第35話 大魔導士、都市を作品にする
「見てよレグ、この完璧な数式の羅列! 魔力流のロスを極限までゼロに近づけた、私の最高傑作の青写真よ! これを見れば、王都の市民たちも私の偉大さにひれ伏すはずだわ!」
王都・旧市街の区民ホール。
大魔導士ティナ・ウェルドは、舞台の上に設置した特大の黒板の前で、チョークの粉にまみれながら興奮気味に鼻息を荒くしていた。
今日は、ティナと王都給水局が共同で考案した『小規模分散型・魔導インフラネットワーク』の周辺区画への拡張に関する、地域住民への説明会の日だ。
給水、照明、そして魔力タンクの運用を一つのネットワークに統合し、余剰魔力を区画内で融通し合うという画期的なシステムである。以前、復興院の予算会議で「見栄えがしない」と却下されかけたこの計画だが、大停電の夜にその実用性を強烈に見せつけたことで、無事に予算が下りていた。
「お前が理論に自信を持ってるのはわかった。だが、今日は市民への説明だぞ。学界の発表会じゃないんだから、もう少し噛み砕いて話せよ」
俺は舞台の袖から、パイプ椅子が並べられたホールを見渡した。
集まっているのは、旧市街に住む主婦や商店主、職人といった普通の市民たちだ。彼らは「大魔導士様が直々に説明をしてくれる」と聞いて、少し緊張した面持ちで開始を待っている。
「わかってるわよ。相手の理解度に合わせて啓蒙してあげるのも、上に立つ者の義務だもの」
ティナはコホンと咳払いをし、自信満々に教壇の中央へ歩み出た。
「皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます! これより、周辺区画へ広げる新インフラシステムについての説明を行います!」
パラパラと拍手が起こる中、ティナは指示棒で黒板の複雑な図形を指し示した。
「まず、本システムの核となるのは、第三位階の魔力波長を基点とした自律循環回路です。従来の単一指向性ポンプと異なり、各家庭のメーターに内蔵された小型蓄魔器から、位相を反転させた余剰魔力をループさせることで、負荷の局所的な偏在を相殺し……」
ティナの口から、機関銃のように専門用語が飛び出し始めた。
俺は頭を抱えた。噛み砕くと言った傍から、ゴリゴリの魔導力学の講義が始まっている。
「……さらに、フラクタル構造を用いた配管設計により、魔力摩擦係数を従来の〇・四パーセントにまで低減! 魔力を新たに生むわけではありませんが、余りを融通し、備蓄を長持ちさせるのです! さあ、何か質問はありますか!?」
ティナがドヤ顔で胸を張る。
しかし、ホールを埋め尽くす市民たちの顔には、理解の光など微塵も灯っていなかった。
全員が、完全に、ポカンとしている。
やがて、最前列に座っていた八百屋の親父が、おずおずと手を挙げた。
「あー……大魔導士様。俺たちには難しい数式のことはさっぱりわからねえんですが……」
「どこがわからないの? 位相反転のプロセス?」
「いや、そうじゃなくてですね。……で、結局のところ、どこがどう光って、俺たちの生活の何が変わるんでしょうか?」
極めて素朴で、そして本質的な質問だった。
彼らが知りたいのは「魔法の原理」ではなく「自分の日常のメリット」だ。
「えっ? だから、魔力波長が最適化されて、インフラのロスが減るのよ。図面のここを見ればわかるでしょ?」
ティナがムキになって黒板を叩くが、市民たちの首の傾きは深くなるばかりだ。
このままでは、ただの自己満足の発表会で終わってしまう。
見かねた俺は、舞台の袖からため息をつきつつ歩み出た。
「ティナ、少し代われ。俺が通訳してやる」
「レグ? あなたに魔導力学が説明できるの?」
「一般人に伝わればいいんだろ。要は、構造の強みと目的を明確にすればいいんだ」
俺は市民たちの前に立ち、かつて魔王軍で部下たちに作戦を叩き込んでいた時のように、低い声でハッキリと言い放った。
「皆の者、よく聞け。大魔導士の言っていることを端的に翻訳する。要するにこのシステムは、旧魔王軍が用いた『局地的な兵站網の構築』だ」
「へ、へいたん?」
「そうだ。今までは王都の中央から一本の太い補給線で魔力を送っていたが、これからは各区画が独立した補給拠点を持つことになる。いいか? これの意味するところは、万が一敵の奇襲や工作によって中央の魔力炉が完全に陥落したとしても、第七区画と同じように、それぞれの区画が独立して稼働し、水と光を絶やさずに『使用量を絞れば四十八時間、籠城戦を戦い抜ける』ということだ。防御陣地としては極めて強固になる」
俺がビシッと指を突きつけて解説を終えると。
市民たちの顔が、一気に青ざめた。
「ろ、籠城戦!?」
「敵の奇襲!? 王都の中央が落ちるって、また戦争でも起きるのか!?」
「今日は災害への備えの説明じゃなかったのか?」
会場が、先ほどのポカンとした空気とは打って変わって、斜め上のパニック状態に陥り始めた。
「ちょ、ちょっとレグ! あなた何言ってんのよ! 私の美しいインフラ作品を、物騒な軍事要塞みたいに言わないで!」
「事実だろうが! 独立稼働のレジリエンスを説明するには、攻城戦の比喩が一番手っ取り早いんだよ!」
「余計に混乱してるじゃない! あんた、人間の心理ってものを計算に入れ忘れすぎよ!」
「お前にだけは言われたくない!」
戦術オタクの大魔導士と、職業病の抜けない元・勇者対策官。
インフラの専門語と、軍事の戦術語。
俺たちは二人揃って『一般市民の生活感覚』という最大の変数を計算に入れ忘れ、見事な共同失敗を演じて会場をさらに深く困惑させてしまった。
「……えー、皆様、落ち着いてください。大魔導士様と対策官殿の言うことは、一旦全部忘れましょう」
パニック寸前の舞台に割って入ったのは、泥だらけの作業着を着た、給水局の現場技師長だった。
技師長は黒板の前に立つと、ティナが徹夜で書いた美しい数式の羅列を、黒板消しで容赦なく半分ほど消し飛ばした。
「ああっ! 私の数式が!」
「ティナ様、黙っててください。……いいですか、皆の衆!」
技師長は、黒板をバンバンと叩きながら、ホールに響き渡る野太い声で叫んだ。
「この新しい仕組みが入ると、どうなるか! つまり、雨が降って魔力網が乱れた日でも、蛇口から出る水圧が下がらずに勢いよく水が出るってことだ! 夜中にトイレに起きた時でも、街灯の灯りがチラつかずに消えねえってことだ!」
市民たちの顔に、パッと理解の光が灯った。
「おまけに!」
技師長はニヤリと笑って、決定的な一言を放った。
「試験区画では、運転費を二割ほど抑えられそうだ。設備の更新費を積み立てた残りから、料金にも還元したい! 今すぐ二割引きとは約束できねえが、まずは冬まで測って、いくら下げられるか公表する!」
瞬間。
「おおおおおおーっ!!」
それまでで一番大きな拍手が、ホールに広がった。
「すげえ! さすが大魔導士様だ!」
「下がる見込みがあるのか。そりゃ、数字を見せてもらいたいね!」
市民たちは立ち上がって拍手喝采し、先ほどのパニックは嘘のように消え去っていた。
俺とティナは、舞台の袖でポカンと口を開け、そして同時に深く肩を落とした。
「……負けたわ。私の数式より、あのおじさんの一言の方がずっと伝わってる」
「『正しい説明』と『伝わる説明』は違うということか。……一本取られたな」
俺たちが敗北感に打ちひしがれていると、技師長はさらに言葉を続けた。
「配管の外には、修理しやすい支持枠も入れた。ガラン工房の職人たちとバルド様が作った品だ。管の中身は俺たち、外から支える枠は職人。それぞれ点検する場所も決めてある!」
「おおーっ! 剣聖様まで!?」
英雄同士の仕事が、インフラという一つの作品の中で交差している。
その事実に、市民たちの歓声はさらに大きくなった。
ティナは悔しそうにしながらも、自分が設計した都市という作品が、確実に市民の生活に根付き、受け入れられた光景を前に、最後はどこか誇らしげに小さく笑っていた。
説明会の帰り際、技師長は郊外の地図も広げた。
「旧戦場から来る異常値、まだ収まらん。非常用の放流路は飲み水の管から切り離して、この旧採石場へ通す。立入区画も確認しておこう」
「ええ。自治領の観測値と、もう一度照合するわ」
ティナは、市民向けに描き直した図を畳んだ。
翌週。
停戦館の事務室にやってきた英雄事業部のラザル部長は、手元の書類を食い入るように見つめ、唸り声を上げていた。
「……試験区画の運転費で、約二割の削減か。設備費の回収には何年かかる?」
彼が見ているのは、ティナの分散型インフラ網がもたらす『維持費削減効果』の試算書だった。
「料金への還元と、更新費の積立を先に引く。その残りの一部を、復興基金へ回せるか検討したい。全市で同じ効果が出るとは限らないが、確かめる価値はある」
ラザルの瞳に、強い光が宿った。
先日の資金見通しで、遅れるおそれがあるとされた「橋や孤児院の予算」。
もし、このインフラの改善によって新たな財源を生み出すことができれば、英雄たちに無理やり肖像を売らせたり、見世物にしたりせずとも、復興の資金を回せるかもしれない。
それは、重苦しい制度との戦いの中で見つけた、小さくも確かな『代替財源の芽』だった。
「……レグ対策官。大魔導士殿のこの技術、もっと大々的に推進する価値があるな。事業部としても全面バックアップしよう」
「その条件を、給水局とティナにも説明してくれ。現場の作業時間を見積もるのは、あいつらだ」
俺は素っ気なく返しつつ、心の中で小さくガッツポーズを作った。
英雄たちが普通の仕事で見つけた技術と居場所が、少しずつ、社会の縛りを解きほぐす力になり始めている。
俺は、今夜の夕食の席で、ティナのプレゼンの下手さをからかってやろうと考えながら、窓から差し込む明るい日差しに目を細めた。




