第38話 分かったつもりだった
翌朝、マヤが用意した席に、四人が来た。
昨日の訓練を休んだことについて、誰も謝らなかった。謝る理由などない。
俺は机の上に、出版社とのやり取りを日付順に並べた。その横に、鍵付きの黒い野帳を置いた。
「まず、俺が知っていたことと、したことを全部説明する」
企画を知った日。刊行の保留を求めた日。
好物や癖については、本人に聞かずに修正案へ残してよいと答えたこと。
届いた校正の確認を先送りし、マヤへの報告を『確認中』のままにしていたこと。
読み上げるのに、大した時間はかからなかった。隠していた時間は長いのに、事実にすれば紙二枚だった。
「この野帳は、押収された原本とは別だ。終戦後、記憶と残ったメモから作った控えだ。仕事の面談記録ではない。これも、存在だけ見せて、内容の説明を避けていた」
バルドは野帳に目を落とした。手は伸ばさなかった。
「今、読めと言うのか」
「いや。読まない選択もできるよう、マヤに保管を頼みたい。必要なら、誰がどこまで見るか決めてほしい」
「俺は、お前たちを守ると言った」
四人の顔を見た。
「だが、それだけではなかった。説明して、今の生活から拒まれるのが怖かった。相談しない理由を、お前たちが傷つくからだと決めつけた。すまなかった」
カイルは、机の上の連絡票をめくった。
「『説明予定日』。空欄だな」
「ああ」
「いつなら言うつもりだった」
答えが出なかった。
編集が終わったら。校正が届いたら。刊行がなくなったら。
一つ終わるたび、次の理由を作ったはずだ。
「……決めていなかった」
「わかった」
カイルは紙を戻した。
「そこは、わかった。今すぐ許せるという意味じゃない」
マヤも立ち上がった。
「私にも、説明する責任があります。企画の存在は知っていました。全稿の確認と皆様への説明をレグさんに任せ、完了を確かめませんでした。皆様が同意を求めた時にも、保留案件を一覧にしてお見せすべきでした」
「あなたも、知っていたのですね」
エステルが言った。
「はい。私の落ち度です。今後、個人に関わる利用案件は、本人にも直接届く一覧にします。誰か一人の机で止めないように」
「その一覧、私たちが見られない記号だらけにはしないで」
ティナの声はまだ硬かった。
「内容と、誰が返事をするか。短く、それだけは書いて」
「そうします」
本については、四人が先に希望を述べた。
私生活を売り物にした追加の刊行には同意しない。既刊の販売停止を求める。公的記録を消去するのではなく、その商業利用と、本人が刊行を承認したかのような前書きを問題にする。
「私たちの反論を載せるために、もう一度細かい傷の話を聞き出されるのは嫌です」
エステルの言葉を、マヤがそのまま記録した。
復興院名義の訂正にも、四人は載せてよい範囲を指定した。手続きを進める窓口はマヤと法務担当。俺は記録を提出するが、四人に代わって交渉しない。
世に出た本を、すべて取り戻せるわけではない。そのことも、その場で確認した。
「俺は担当から外れた方がいいと思う」
そう口にすると、カイルが顔を上げた。
「それも、もう決めた話か?」
「……いや。希望と、判断を聞きたい」
「今まで通りには頼めない。でも、お前にしか説明できない記録を残したまま、いなくなられても困る。引き継ぎはしてほしい」
マヤが頷いた。
「人事上の扱いは別途審査します。当面、個別の計画や利用許諾を決める権限は停止します。資料への照会は私を通してください」
俺は了承した。
「その間の勤務は、厨房と庶務を提案します。ほかの部署を希望することもできます」
マヤは四人へ向き直った。
「同じ館にいることが負担なら、勤務場所も調整します」
沈黙の後、ティナが口を開いた。
「ここにいるだけで、追い出したいとは思わない。でも、勝手に予定を調べないで」
「約束する」
「飯を食いに来たら、仲直りしたことにするのもやめろよ」
カイルが言った。
「ああ」
俺は四人を見てから、マヤに答えた。
「厨房の勤務を受ける。引き継ぎもする」
それは許しではなかった。今日、何をするかが決まっただけだった。
午後、厨房で玉ねぎを刻んだ。
事務室では、四人とマヤが今後の予定を相談している。自分の名前が呼ばれるたび、手が止まる。だが、扉は開かなかった。
手伝えば早く済む。俺なら、申請の順番を知っている。
そう思いかけて、玉ねぎを一つ落とした。
俺の苦しさは、仕事が役に立たないからではない。飯は要るし、床も汚れる。それはこの半年、俺自身が何度も頼んできた仕事だ。
俺がいないところで話が進む。それが怖いのだ。
夕方、マヤが人数を書いた紙を持ってきた。
今日は三人が夕食を食べる。エステルは診療所の同僚と帰るという。
「献立は、その人数でお願いします。あなたの分も」
「わかった」
俺は四つの皿を出した。
全員が揃わない理由を推測しかけ、やめた。必要なら本人が話す。
食卓には、スプーンの音が続いた。
バルドが塩の瓶を取ろうとし、ティナの手とぶつかった。二人とも引っ込め、今度はカイルが瓶を取った。
「……回せばいいだろ」
彼は小声で言った。
笑い声は上がらなかった。それでも塩は端まで回った。
食後、厨房の流しに立っていると、カイルが自分の皿を持ってきた。
「明日、資料の場所を聞きたい。マヤも一緒で」
「何時だ」
「昼前」
「空けておく」
彼は頷き、帰っていった。
俺は明日の予定を、それ以上書き足さなかった。




