第31話 英雄の名前で建った学校
復興事業の資金不足について話し合ってから、三日後。
停戦館の事務室は、お通夜のように重苦しい沈黙に包まれていた。
昨日から、カイルたちはろくに口をきいていない。無理もないだろう。収入が減ればどの事業を後回しにするか。四人は毎日、その一覧を眺めていた。
「……マヤ実務官。今日はもう、彼らの職業体験は休みにしよう。この精神状態じゃ、どこに行っても事故を起こす」
俺が小声で提案すると、マヤ実務官は手元の書類をトントンと揃え、静かに立ち上がった。
「まず、皆様に聞きましょう」
マヤは四人の机に二つの紙を置いた。
「今日は予定を休むこともできます。その上で、基金で再建した学校から視察の申し出があります。現場の話を聞きたい方だけ、私と来ていただけませんか。取材はありません」
「それは、またサインを頼まれるのか」
「今日は頼みません。村にもそう伝えています。教員の給与や冬の暖房費について、帳簿も見せてもらえます」
カイルは三人を見た。ティナが「灯りも見たい」と言い、エステルは少し考えてから頷いた。
「私は、床を見たい」
バルドの返事だけがひどく具体的だった。
四人の希望を確認してから、マヤは馬車の手配をした。
王都から馬車に揺られること約一時間。
俺たちが到着したのは、王都近郊の長閑な農村だった。だが、村のあちこちには、まだ戦争の爪痕である焼け焦げた建物の基礎や、崩れた石壁が残っている。
その村の中心に、不自然なほど真新しく、立派な二階建ての木造建築が建っていた。
「ここは……」
馬車を降りたエステルが、その建物を見上げる。
そこからは、まだ新しい木の心地よい香りと共に、数十人の子どもたちの元気な声が響いてきた。
「ようこそおいでくださいました、四英雄の皆様! そして適応室の皆様!」
俺たちの到着を待ち受けていたように、白髪の村長と数人の教師たちが、満面の笑みで駆け寄ってきた。
「ここは、戦火で焼け落ちた後、先月ようやく再建が完了した村の学校です。皆様が直々に視察に来てくださるとは、夢のようです!」
村長は、カイルたちの手を取らんばかりの勢いで深々と頭を下げた。
「勇者様たちのお名前を冠したグッズの収益や、王都で販売された魔導写影の売り上げが復興基金に回ったおかげで、ようやくこの学校を建て直すことができました。子どもたちも、また屋根の下で勉強できると大喜びしております。本当に、本当にありがとうございます!」
その言葉に、カイルは弾かれたように息を呑んだ。
自分たちが見世物にされ、商品化されることが不快だと、先日の会議で憤っていた自分たちの『名前』の売り上げ。
それが単に復興院の役人の懐に入っているわけではなく、物理的な建造物となり、目の前の村の未来を支えているという紛れもない事実が、そこにあった。
「さあさあ、中へどうぞ! ちょうど授業中ですが、子どもたちも皆様に会いたがっております!」
教師に案内され、俺たちは真新しい校舎の中へと足を踏み入れた。
廊下を歩く足音が、木の床に心地よく響く。
教室の扉が開かれると、黒板に向かっていた二十人ほどの子どもたちが一斉に振り返った。
そして、入り口に立つ四人の姿を見るなり、教室中が割れんばかりの歓声に包まれた。
「あーっ! 勇者様だ!」
「剣聖のおじちゃんもいる! でっかい!」
「聖女様、すっごく綺麗……!」
子どもたちが椅子を蹴立てて駆け寄り、あっという間に四英雄を取り囲んだ。
王都の大通りを歩いた時に向けられるような、下世話な好奇心や、「無料で治してくれ」というような身勝手な欲求の視線はない。
そこにあるのは、絵本の中の存在に会えたような純粋な憧れと、溢れんばかりの感謝だけだった。
「勇者様、魔王を倒してくれてありがとう! 俺、大きくなったら勇者様みたいな強い兵士になるんだ!」
鼻に絆創膏を貼った少年が、カイルを見上げて目をキラキラさせている。
カイルは戸惑いながらも、その大きな手で少年の頭をそっと撫でた。
「ありがとう。強くなるのもいいけど、今はほかにも色々やってみろよ。俺は最近、木の削り方を教わった」
「あのね、大魔導士のお姉ちゃん!」
三つ編みの少女が、ティナのローブの裾を引っ張った。
「私、字を書く練習がいっぱいできるようになったの! 前の学校が燃えちゃった時は、地面に枝で書いてたんだけど……今は新しい机と、紙があるから!」
少女が指差した先には、復興院から支給されたと思われる真新しい木の机と、何冊ものノートが積まれていた。
「……そう。たくさん勉強して、賢くなりなさい。数式は裏切らないからね」
ティナは少し目を細め、少女の頭を撫でながら、天井を明るく照らしている小型の魔導灯を見上げた。インフラがいかに人の日常を豊かにするかを知っている彼女にとって、その光景は深く胸に刺さったはずだ。
バルドもまた、子どもたちに「その剣、触っていい?」と聞かれて「剣は触らせられんが、木の犬ならあるぞ」と真面目に答えながら、真新しい木造教室の柱や窓枠の建付けを、職人のような目で感心したように観察していた。
エステルは、小さな子どもたちと同じ目線になるようにしゃがみ込み、「今は何を習っているんですか?」と一人ひとりの顔を優しく覗き込んでいる。
彼らは皆、自分たちの名前がもたらした『結果』の真ん中で、複雑な感情を抱えながらも、子どもたちの笑顔に静かに応えていた。
「先生の給与は村の税収で、教材と暖房の不足分が基金です。建物があれば終わり、ではないんですね」
廊下で、マヤが帳簿の写しを閉じた。
「英雄の商品が明日売れなかったら、明後日には授業ができない。そんな予算には、したくありません」
「予備費は?」
「この冬までは補えます。来年度の恒常的な支出に、臨時の収入を当て続けているのが問題です」
校庭では、バルドが木の犬を配り終えていた。一匹だけ、先生に熊と判定されている。
「今日、連れてきてよかった、と私が決めてしまっても駄目ですね」
マヤは帳簿を鞄にしまった。
「帰りに、皆様にも聞きます」
数時間の視察を終え、村人たちからの盛大な見送りを受けて、俺たちの馬車は王都への帰路についた。
夕日に染まる田園風景を、窓からぼんやりと眺めていたカイルが、静かな声で口を開いた。
「……俺たちの名前は、ちゃんと役に立っていたんだな」
「カイル……」
「ラザル部長から見せられたリストの事業が、こんなに具体的な形になって目の前に現れるとは思わなかった。……ズルいやり方だ」
カイルは自嘲気味に笑ったが、その声は、停戦館を出る前より落ち着いていた。
ティナも、膝の上で腕を組んで目を閉じていた。
「あの灯り、古い型だったわ。交換できれば、充填代が少し下がる。でも、それだけで先生の給料が出るわけじゃない」
「誰かに別の負担を全部移しても、同じことですしね」
エステルが膝の上で手を重ねた。
「来て、どうでしたか」
マヤが尋ねた。
「嬉しかった。それと、断りにくくなった」
カイルは窓の外を見たまま答えた。
「だから、今日この場で何か約束するのはやめておく。あの学校は残したい。それと、俺が何に出るかは分けて考えたい」
「わかりました。学校の継続費は、私が財務課に持ち帰ります」
バルドが、残った木の熊を膝に置いた。
「私は、次に行く時は犬を直したい」
それについては、誰も予算表を持ち出さなかった。




