第18話 勇者、救助隊で命令しすぎる
「カイル様、装備の確認を。本日はよろしくお願いします」
「ああ、任せてくれ。どんな危険な現場でも、必ず生存者を見つけ出してみせる」
王都消防・救助隊の訓練場。
分厚い耐火服に身を包んだ勇者カイル・レインが、力強く胸を叩いた。
四英雄の職業体験、その最後の一人はカイルだ。彼が選んだのは、持ち前の体力と瞬発力、そして「人を助けたい」という善意を直接的に活かせる、消防・救助隊の現場だった。
彼が他の隊員たちと一緒に準備体操をしている間、俺とマヤ実務官は訓練場の端で、現場を取り仕切る救助隊長と密談を交わしていた。
「隊長。事前の打ち合わせ通り、今日の模擬訓練では彼に『一切の指揮権』を与えないでください。ただの一般隊員として、あなたの指示に絶対服従する形で組み込んでほしい」
俺の要求に、筋骨隆々の救助隊長は顎髭を撫でながら頷いた。
「初めて来た者を班員から始めるのは当然だ。だが、それだけで任せられるようになるとは限らんぞ」
「予防線です」
俺は敵軍時代の『対勇者行動記録』と、市場での混乱のデータを頭に思い浮かべていた。
「カイルは、人混みや危険を見ると、条件反射で勝手に陣形を組み、周囲の人間を兵士のように指揮して守ろうとする癖があります。戦場なら優秀な総大将ですが、ここは平和な訓練場だ。彼に指揮権を与えれば、救助隊の連携を軍隊のそれに上書きしてしまいます」
「なるほど。だからあえて指揮権を奪い、俺の指示で動かすと」
「ええ」
俺は自信を持って頷いた。
「指揮権を与えられなければ、彼は他人の指示に従わざるを得ません。そうすれば、自分で全てを抱え込まず、『他人に任せて待つ』という平和な世界での組織の動きを学ぶはずです」
隊長が「わかった」と持ち場へ向かった後、隣で記録板を持っていたマヤ実務官が、冷ややかな声で言った。
「レグさん。そのやり方は、みんなで決めた『勝手に予測して決めつけない』というルールに抵触していませんか? あなたはまた、カイル様に何も聞かずに、彼をコントロールするための裏工作をしていますよ」
「これはコントロールじゃない。安全管理のための座組だ」
俺は言い訳をした。
「あいつが暴走して怪我人が出る前に、先回りして危険の芽を摘む。勇者対策官として当然の措置だ。……見ていろ、俺の予測通りに動くから」
やがて、訓練用の巨大な廃屋に赤い発煙筒が焚かれ、模擬訓練がスタートした。
状況は「火災現場からの、逃げ遅れた要救助者(ダミー人形)三名の捜索と救出」だ。
「第一班は正面から突入! 第二班は後方支援と放水準備! 第三班は負傷者の受け入れ態勢を整えろ!」
隊長の野太い号令が飛び交う。
カイルは第一班の一般隊員として、三人の若い隊員と共に廃屋の入り口で待機していた。
「よし、突入準備! スモークが濃い、絶対に互いの視界から離れるなよ!」
班長が叫び、「突入!」の号令をかけようと大きく息を吸い込んだ、その瞬間だった。
「待て!」
カイルが、突如として班長を制止した。
「この煙の濃さは異常だ。それに、建物の構造上、二階の床がいつ抜け落ちてもおかしくない。お前たちのような未熟な装備で踏み込めば、二次災害の危険が高すぎる」
「えっ? いや、しかしカイルさん、これは訓練で……」
「俺に指揮権がないのなら、お前たちを安全に統率し、守りながら進むことはできない。ならば……」
カイルの瞳に、戦場で何度も見た、あの悲壮なまでの『自己犠牲』の光が灯った。
「誰も危険な目に遭う前に、俺が一人で全部の障害を取り除けばいい!」
バンッ! と地面が爆ぜる音がした。
「なっ……!?」
突入班の隊員たちが瞬きをした時には、すでにカイルの姿は入り口から消え失せていた。
彼は単独で、超人的なスピードで煙の充満する廃屋の奥深くへと飛び込んでいったのだ。
「おいカイル! 止まれ、単独行動は許可してないぞ!」
隊長が外から怒鳴るが、もう遅い。
廃屋の中から、ガシャァァン! という破壊音が連続して響き始めた。
「障害物排除! 炎の発生源を無力化!」
カイルの声とともに、聖剣の腹で放たれた風圧が、訓練用の煙と障害物をまとめて窓の外へ吹き飛ばしていく。
外で待機していた第二班は、カイルの位置が分からず、班長からの状況報告を待つしかなかった。隊長が訓練中止の笛を吹く。
第一班の突入部隊も、完全に置き去りにされて入り口で呆然としている。
「一人目確保! 二人目、三人目発見! これより一気に離脱する!」
突入からわずか一分後。
廃屋の二階の窓が内側から吹き飛び、カイルが三体の大人のダミー人形を小脇に抱え、空を飛ぶように軽々と外へ飛び出してきた。
ズドォォン! と重低音を響かせて着地したカイルは、綺麗に三体のダミーを救護班の前に並べた。
「要救助者、全機確保! 味方の損害ゼロだ!」
カイルが額の汗を拭い、やり切ったという爽やかな笑顔を見せる。
要救助者発見から救出までのタイムとしては、救助隊創設以来の驚異的な新記録だ。
――だが、組織の模擬訓練としては、これ以上ないほどの『最悪』だった。
突入班は一歩も中に入れず、放水班は一度も水を撒けず、待機班も連携の練習すらできなかった。カイルの戦場基準の『単独行』が、救助隊という組織の動きを、完全に麻痺させてしまったのだ。
「……」
俺は、額を手で覆い、天を仰いだ。
完全に、俺の読み違いだった。
戦場におけるカイルのデータは、「指揮官としてのカイル」の行動記録だ。
俺は「指揮権を奪えば、他人に任せるだろう」と安易に予測した。だが、彼のような「自分が背負わなければ仲間が死ぬ」という呪いにかかっている人間に、指揮権(他者を安全に導く手段)を与えずに危険地帯へ放り込めばどうなるか。
答えは『他人が危険に晒される前に、自分が全部一人で終わらせる』という、極端な単独行動の暴走だった。
「……お見事ですね、レグさん」
マヤ実務官が、氷点下の声で呟いた。
「カイル様が何を怖がっているか、先に聞くべきでした」
「……返す言葉もない」
訓練場の中心では、大激怒した救助隊長が、カイルの胸ぐらに掴みかからんばかりの勢いで怒鳴り散らしていた。
「てめえ! 誰が一人で突っ走れと命令した!!」
「だが隊長。俺一人なら、他の隊員を中へ入れずに済む。危険を減らせると思ったんだ」
カイルは三体の人形を見た。全員助けたはずなのに、誰も喜んでいない。
「ここは魔王城じゃねえんだよ!!」
隊長の怒声が、訓練場にビリビリと響き渡った。
「お前が一人で助けて、はいめでたしめでたしで終わるほど、王都の日常は短くねえんだ! お前が全部背負って一人で突っ走れば、他の隊員はどうなる? 経験も積めず、連携も覚えられないままだ!」
隊長は、カイルの胸の耐火服をドンと小突いた。
「いいか、勇者様。俺たちの仕事は、英雄一人が百人を助けることじゃない。お前が病気で休んだ時、お前が歳をとって動けなくなった時でも、残りの隊員で確実に百人を助け出せる『組織』を作ることだ!」
「組織……」
「現場が二つならどうする。お前が向かった先を誰も知らなければ、助けに行くこともできん。一人で助ける力を捨てろとは言わん。俺たちにも使わせてくれ」
その言葉に、カイルはハンマーで殴られたように目を見開いた。
「誰か一人が、いなくても、回る隊……」
彼はその言葉を反芻し、そして、自分の空っぽの掌を見つめた。
もし、自分が最前線に立たなくても、世界が回るのだとしたら。
戦うことしかできない自分には、一体何の『役割』が残るというのか。
カイルは、自分が直面した『役割がない空白』という恐怖の前に、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
隊長はカイルから手を離し、今度は俺の方をギロリと睨みつけた。
「おい、そこの適応室の担当官。あんたもだ」
「……」
「あんたの見立てを聞いて、俺も本人への説明を省いた。次は三人で話す。何を任せる訓練なのか、そこからだ」
俺は、ぐっと奥歯を噛み締めた。
俺はまた、相手に聞かずに分かったつもりになり、自分の手元にある古い戦時データだけで彼らをコントロールしようとした。
結果として、カイルの心を追い詰め、訓練を台無しにしたのだ。
「カイル」
隊長が、うつむく勇者に低い声で告げた。
「自分がいなくても回る隊を作ってみろ。お前が一人で突っ込むんじゃなく、他の奴らが動けるようにする。それが本当に現場を『指揮する』ってことだ。明日までに、その意味を考えてこい」
カイルは返事をしかけたが、口を閉じた。
足元では、救出した人形の腕が一本、裏返っていた。彼はしゃがんでそれを直し、抱え上げようとして、隣の隊員を見た。
「……これは、どこへ戻せばいい」
隊員が倉庫を指した。俺は記録板の『指揮権を与えない』という一行に線を引き、その下に、明日の三人の名前を書いた。




