第21話 休日が撮影日になった
春爛漫の陽気に包まれた王都の商業区。
普段なら買い物客で賑わう休日の大通りは、今日に限って異様な熱気と喧騒に包まれていた。
「はいっ、カイル様! そこでもう少し右を向いて、爽やかな笑顔をお願いします!」
「魔導写影機のレンズに光を溜めるぞ! 周囲の野次馬は少し下がってくれ!」
「ああっと、今の表情少し硬かったですね! テイクツー行きます!」
大通りの中心で、巨大な箱型の機材――魔導写影機を構えた撮影クルーたちが、大声を張り上げて立ち回っている。
その無数のレンズと視線の中心に立たされているのは、鎧を脱ぎ、貸し出された肌触りの良い私服を着せられた勇者カイル・レインだった。
復興院・英雄事業部が主導する『庶民派英雄・一日密着企画』の撮影当日。
新聞社と大商会の合同クルーが、休日の英雄に密着し、「親しみやすい庶民派」としての姿を記事やブロマイドにするための大掛かりなプロジェクトだ。
俺とマヤ実務官は、群がる野次馬の整理と、万が一の暴走に備えた警備係として同行していた。
「……死にそうだな、あいつ」
俺が腕を組んで呟くと、横で野次馬を押し留めていたマヤ実務官が小さく頷いた。
「顔面が硬直していますね。さっきから、袖口を握ったままです」
カイルは、大勢の大人たちに囲まれ、巨大なレンズを向けられ、極度の緊張でまるで処刑を待つ捕虜のようにガチガチに固まっていた。
「いいですか、カイル様。今日のテーマは『休日のリラックスした英雄』です。戦場のことは忘れて、ただ自然に、買い物を楽しむ姿を見せていただければいいんですよ」
派手な帽子を被ったディレクターが、身振り手振りを交えて熱心に指示を出す。
「さあ、あそこの屋台で串焼きを買いましょう! 店員さんに気さくに話しかけて、一口食べて『美味しい!』という顔を!」
「わ、わかった」
カイルはロボットのようにギクシャクと歩き出し、串焼きの屋台の前に立った。
「い、いらっしゃいませぇ! 勇者様!」
店員の親父も、カメラを向けられてひどく緊張している。
「く、串焼きを一本、頼む」
「へ、へい! 焼きたてです!」
カイルは渡された串焼きを受け取り、カメラの方を向いた。
そして、口元だけを無理やり引きつらせた、この世の終わりみたいな笑顔を作った。
「はいストップ!!」
ディレクターの悲鳴のような声が飛ぶ。
「カイル様、顔が! 顔が魔王を前にした時みたいに険しいです! 手元の串も、なんでそんな短剣を逆手に構えるみたいな持ち方してるんですか!?」
「いや、これは……先端が尖っているから、いつでも投擲して牽制できるように……」
「誰も襲ってきませんから! 普通に持ってください! はい、テイクスリー!」
やり直し。
再度串焼きを受け取るカイル。
「あああっ、ダメです! 今度は店員さんを睨みつけないで!」
「すまん、背後から急に動く気配がしたから、つい伏兵かと……」
「カメラの助手です! はい、テイクフォー!」
俺は額を押さえた。
無理もない。十二年間、常に死と隣り合わせの最前線で生きてきた男だ。
彼にとって「休む」とは、安全な野営地で身を潜め、体力を回復させるための生存戦略のいちプロセスにすぎない。
不特定多数の人間がひしめく大通りで、無防備に警戒を解き、「自然な笑顔で休日を楽しむ」ことなど、魔王軍四天王を同時に相手にするよりも難しいミッションなのだ。
「……すまん。五分だけ、時間をくれないか」
テイクエイトが終わった頃、カイルが限界を訴えた。
「もちろんです! カイル様、あちらのベンチで休憩してください!」
ディレクターが快諾し、撮影クルーが機材の調整に入った隙に、カイルは大通りの端にある木陰のベンチに倒れ込むように座った。
俺は屋台で買った冷たい水の入った水筒を、彼に放り投げた。
「ほら、飲め。干からびるぞ」
「……すまん」
カイルは水筒を受け取ると、蓋を開け、一気に半分ほど喉に流し込んだ。
その背中は丸まり、私服の背中にはびっしょりと冷や汗が滲んでいる。
「戦場で三日三晩、飲まず食わずで行軍した時より疲れた顔をしてるぞ」
「笑えねえよ。剣を振るより、笑顔を作る方がよっぽど体力を削られる」
カイルは深く重い息を吐き出し、膝に手をついてうなだれた。
俺は少し離れた場所から、俺たちの方へこっそりと魔導写影機のレンズを向けているカメラマンの存在に気づいた。
「ディレクター。見ろよ、あのベンチで項垂れてる勇者様。戦いの後の哀愁って感じで、めちゃくちゃ絵になりますぜ」
「本当だ! いいぞ、その自然なオフの表情をバレないように押さえておけ!」
俺は無言で歩み寄り、カメラマンが構えていた魔導写影機のレンズを、手でガシッと塞いだ。
「わっ!?」
「何をするんですか、対策官殿!」
ディレクターが抗議の声を上げる。
「休憩中は撮影しない約束だろう」
俺は冷たい声で告げた。
「あんたたちの求める『自然な休日の姿』を撮るために、あいつは今、必死になって自然な演技をしてるんだ。これ以上レンズを向ければ、本当にあいつの精神がすり減るぞ」
「いや、しかしですね。我々も復興院から、よりリアルで親しみやすい英雄の姿を求められておりまして……」
「休憩中は撮らない。当日の条件を確認してくれ。マヤ実務官、再開前に本人の意思を聞こう」
マヤが取り決めを示すと、監督は言葉を止め、撮影係にレンズを下げさせた。
だが、そのやり取りは、ベンチに座っていたカイルの耳にも届いていた。
カイルは水筒を握りしめたまま、うつむいていた。
休憩を頼んだ時、監督は確かに承知した。それなのに、あのレンズは水を飲むカイルを追っていた。
俺たちの約束した休憩は、いつから撮影の続きになったのだ。
ラザル事業部長の「君の生み出す収益が、多くの避難民を救う」という言葉が、俺の耳に蘇った。カイルは水筒を膝に置いたまま、撮影係が離れても顔を上げなかった。
夕方。
カイルが「約束した買い物の分までなら」と答えたため、残りの撮影は予定を縮めて行った。休憩中の写影は使わないと確認し、クルーたちは機材を片づけた。
大通りの人波も落ち着き、夕陽が石畳を赤く染めている。
帰路につく俺とマヤ実務官の後ろを、カイルは無言でトボトボとついて歩いていた。
その背中は、朝よりも一回り小さく見える。
「……お疲れ様でした、カイル様。明日はゆっくり休んでくださいね」
マヤ実務官が気遣うように声をかけたが、カイルは虚ろな目で頷いただけだった。
やがて、停戦館の古びた屋根が見えてきた頃。
カイルが不意に足を止め、重い口を開いた。
「……なあ、レグ」
「なんだ」
「俺は、ラザル部長に言われた通り、自分の役割を果たすと約束した。俺の顔が売れることで、王都の孤児院が助かり、橋が直り、市民が救われるなら……それは勇者としての俺の義務だと思ったからだ」
カイルはぎゅっと拳を握りしめた。
「だが……」
彼は顔を上げ、俺を真っ直ぐに見据えた。
その瞳には、今まで彼が一度も見せたことのない、強い感情の火が灯っていた。
「休むことまで誰かに指示されて……水を飲む姿まで隠し撮りされて……俺の何もしない時間までが、あいつらの見世物になるのは……」
カイルの唇が震え、そして、絞り出すようにその言葉を吐き出した。
「不快だ。……俺は、あれが嫌だ」
俺は、小さく息を呑んだ。
カイルは「皆のためなら」とは続けなかった。俺の返事を待つように、こちらを見ている。
引き受けた仕事だから仕方がない。そんな言葉で、今の一言を片づけたくはなかった。
「そうか」
俺は、短く頷いた。
「お前が不快だというなら、それは不快なんだろう。予定表の白紙を埋める前に、まずは『自分が何を嫌だと感じるのか』を知れたのは、いい収穫じゃないか」
俺の言葉に、カイルは少しだけ驚いた顔をした後、自嘲気味に笑った。
「……そうだな。嫌なことが見つかるのも、平和の練習の第一歩かもしれないな」
俺たちは再び歩き出し、停戦館の門をくぐった。
厨房の前で、カイルが水筒を差し出した。
「これ、洗って返す。もう一杯だけ飲んでいいか」
「ああ」
カイルは水を注ぎ、窓際の椅子に腰を下ろした。今度は途中で水筒を置かなかった。
俺は向かいの椅子から撮影日程の紙をどけ、そこに座った。




