第32話 英雄が来なくなると困る町
「いらっしゃいませぇ! 魔王軍の幹部を一刀両断にした剣にあやかった『勇者の剣まんじゅう』だよ! 魔除けのお守りもどうだい!」
「こちらには聖女様が身を清めた泉の水を瓶詰めにした『祈り水』がありますよ! 万病に効くと評判です!」
王都から馬車に揺られること半日。
辺境の町『グライル』の大通りは、まるで毎日が祭りのような凄まじい活気と喧騒に包まれていた。
道の両脇には土産物屋がひしめき合い、真新しい看板を掲げた宿屋や食堂には、王都からの直通馬車でやってきた観光客たちがひっきりなしに出入りしている。
グライルはかつて、黒冠戦争の最前線に位置し、四英雄が魔王軍の強力な幹部を打ち倒した激戦地だ。戦後は復興院・英雄事業部の主導のもと、『英雄討伐地巡礼』の最大の目玉として宣伝され、戦跡観光によって急速に息を吹き返した町だった。
「……すごい熱気ね。でも、なんだか居心地が悪いわ」
フードを目深に被ったティナが、大通りに並ぶ『大魔導士の炎カレー』という赤い看板を見て顔をしかめた。
「私もです。あの『祈り水』……私は一度もこの町の泉で身を清めたことなどないのですが」
エステルも、困惑したように土産物屋の瓶を見つめている。
「その効能は放っておけんな。マヤ、表示を記録しておいてくれ」
俺は周囲を警戒しながら、先頭を歩くカイルの背中を急かした。
先日、復興基金で建った学校を視察し、自分たちの名前が実際に誰かの未来を作っていることを知った四人。今回は商業組合からの相談を受け、四人が同席を希望した。英雄の名前で回る金がどこへ行くのか、まだ知りたいことがあるという。
「お待ちしておりました! 四英雄の皆様、そして適応室の皆様!」
町の中央にある大きな宿屋の宴会場に案内されると、グライルの町長をはじめとする商店主たちが、豪華な昼食のテーブルを用意して待ち構えていた。
「さあさあ、どうぞお掛けください! 本日は皆様が直々にこの町を訪れてくださると聞き、町を挙げて歓迎の準備をしておりました!」
町長は揉み手をしてカイルたちを上座に案内する。
だが、その張り付いたような笑顔の裏に、どこか余裕のない、焦りのような色が混じっているのを、俺は見逃さなかった。
食事が進み、ひとしきり昔の戦いの思い出話に花が咲いた後。
町長が、急に声を潜めて本題を切り出してきた。
「……カイル様。実は最近、王都の新聞や商人たちの噂話で、ひどく気がかりなことを耳にしましてな」
「気がかりなこと?」
カイルがフォークの手を止める。
「はい。なんでも、勇者様たちが近々第一線を退き、完全に『引退』されるかもしれない、と。……あ、いえ、もちろん長年の激務、お休みになられるのは当然の権利であると理解しております。ですが……」
町長は、周囲の商店主たちと顔を見合わせ、悲痛な顔を作った。
「もし皆様が引退し、王都の新聞からお名前が消えれば……この町への『巡礼』の熱は、あっという間に冷めてしまいます。我々はこの戦跡観光のために、借金をして宿を広げ、土産物の在庫を抱え込んでいるのです」
「客が来なくなれば、この町は終わりです! どうか、引退なんてなさらないでください!」
商店主の一人が、テーブルに手をついて懇願した。
「勇者様! あなたがたは、このグライルの町の命綱なんです! これからもどうか、我々のために英雄であり続けてください!」
その言葉は、純粋な感謝ではない。
明日を生きていくための、絶対的な経済の担保としての『依存』だった。
カイルの顔色が変わった。
カイルは膝の上の手を握った。資金不足の一覧を見た時と、同じ仕草だった。
基金の収入が減れば、橋の追加修繕や学校の予算が足りなくなる。
そして今度は、目の前の生身の人間から「あなたが引退すれば、私たちは干上がって死ぬ」と泣きつかれているのだ。
戦場で誰かが倒れそうになれば、常に自分が前に出て庇ってきたカイル。
「自分が背負わなければ、仲間が死ぬ」という強烈な呪いにかかっている彼にとって、この町民たちの懇願は、あまりにも効きすぎる猛毒だった。
「……っ」
カイルは、ギリッと奥歯を噛み締め、立ち上がった。
「わかった。安心しろ。俺たちは引退なんかしない。お前たちの借金も、この町の生活も、俺が……」
「カイル様」
カイルがすべてを背負い込む自己犠牲の言葉を紡ぎ切る前に。
氷のように冷たく、鋭い声が、宴会場の空気を一刀両断にした。
マヤ実務官だった。
彼女は手元の記録板から目を上げず、カイルの言葉をピシャリと遮った。
「その約束をする前に、借入額と返済期限を確認させてください」
カイルの手が止まった。
「気持ちだけで引き受けても、実行できなければ、この町がもっと困ります」
マヤは町長にも向き直った。
「復興院が巡礼事業を勧めたのは事実です。当時の需要予測が、ずっと続くように説明されていたなら、こちらも検証しなければなりません」
「そうです! 観光客は増えると、担当の方が……」
「その資料もお預かりします。ただ、英雄の皆様が生涯出演し続ける契約にはできません。返済条件の見直しと、ほかの収入を一緒に考えさせてください」
商店主たちが互いの顔を見た。一人が、鞄から折り畳んだ帳面を出す。
「宿を建てた大工たちも、仕事がなくなり始めてる。前は農具の修理をしていたんだが」
「修理なら、仕事はある」
バルドが口を開いた。
「ただし私が全部紹介するとは約束できん。親方に、余っている注文がないか聞く。運ぶ費用も調べよう」
別の主人は、宿の空き部屋を収穫期の荷運び人に貸せないかと言った。町の北には、戦時中に途絶えた穀物市への道があるらしい。
「その道、給水管の点検地図にあったわ。復旧状況は設備局に聞ける」
ティナが帳面の端に地名を書いた。
すぐに借金が消える提案ではない。町長の顔に安堵は戻らなかった。それでも話の主語は、少しずつカイル一人から外れていった。
「あと、祈り水の表示について、お話があります」
エステルの声で、土産物屋の主人が背筋を伸ばす。
「飲めば病気が治る、という宣伝はやめてください。私が使った泉だという話も違います。お土産を作ることと、治療の約束をすることは別です」
「……わかりました。看板は、外します」
マヤは翌日の確認を現地の担当者に頼んだ。気まずさも、返済の不安も、昼食の席だけでは片づかなかった。
帰りの馬車の中。
町を出る時、町長は次回の相談日が書かれた紙を握っていた。笑顔はなかったが、帳簿を用意すると言った。
「……マヤ実務官」
馬車の窓から、遠ざかる戦跡の町を見つめながら、カイルが絞り出すように口を開いた。
「あんたの言っていることは、頭ではわかる。あいつらの自立を妨げてはいけないし、俺が一生面倒を見るなんて不可能なこともわかってる。だが……」
カイルは、自分の大きな両手で顔を覆った。
「俺の責任じゃないと言われても……現に俺の名前のせいで、あいつらが借金を背負って苦しんでいるのは事実だ。……俺は、どうすればいいんだ。見捨てればいいのか? それとも、俺が一生『英雄』の仮面を被って、ピエロみたいに笑い続ければいいのか?」
「その二つだけでは、ないと思います」
マヤは預かった帳簿を抱え直した。
「ただ、別の方法がいつまでに間に合うかは、まだわかりません。私が窓口になります。返事が遅れていたら、催促してください」
「俺にもできることはあるか」
「それも、調べた上で相談します」
カイルは頷いた。それからしばらく黙り込み、小さく言った。
「断った後も、相談していいんだな」
俺は返事をしかけて、やめた。マヤが彼自身に頷くのを見た。
馬車の揺れに合わせ、鞄の中で帳簿が重い音を立てた。




