部署に回せば一番早い?」
「治安維持局の第三課だ。書類のフォーマットはマヤの机の二段目に入っている」
「サンキュー。助かる」
俺は、求められた事実(データや書類の在処)にだけ答え、必要な資料だけを手渡した。
申請の記入例も要るかと聞くと、カイルは「まず自分で書く」と答えた。俺は用紙だけを渡した。
あくまで彼らの活動を支える「資料庫」としての裏方に徹し、厨房の隅に戻る。
彼らは資料を受け取ると、再び事務室に戻り、あーでもないこーでもないと議論を再開させる。
そうして、数時間が経過し、窓の外がすっかり夕焼けに染まった頃だった。
厨房でコトコトと煮込んでいるシチューの火加減を調整していた俺の背後で、扉が開く音がした。
振り返ると、そこにはカイル、ティナ、エステル、バルドの四人が、連れ立って立っていた。
カイルの手には、数枚の羊皮紙が握られている。
「……できたのか」
「ああ」
カイルは俺の前に進み出ると、その羊皮紙を調理台の空いたスペースにドンと置いた。
俺は布巾で手を拭き、その紙面へ目を落とす。
そこには、ただの日程が書かれたスケジュール表ではなく、四人それぞれの名前の下に、明確な三つの欄が設けられていた。
『やりたいこと』
『やらないこと』
『助けてほしいこと』
この三つだ。
カイルの欄には、『救助訓練の教官として、自分がいなくても回る隊を作る』『常設最高指揮官の打診は保留を継続。教官の仕事を優先したい』『書類仕事はマヤに助けてほしい』と書かれている。
エステルの欄には、『一般治療師の育成と重傷者対応』『無料大治癒会のような無制限な奇跡の提供は断固拒否する(やらない)』。
バルドは『家具修復の技術向上と職人育成』『質の悪い大量生産品へのブランド貸しはやらない』『ライセンスの管理は適応室に助けてほしい』。
ティナは『分散型インフラ網の王都全域への拡大』『見栄えだけの無駄な大魔法はやらない』『旧戦場方面の魔力脈の調査はレグに助けてほしい』。
俺は、息を呑んだ。
彼らは誰かに与えられた役割をこなすだけの兵器ではなくなっていた。
自分は何をしたいのか。そして何より、社会の同調圧力や「英雄だから」という理由で押し付けられる理不尽に対し、「自分は何を拒否するのか」という『境界線』を、自分たちの意志で明確に引いていたのだ。
「……どうだ」
カイルが、俺の目を見据えて問うた。
「俺たちが自分で、マヤ実務官と一緒に何時間もかけて決めた計画だ。お前の予測通りか?」
俺は、羊皮紙から顔を上げ、カイルの真っ直ぐな瞳を見た。
「……いや」
俺は、降参するように短く息を吐き出した。
「違う。俺なら、手伝いを頼む相手まで先に決めていた。……それに、まだ俺に頼みたいことがあるとは、思っていなかった」
俺が素直に負けを認めると、エステルが一歩前に出た。
「レグさん」
彼女の声は静かだが、鋼のように芯が通っていた。
「私たちが困りそうだと思った時も、まず話してください。どうするか、一緒に考えたいんです」
「ああ、そうね」
ティナも腕を組み、冷ややかな視線を向ける。
「私たちは失敗もするし、世間から石を投げられて落ち込むこともあるわ。でも、それは私たちが自分の足で歩いている証拠よ。あなたが裏で勝手にクッションを敷いて回る必要なんてないの」
「とはいえだ、レグ」
カイルが、調理台に置かれた計画書を指差した。
「俺たちも、平和な世界ではまだ手探りの素人だ。制度のことや、裏で蠢く貴族たちの思惑なんてさっぱりわからない。……正直に言えば、俺たちの適応には、まだお前の悪知恵と、その嫌な目つきの分析力が必要な時はある」
カイルは紙をこちらへ向けた。
「だが、これからは勝手に分析して、勝手に答えを出して隠すな。分からないことがあれば、俺たち本人に聞け。どうしたいのか、何が嫌なのか、直接言葉で尋ねろ。……それができるなら、相談する相手として、少しずつまた頼みたい」
俺は、四人の顔を順番に見回した。
四人がどう感じているか、俺がひとまとめに決めることはできない。紙に書かれた依頼と、今言われた条件を、一つずつ受け止めた。
「……了解した」
俺は、白いエプロンの紐をギュッと結び直し、深く頷いた。
「次からは必ず、まずお前たちに聞く。俺の予測より、お前たちの言葉を優先する。……約束しよう」
その言葉を聞いて、張り詰めていた厨房の空気が、ふっと緩んだ。
「む」
ずっと黙っていたバルドが、不意に俺の背後の鍋を指差した。
「話は終わったか。ならば早くしてくれ。私はもう限界まで腹が減っている。シチューはまだか」
「……っ、ああ。もうできてる。今日はカイルが昨日買ってきたいい肉が入ってるぞ」
俺は思わず吹き出しそうになるのを堪え、おたまを手に取った。
「やったわ! 私の分は肉多めにしてよね!」
「ズルいですよティナさん、私にもお肉をお願いします!」
彼らは次々と皿を持ち、俺の前に列を作った。
俺はエプロン姿のまま、彼らの皿に温かいシチューをよそい、長机にパンの入った籠を置いた。
五人で囲む、停戦館の食卓。
言葉を探す間は、まだある。俺も、何を聞いてよいか迷う。
これは完全な赦しではないかもしれない。あの本が出版された傷が完全に消えたわけでもない。
だが、今日彼らが自分たちで書き上げた『やりたいこと』と『やらないこと』の計画書は、間違いなく彼らの未来への道標だった。
カイルが計画書を汚さないよう畳んだ。俺はそれを預かろうとして、手を止めた。
「写しをもらっていいか」
「明日渡す。これは俺たちの分だ」
俺は頷き、パンの籠を回した。




