第26話 大魔導士は地味すぎる
「……以上が、私と王都給水局が共同で設計した『小規模分散型・魔導インフラネットワーク』の全容よ。初期投資はかかるけれど、五年かけて整備すれば、対象区画の運転費を下げられる見込みよ。今日は、その試算を出すわ。完璧な数式でしょう?」
王都復興院の大会議室。
巨大な黒板の前に立った大魔導士ティナ・ウェルドが、チョークの粉を払いながら自信満々に胸を張った。
彼女が提示したのは、王都の給水と照明、そして魔力タンクの運用を根本から見直す改善案だった。中央の巨大な魔力炉から強引に全体へ魔力を流し込むのではなく、各区画に小さな蓄魔設備を分散配置し、余剰魔力を自律的に融通し合うという、極めて合理的で洗練されたシステムだ。
俺は壁際で腕を組み、審査委員席に並ぶ復興院の役人たちの反応を伺った。
彼らは配られた分厚い資料をめくり、ヒソヒソと耳打ちを交わしていたが、その顔には「感動」や「称賛」の色は微塵もなかった。
やがて、審査委員長を務める恰幅の良い役人が、重いため息をついて口を開いた。
「ティナ様。計算式が正確であることは、我が院の技師からも聞いております。しかし……なんと言いますか、夢がないのですよ」
「は?」
ティナの眉がピクリと跳ね上がった。
「夢? インフラの維持に夢なんて要らないわ。必要なのは安定性と効率よ」
「そうは言いますがね」
役人は指を組み、渋い顔で首を振った。
「市民は、魔王を討ち取った大魔導士様がインフラ整備に乗り出したと聞いて、もっとこう……ド派手な大魔法で、王都全体が一瞬にして光り輝くような、途方もない『奇跡』を期待しているのです。それが、各区画の古い配管に小さな魔法陣を刻むだけ? 魔法を使っているところすら市民の目に見えないじゃないですか」
「だから、見えないから効率がいいんじゃない! 派手に光らせたら魔力の無駄遣い――」
「見栄えがしないのですよ!」
役人は机をバンと叩いた。
「この枠は寄付を集める記念事業の予算です。維持費削減が出るのは先でしょう。初期費用をどこから出すか、別の部署との調整が要る。一般の設備更新として、再審査に回します」
審査委員たちは冷ややかに立ち上がり、会議室を出ていった。
残されたティナは、わなわなと肩を震わせ、手にしたチョークをボキリとへし折った。
「……信じられないわ。あいつら、インフラをなんだと思ってるのよ! 花火大会の仕掛けじゃないのよ!」
「怒るな、ティナ。あれが政治と広報の世界だ」
俺は肩をすくめ、彼女に水筒を投げ渡した。
「寄付を増やす枠から出すには地味すぎて、設備更新の枠にはまだ実績が足りない。必要なものが、予算の境目で止まってる」
「故障してからじゃ遅いのに。……実績なら、試験区画の数字をもっと持ってくるわ」
ティナは不満を爆発させながら、ズンズンと廊下を歩いていく。
彼女はもう、魔王軍を吹き飛ばす「最大出力」の呪縛からは解放されている。だが、平和な世界で『必要十分な地味な仕事』の価値を認めてもらうには、まだ少しだけ「結果」を示す機会が足りていないようだった。
その日の夜。
停戦館の厨房で、ティナは予算会議の愚痴をこぼしながら、カイルの買ってきた果実のゼリー寄せをやけ食いしていた。
「だいたいね! 一極集中のインフラなんて、中央がやられたら一発で終わりじゃない! リスク分散の基本もなってないのよ!」
「まあまあ、ティナ。俺には魔法のことはよくわからないが、お前のやってる作業はすごいと思うぞ」
カイルが苦笑いしながら宥め、エステルがお茶を淹れる。
俺が今日の報告書をまとめようとペンを取った、その時だった。
フッ……と。
停戦館の厨房を照らしていた魔導灯が、瞬きすらせずに完全に消滅した。
「お?」
カイルが声を上げる。窓の外を見ると、王都全体を包んでいた光の海が、まるで巨大な黒い布を被せられたかのように、端から順番に次々と闇に飲まれていくところだった。
「停電か?」
「ええ……。中央魔力炉の出力が、完全に落ちたわね」
ティナが、暗闇の中で瞳に魔力の光を宿しながら呟いた。
王都全体を巻き込む大ブラックアウト。夜の商業区や歓楽街はパニックに陥っているはずだ。
俺たちは慌てて外に飛び出し、停戦館の近くにある高台へと駆け上がった。
見下ろす王都は、不気味なほどの暗闇に包まれていた。市民たちの悲鳴や、混乱する馬車の音が遠くから聞こえてくる。
「……待て。ティナ、あれを見ろ」
俺は、暗闇の王都の一角を指差した。
真っ暗な海の中で、ポツンと、一つの区画だけが煌々と光を放っていたのだ。
それは、俺たちがよく知る旧市街の第七区画周辺だった。街灯の魔導灯はしっかりと道を照らし、広場の噴水はいつも通りに水を吹き上げている。
「あら」
ティナが、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「ちゃんと機能してるじゃない。私の『地味な魔法』」
「……お前、あの区画に何を仕掛けた?」
「給水局の技師さんたちにお願いして、ちょっとした試験導入をやらせてもらってたのよ。各戸のメーターに小型の蓄魔回路を組み込んで、区画内で独自のネットワークを作ったの」
ティナはドヤ顔で、光り輝く第七区画を指差した。
「だから、中央の魔力炉がダウンしても関係ないわ。あそこは今、平時に蓄えた魔力で最低限の照明と給水を維持してる。……これが『分散型』の本当の価値よ」
俺は、息を呑んだ。
平時においては誰の目にも見えず、英雄らしい派手さもない。
だが、こうして巨大なシステムが崩壊する「危機」の瞬間においてのみ、その地味な魔法は、市民の生活を完璧に守り抜くという絶対的な価値を証明してみせたのだ。
「行くぞ。暗い区画から人が来る。明かりのある場所を案内しよう」
俺たちが第七区画に到着すると、そこにはすでに、カンテラの灯りを頼りにパニックになりながら駆け回っていた復興院の役人や、給水局の技師たちが集まっていた。
「な、なんだこれは!? 中央が落ちているのに、なぜここだけ電気が点いているんだ!?」
昼間の予算会議でティナを鼻で笑っていた審査委員長が、信じられないものを見るように街灯を見上げている。
「私が組んだ小規模分散術式が、蓄魔設備を切り離し、必要な所へだけ魔力を送っているからです」
ティナが、役人たちの前に颯爽と歩み出た。
「給水と避難路の灯りに絞れば、計算上は四十八時間。消費を測りながら使います。噴水は止めて、備蓄を回しましょう」
「ティナ様……! こ、これは、昼間の会議であなたが提案していた……」
「ええ。どこが光っているのかわからない、英雄らしい見せ場もない、地味な予算案の成果よ」
ティナは、これ以上ないほどの皮肉な笑顔を向けて言い放った。
「でも、市民が求めているのは、花火大会みたいな一発の奇跡じゃないでしょう? いざという時に、こうして『当たり前の日常』を機能させ続けること。それこそが、本当に必要な復興なんじゃないかしら?」
役人たちは、誰も反論できなかった。
暗闇の中で怯える王都の市民たちの中で、第七区画の広場には、暗い路地から来た人たちが集まり始めていた。住民が水を配り、技師が臨時の灯りを増やす。その揺るぎない事実の前では、「広報効果」などという机上の空論は塵芥に等しかった。
「……給水局の技師長を呼べ! 避難拠点への追加導入は緊急予算で申請する。全市展開の案も、明朝の設備会議へ私が持っていく!」
役人が叫ぶと、現場の技師たちから「おぉぉっ!」と歓声が上がった。
「やったわね、レグ!」
ティナが俺の方を向いて、ピースサインを作る。俺も肩をすくめて、小さく拍手を送った。
ティナは点検表を畳み、技師長へ返した。明日の欄には、まだ確認する項目が残っていた。
だが。
停電の復旧作業が始まり、ティナが王都の地下へ魔力探知を伸ばして他の区画の復旧をサポートしていた時。
不意に、ティナの顔から勝利の笑みが消えた。
「……レグ」
彼女は、額に冷たい汗を浮かべ、真剣な声で俺を呼んだ。
「どうした。魔力炉の復旧に手間取っているのか?」
「……違うわ。中央魔力炉がダウンした原因……単純な設備の故障じゃないかもしれない」
ティナは、自分の足元の地面を、透視するかのように見つめていた。
「漏水の日に、給水局の分室で『奇妙なノイズ』を観測したのを覚えている?」
「ああ。旧戦場方面の魔力脈の周期が乱れているとかいう話だったな。仕事用の記録帳に残してある」
「そのノイズが……大きくなってる。以前よりもはるかに広い範囲で、強烈な揺らぎになって、王都の地下の魔力網にまで干渉を始めているわ」
ティナの言葉に、俺の背筋に冷たいものが走った。
旧戦場は、魔王の死によって主を失った膨大な魔力が沈殿している巨大な汚染地帯だ。
「レグ。お願いがあるの」
ティナは、俺の目を見据えて言った。
「あなたが持っている、敵軍時代の資料……旧魔王軍が記録していた『魔力脈の変動』や『魔獣の生態』に関する詳細なデータを、一度しっかり確認しておいてくれないかしら」
「……何かが起きるって言うのか」
「わからない。でも……数式が、とても嫌な形に歪んでいるの」
「観測所の定期報告と比べよう。自治領にいる元魔獣管理官にも問い合わせる。旧軍の地図は、復興院で閲覧を申請する」
俺は仕事用の記録帳に三つの宛先を書いた。引き出しの黒い野帳とは分けて、共有する調査記録だった。
平和な世界での仕事探し。その裏側で、彼らを英雄の座に引き戻そうとするかのような、巨大で正体不明の自然の影が、確実に王都へと忍び寄りつつあった。




