第24話 格好よく助けるより先に
「レグさん! 王都南部の第三商業区で火災が発生しました。規模は中程度ですが、風が強いため延焼の危険があります!」
昼下がりの停戦館。事務室に飛び込んできたマヤ実務官の報告に、俺は弾かれたように立ち上がった。
「消防・救助隊は動いているか?」
「はい。ですが、現場の近くで広報活動を行っていた『公共英雄候補生』の小隊が偶然居合わせ、初期対応にあたっているとのことです。ただ、現場の連携がうまくとれず、少し混乱しているようで……」
「あの見栄えのいい若造たちか。……おい、カイル! 行くぞ!」
長机の端で、白紙の予定表を前にうんうん唸っていたカイルが、即座に顔を上げた。
「火事か! わかった!」
自分の平和な役割が見つけられずに思い悩んでいた男だが、有事となればその眼差しは一瞬で戦場モードへと切り替わる。
俺とカイルは停戦館を飛び出し、黒煙の上がる南部の商業区へと走った。
現場に到着すると、そこは怒号と悲鳴が入り混じるパニック状態だった。
燃えているのは木造の三階建ての倉庫だ。火の手はまだそこまで大きくないが、周囲の道幅が狭く、逃げ惑う市民と、野次馬たちの壁で現場へのアクセスが完全に塞がってしまっていた。
「そこのおばあさん、大丈夫ですか! 私が抱えます!」
煙の向こうから、真っ白な制服を煤で汚した青年――候補生のリーダーであるセイルが、咳き込む老婆をお姫様抱っこして颯爽と飛び出してきた。
周囲の野次馬から「おおっ!」「さすが新しい英雄様だ!」と割れんばかりの拍手と歓声が上がる。
セイルは老婆を安全な場所に降ろすと、爽やかな笑顔で「安心してください、我々候補生が必ず皆さんをお救いします!」と宣言し、再び他の隊員たちと共に炎と煙の中へ飛び込んでいった。
確かに、勇猛果敢で絵になる光景だ。
だが、そのすぐ横で、王都消防・救助隊の隊長が顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げていた。
「おい!! 誰かこの野次馬をどかせ! メインのポンプ魔導車が中に入れねえだろうが!!」
俺は眉をひそめた。
候補生たちは、炎の中から要救助者を助け出すという『直接的で格好いい救助』にばかり気を取られ、現場周辺の交通整理や避難誘導を完全に放置していたのだ。
彼ら一人が一人を助ける間に、ポンプ車が到着できずに火の手が広がれば、結果として百人が焼け出されることになる。
若さゆえの視野の狭さと、英雄的行動への固執が、結果的に現場の首を絞めていた。
「……レグ」
隣で現場を見ていたカイルの身体が、ビクッとこわばった。
彼の太い両脚に、凄まじい力が込められる。
助けを求める声、燃え盛る炎。カイルの条件反射が、「俺が炎に突入して、全員を助け出さねば」と叫んでいるのがわかった。
「隊長があそこだ。どこへ入るか、先に聞こう」
俺が静かに言うと、カイルはギリッと奥歯を噛み締めた。
そして。
「……いや。俺が行っても、あの白い制服の奴らと同じになるだけだ」
カイルは踏み込もうとした足を、自らの意志で止めた。
彼の脳裏に、先日の模擬訓練で、あの隊長から怒鳴られた言葉が蘇っていたに違いない。
『お前が全部背負って一人で突っ走れば、他の隊員はどうなる? 誰か一人がいなくても回る隊を作れ!』
カイルは、炎の上がる倉庫ではなく、野次馬の壁に阻まれて立ち往生しているポンプ魔導車の方へと走った。
「隊長!!」
カイルが消防隊長の横に立ち、よく通る声で叫んだ。
「俺は道を空ける方へ入っていいか!」
「カイルか! よし、頼んだぞ!」
カイルは野次馬の群れの中に飛び込むと、一切武器を抜かず、ただその大きな身体と両腕を使って、強引に、しかし決して怪我をさせない絶妙な力加減で人々を左右に押し退け始めた。
「下がれ! ここから先は危険だ! 道を空けろ!」
彼の声には、王都広場での買い物パニックの時のような焦りはなかった。戦場で兵士を統率してきた、絶対的な安心感と重圧が、パニックになっていた市民たちを冷静にさせていく。
「そこの荷馬車、邪魔だ! どけるぞ!」
カイルは道を塞いでいた重い荷馬車を一人で持ち上げ、人のいない路地へ運び下ろした。さらに、落ちかけた看板を支え、隊員に下を通ってもらう。
わずか一分の間に、彼が押し留めた人波の真ん中に、太く真っ直ぐな『道』が完成した。
「道は開いた! 隊長、突っ込め!!」
「おう! 指定位置へ前進! 中の班と連絡を取れ!」
カイルの確保した動線を通って、ポンプ魔導車が火元のど真ん中へと滑り込む。
数本の太いホースから一斉に高圧の放水が始まり、倉庫を包んでいた炎は、瞬く間に白い水蒸気へと変わっていった。
現場の「詰まり」が解消されたことで、消防・救助隊の連携が魔法のようにスムーズに回り始めたのだ。
「……火災、鎮圧完了しました!」
しばらくして、鎮火の報告が現場に響いた。
顔を煤だらけにしたセイルたち候補生が、最後の要救助者を背負って倉庫から出てきた。
セイルは老婆の家族へ無事を伝え、ようやく肩を下ろした。それから、通れるようになった道と、並んだ消防車を見た。
だが、現場の空気は少し違っていた。
市民たちの視線と安堵の声は、派手な救助活動をした彼らではなく、道の端で泥だらけになって瓦礫を片付けているカイルの方へ向いていたのだ。
「助かったよ、カイル様! あんたが荷馬車をどかしてくれたおかげで、うちの店に火が燃え移らずに済んだ!」
「本当によく道をこじ開けてくれた。おかげで最悪の事態は免れたぜ、勇者様!」
消防隊長もカイルの肩を力強く叩き、ニカッと笑った。
カイルは照れくさそうに後頭部を掻き、「俺はただ、皆が仕事をしやすくなるように少し手伝っただけだ」と苦笑いしている。
その光景を見て、セイルは呆然と立ち尽くしていた。
「……最初に、道を空ける係を残すべきだった」
セイルは煤のついた手で額を拭った。
「中に人が見えたので、全員で入ってしまった。訓練では、観客は綱の外にいたのに……」
手順を知らなかったわけではない。目の前の一人を助けようとした時、その外側の仕事が視界から抜けたのだ。俺はカイルと顔を見合わせた。覚えがありすぎる。
俺がセイルに声をかけようとした時、カイルが彼らの方へ歩み寄ってきた。
「お疲れ様。見事な救出劇だったな」
「カイル、先輩……」
セイルは戸惑いながら、悔しさを滲ませて問いかけた。
「先輩は、どうして途中で止まれたんですか。僕は、また中へ入ることしか考えられませんでした」
その直球の問いに、カイルは怒りもせず、穏やかに笑った。
「俺も、ついこの間までお前たちと同じことを考えていたよ。俺が一番強いんだから、俺が一人で全部の危険を排除すればいいってな」
カイルは、自分のごつい掌を見つめた。
「でもな。英雄一人で助けられる人間の数には限界がある。それに、俺が全部やっちまったら、他の奴らが動けなくなっちまう。……英雄が格好よく目立つことより、現場のみんなが最大限の力を発揮できる『道を作る』ことの方が、ずっと大事だって気づいたんだ」
見えない仕事の価値。
それを語るカイルの背中は、戦場で剣を振り回していた頃よりも、はるかに大きく、頼もしく見えた。
セイルはハッとして、自分たちが放置していた動線の塞がりや、消火の遅れという事実を思い返し、顔を真っ赤にして深く頭を下げた。
「……僕たちの、視野が狭かったです。カイル先輩、ご指導ありがとうございました!」
「気にするな。俺もまだ、平和な世界の歩き方を練習中だからな」
カイルは候補生たちの肩を叩き、労いの言葉をかけた。
帰り道。
すっかり夕暮れになった王都の大通りを歩きながら、俺はカイルに声をかけた。
「よく我慢したな、単独突入」
「ああ。足が勝手に動きそうになったが、隊長の顔がちらついてな」
カイルは苦笑しつつ、煤で汚れた自分の服をパンパンと払った。
彼は今日、自分が最前線に立って戦うのではなく、一歩引いて全体を見渡し、他者と協働するためのサポートに回るという選択をした。
それは単なる兵器(戦闘員)から、周囲を活かすことのできる『指揮者』への確実な成長だ。
「なあ、レグ」
「なんだ」
「俺の来月の予定表だが……まだ真っ白なままだ。自分が何をやりたいのか、明確な答えは出ていない」
カイルは夕焼け空を見上げ、少しだけ照れくさそうに笑った。
「でも……今日みたいに、誰かが活躍するための道を作るような、地味な裏方の仕事も……悪くないなって、少しだけ思ったよ」
「そうか」
俺は短く答えた。
彼の中の空白に、ようやくほんの少しだけ、「自分はこうしたい」という意志の輪郭が見え始めていた。
その輪郭がどんな絵になるのか、今はまだわからないが、その不器用な歩みを見守るのも、勇者対策官の悪くない任務だろう。




