第27話 剣聖が家具を作ると笑われる
夏の日差しが照りつける王都の大広場は、熱狂の渦に包まれていた。
戦後初めて、恒例の夏市と合わせて開催された『英雄記念祭』。復興院・英雄事業部が総力を挙げて企画したこの大イベントには、連日、王都のみならず近隣の街からも大勢の市民が押し寄せていた。
広場の中央には巨大な展示ブースが組まれ、戦時中の彼らの武功を讃える大袈裟な絵画や、魔王軍から鹵獲した武具のレプリカなどがこれでもかと並べられている。
今日の催しは『剣聖バルドの木工実演』。本人の希望で演武から変更され、入り口にも訂正札が出ていた。だが、町のあちこちには剣を掲げた古い宣伝画が残っている。
「ついに生で見られるぞ! 魔王の居城の城門を一刀両断にしたっていう、伝説の剣閃がよ!」
「いやあ、楽しみだねえ。やっぱり祭りの花形は武術の演武に限るよ!」
観客たちは興奮し、今か今かと主役の登場を待ちわびている。
俺とマヤ実務官は、広場の端に設けられた運営テントから、その凄まじい熱気を見下ろしていた。
「演目の変更が、十分には伝わっていませんね」
マヤ実務官が、書類板を抱えながら少し不安そうに言う。
「入り口の告知だけじゃ足りなかったな。始める前にも説明してもらおう」
俺が鼻で笑ったその時、広場に大きなファンファーレが鳴り響き、司会者が声を張り上げた。
「皆様、お待たせいたしました! 我がアルディナ王国が誇る最強の剣士、剣聖バルド・グレン様の登場です!」
うおおおおっ! という地鳴りのような歓声が上がる。
だが。
ブースの奥から姿を現したバルドを見た瞬間、観客たちの歓声は、まるで喉に餅が詰まったかのようにピタリと止まった。
バルドの背中には、トレードマークである無骨な大剣がなかった。
代わりに彼が両手で大事そうに抱えてきたのは、木製の分厚い『丸椅子』と、大きな麻袋だったのだ。
バルドは展示ブースのど真ん中にドスンと丸椅子を置くと、麻袋の中から、修復された小さな棚の引き出しや、いくつかの木工作品を取り出して、几帳面に並べ始めた。
「本日は演武に代わり、バルド様ご自身の希望による木工実演をお送りします。では、まずその椅子のお話を」
司会者が冷や汗を流しながらマイクを向ける。
バルドは真面目くさった顔で、大きく頷いた。
「私は今、剣を置いている。ここ数ヶ月、家具工房で職人の親方の指導を受け、木材の欠点を『残し、直す』仕事を見習いとして学んでいる最中だ」
バルドは、自分が切り出した丸椅子を誇らしげにポンと叩いた。
「これが、私の今の仕事だ。今日は、私の剣ではなく、これを見てほしい」
広場は、水を打ったような静寂に包まれた。
魔獣を真っ二つにする華麗な剣技を期待していた大人たちにとって、目の前の光景はあまりにも予想外すぎた。
「……なんだよ、それ」
最前列にいた恰幅の良い男が、ポツリとこぼした。
「剣聖が、大工仕事? そんな地味なもん見せられて、どうしろっていうんだ」
「ははっ、なんだよ。魔王を倒したら、すっかり丸くなっちまったのか?」
落胆の声が波紋のように広がり、やがてそれはパラパラとした失笑に変わった。
「だめだこりゃ。帰って酒でも飲もうぜ」
「期待外れもいいとこだ」
剣を見たくて足を運んだ人には、変更が残念なのも当然だ。見てもいない木工の価値まで下がるわけではないが。
ブーイングすら起きない冷めた空気の中、大人たちが蜘蛛の子を散らすようにブースから離れ始めた。
「……宣伝の訂正をもっと早くすべきでした」
マヤ実務官が頭痛を堪えるようにこめかみを押さえる。俺も「まあ、そうなるだろうな」と苦笑するしかなかった。
だが。
大人たちが去って少し見通しが良くなったブースの最前列に、ぽっかりと取り残された集団があった。
広場の前方を陣取っていた、十数人の子供たちだ。
彼らは大人たちの落胆の空気など一切お構いなしに、目をキラキラと輝かせてバルドの展示物に群がった。
「すっげー! おじちゃん、これ全部一人で作ったの!?」
一人の少年が、バルドの丸椅子によじ登ろうとした。
「座るものだ。立つのは駄目だぞ」
バルドは椅子を押さえ、少年が腰を下ろすのを待った。
「全部ではない。脚の仕口は親方に直してもらった。私が仕上げたのは座面だ」
少年は尻をずらし、短い足をぶらつかせた。
「つるつるだ。服が引っかからない!」
バルドの胸が、わずかに張った。
「ほんとだ! 全然グラグラしない! すごい!」
「こっちの木の人形もすごいよ! なんだかちょっと歪だけど、かっこいい!」
子供たちは、木工所でバルドが余った端材で作った不格好な木彫りの動物たちに群がり、次々と手に取って遊び始めた。
子供たちにとって、彼が魔王をどうやって倒したか、剣技がどれだけ凄いかなんて、そんなに重要なことではない。
目の前に「すごく頑丈な椅子」があり、「面白い形のおもちゃ」がある。それがすべてだった。
「ねえねえ、おじちゃん!」
一人の少女が、バルドのズボンの裾を引っ張った。
「これ、熊さんでしょ? じゃあ、犬も作れる? 私、犬のおもちゃが欲しい!」
「ぼ、僕には木で剣のおもちゃを作ってよ! 剣聖様が作った剣なら、絶対に折れない最強の剣だよね!」
次から次へと飛んでくる、遠慮のない素朴な注文の嵐。
敵軍のいかなる奇襲にも動じなかった剣聖が、殺気の一切ない純粋な好意と要求の波に飲まれ、本気でオロオロと戸惑い始めた。
「い、犬か? 犬の重心は……四足歩行だから、前後の脚のバランスが……いや、剣のおもちゃなら重心は手元に置くべきか……待て、一度に言われると処理しきれん!」
バルドは係員に頼んで子供たちを作業台から離し、注文を紙に書いてもらった。それから腰のナイフを取り出し、端材を削り始めた。
その巨体を丸め、太い指先でちまちまと木片を削る姿は、控えめに言ってもかなり滑稽だ。
「わあ! おじちゃん、削るの早ーい!」
「もっとかっこいい犬にしてね!」
バルドが木片の向きを変えるたびに、子供たちが「おおーっ!」と歓声を上げる。
その騒ぎを聞きつけて、一度は立ち去りかけた大人たちも、何事かと再び足を止めて振り返った。
そこには、子供たちに揉まれ、変な汗をかきながら必死に木彫りの犬を作っている「最強の英雄」の姿があった。
「……おいおい、何やってんだよ、あの剣聖様」
「あんなでかい図体して、木彫りの人形作りかよ」
最初は嘲笑に近かった大人たちの声が、バルドのあまりにも真剣で不器用な姿を見ているうちに、次第に柔らかいものへと変わっていく。
「……なんだよ。魔王倒した英雄様たちも、ただの不器用な兄ちゃんなんじゃねえか」
誰かがフッと噴き出すと、それが連鎖するように、広場全体に温かい笑い声が広がり始めた。
演武を待っていた客の全員が戻ったわけではない。だが、そこには恐怖も畏敬もない、ただの「親しみやすい近所の職人のおじさん」に向けられる、穏やかで平和な空気が流れていた。
「……どうやら、最高の展示になったみたいだな」
俺が言うと、マヤ実務官も「残りの時間は、木工の展示だと入口でも呼びかけてもらいましょう」と、微かに口角を上げてメモを取った。
その夜。
停戦館の厨房で、遅めの夕食を囲んでいた五人。
バルドの展示は一日限りの予定だったが、結局、夕方までおもちゃをねだる子供たちの列は途切れなかったらしい。
「お疲れ様でした、バルドさん。今日は大盛況だったそうですね」
エステルがスープをよそいながら微笑むと、バルドは疲れたように首を回し、だがその目は静かな熱を帯びていた。
「……あんなに大勢の子供に囲まれたのは初めてだ。魔獣の群れより対応が難しかったぞ」
カイルとティナが、それを聞いてゲラゲラと笑う。
俺はコーヒーを飲みながら、バルドに尋ねた。
「大衆が期待していた剣技を見せずに笑われたこと、後悔してないか?」
俺の問いに、バルドは自分のゴツゴツとした両手をじっと見つめた。
かつては、何かを切り捨てることしか知らなかった手。
「後悔など、あろうはずがない」
バルドは、力強く、そして確かな満足感を込めて言った。
「剣を振るって恐れられるよりも……私の作った椅子に子供が座り、笑顔を見せてくれたことの方が、私の心はずっと満たされたのだから」
それは、彼が「他人が期待する英雄としての評価」ではなく、「自分が作ったものが誰かの日常を支えた」という事実を、自分自身の喜びとして明確に選び取った瞬間だった。
「レグ」
バルドは顔を上げ、俺を真っ直ぐに見据えた。
「明日も、私が展示の当番をやろう。まだ、注文をもらった木彫りの犬を作り終えていないからな。あの子たちを待たせるわけにはいかん」
俺は、思わず目を見張った。
木工所の予定と調整する必要はある。だが、先に俺が用意するはずだった明日の欄を、バルドはもう自分で埋め始めていた。
「……そうか。じゃあ、明日は木端を多めに用意しておかないとな」
俺がニヤリと笑って答えると、バルドも嬉しそうに深く頷いた。
「ただし、犬は一日に三匹までだ」
バルドが付け足した。
「熊になる確率は?」
「……親方に、犬の顔を教わってくる」




