第12話 剣聖、木工所へ
「ここが、私が働く場所か」
王都の東、職人たちが軒を連ねる下町の一角。
木を挽く音と油の匂いが漂う『ガラン家具工房』の前に立ち、剣聖バルド・グレンは真剣な面持ちで看板を見上げた。
適職診断という名目でスタートした、英雄たちの職業体験。そのトップバッターとしてバルドが選んだのは、木工所での見習い作業員だった。
「頼むから、初日から工房を物理的に両断するとか、親方に決闘を申し込むとか、そういうことはやめてくれよ」
引率兼監視役として同行した俺が釘を刺すと、バルドは心外だというように太い眉を寄せた。
「私をなんだと思っている。私は今日、剣を置き、一人の労働者としてここへ来たのだ。無用な争いは起こさん」
そう言って背中に背負った身の丈ほどもある大剣を揺らすのだから、説得力は皆無である。なぜ出勤初日にフル装備で来るのか。
「おう、来たか。でかいのが来るって聞いてたが、まさか本当にお前さんだとはな」
工房の奥から、頭に手ぬぐいを巻いた筋肉質の初老の男が現れた。
俺は男の顔を見て、あっと声を漏らした。
「あんた、春の花祭りの時の……」
「へへっ、あの時は世話になったな」
彼は、あの祭りの舞台が倒壊した際、修理の指揮を執っていた地元の棟梁だった。どうやらこの家具工房の親方でもあったらしい。
親方はバルドを見上げ、ニヤリと笑った。
「あの時は助っ人として力仕事を手伝ってもらったが、今日はうちの『見習い』として来たんだろう? ここは戦場じゃねえ。お前さんが剣聖様だろうがなんだろうが、俺の工房に入ったからには、ただのド素人の新人として扱うぞ。手加減はしねえ」
一般人なら委縮してしまうような凄みのある親方の宣言。
だが、バルドは少しも怒る様子を見せず、むしろ深く頭を下げた。
「願ってもないことだ。親方、ご指導のほどよろしく頼む」
「……へっ、見どころはあるじゃねえか。よし、まずはその物騒な鉄の塊を下ろして、こいつを着な」
親方から分厚い帆布のエプロンを渡され、バルドは素直に大剣を部屋の隅に置き、エプロンを身につけた。
無精髭の巨漢に職人のエプロン。その異様な光景に、工房の他の職人たちが遠巻きにヒソヒソと様子を伺っているが、バルド本人は至極真面目な顔で作業台の前に立った。
「最初の仕事はこれだ。この荒板から、指定した寸法の椅子の脚のパーツを切り出してくれ」
親方がドンと作業台に置いたのは、表面がまだ粗く、節や小さな傷、歪みが残っている数本の木材だった。
「見本はこの形だ。寸法通りに切り出せたら、鉋をかけて表面を整える。俺がやって見せるから、よく見ておけ」
親方がノコギリと鉋を使って、手際よく一本の脚を切り出していく。
バルドはその動きを、瞬き一つせずに食い入るように見つめていた。
「……見事な手際だ。寸分違わぬ軌道。力の入れ具合にも無駄がない」
「おう。木工の基本だからな。じゃあ、次はお前さんがやってみな。道具はそこにあるやつを使っていいぞ」
親方に促され、バルドは荒板の前に立った。
彼はノコギリに手を伸ばすかと思いきや、無言で腰のポーチから使い慣れたサバイバルナイフ(小刀)を抜き放った。
「おい、バルド。ノコギリを使えと言われただろうが」
俺が止めようとしたが、バルドは「私には、この刃の方が正確に切り出せる」と言って譲らない。
親方は腕を組み、「まあいい、道具は何でもいい。やってみろ」と許可を出した。
バルドは鋭い眼光で、目の前の木材を睨みつけた。
そして、小刀を構えたまま、しばらく微動だにしなくなった。
「……バルド?」
「……待て。レグ」
バルドの声は、戦場で未知の魔獣と対峙した時のように低く沈んでいた。
「この木材……隙だらけだ」
「は?」
「見ろ、この中央にある黒い節。ここは周囲の繊維よりも硬く、力が加わった際に均等な反発を生まない。もしここに敵の打撃を受ければ、間違いなくここから真っ二つに折れる。致命的な『弱点』だ」
バルドの目は、木材の「節」を『排除すべき脅威』として捉えていた。
「そしてこの端の歪み。装甲が薄すぎる。こんな欠陥を抱えたままでは、戦線を維持することなど不可能だ。……排除せねば」
シュッ!
バルドの小刀が閃き、木材の中央にあった節の部分が見事に抉り取られた。
「よし、最大の脅威は去った。だが、まだだ。このささくれも、この木目の乱れも……すべてが脆さに直結する。切り落とさねば、完全な強度にはならない!」
シュッ! シュバッ!
バルドは次々と、木材に残る「欠点」という名の弱点を、一切の容赦なく切り落としていった。
削り落とすのではない。完全に「切断」し、「排除」しているのだ。
数分後。
「……終わった。全ての弱点を排除し、完全な強度を持ったパーツが完成したぞ」
バルドが額の汗を拭い、誇らしげに作業台の上に置いたもの。
それは、傷一つない、節も歪みもない、完璧に滑らかな木材だった。
――元の木材の、半分以下の長さに縮んだ、ただの四角い『木の塊』が。
「…………」
工房が、死に絶えたような沈黙に包まれた。
指定された寸法の半分以下だ。椅子の脚になど、到底使えやしない。
「……お前なぁ」
俺が頭を抱えようとした瞬間。
「馬鹿野郎!!」
親方の怒声が、工房の天井を震わせた。
「てめえ、ふざけてんのか! お前は木を殺している!」
親方はバルドが作った木の塊をひっつかみ、バルドの胸ぐらに(届かないのでエプロンの胸元に)掴みかかった。
「し、親方!? なぜ怒る! 私は全ての弱点を排除し、最も強固な部分だけを抽出したはずだ!」
「そこが違うって言ってんだ! 俺たちの仕事はな、木の欠点を全部なくすことじゃねえんだよ!」
親方は手を離し、新しい荒板を作業台へ置いた。
「いいか、よく聞け剣聖様。木ってのは生き物だ。節もあれば、歪みもある。傷もつく。お前みたいに、少しでも弱いところがあるからって全部切り捨ててたら、最後には何も残らねえんだよ!」
「だが、弱点がある部品を組み込めば、そこから崩壊するだろう!」
「崩壊させねえように頭を使うのが職人だろうが!」
親方は、節のある木材をバルドの目の前に突きつけた。
「まず、使える節か、外すべき傷かを見ろ。この締まった小さな節なら、接合部を避けて使える。緩んだ節や大きな割れなら、脚には使わず別の部材を取る。見えなくすりゃいいわけでも、全部捨てりゃいいわけでもねえ。木を選んで、残す形を決めるんだ!」
バルドは、親方の言葉に雷に打たれたように固まった。
「欠点を……残す?」
「そうだ。欠点ごと受け入れて、形にするんだ。……お前の剣は、気に入らねえものを全部切り捨てるためにあるのか?」
「……っ!」
バルドの目が大きく見開かれた。
戦場において、彼の剣は常に「敵の弱点を見極め、そこを確実に両断する」ためのものだった。脅威はすべて切り落とす。それが彼にとっての正義であり、彼を生かしてきた論理だった。
だが、平和な世界で何かを「作る」ということは、不完全なものを受け入れ、残す部分を決めることなのだと、親方は言っているのだ。
「……私の剣は、何かを残すようにはできていないらしい。棚を直そうとした時も、私は同じことを言ったな」
バルドが、手にしていた小刀を見つめながらぽつりと呟いた。
「だが……」
彼は小刀を腰のポーチに深くしまい込み、作業台の上に置かれていた『ノコギリ』と『鉋』を、不器用な手つきで握りしめた。
「やってみよう。……残す部分を決める、というやつを」
バルドは再び荒板の前に立ち、深く息を吐いた。
今度は、木の節を見ても、即座に刃を向けない。
木目をじっと観察し、指定された寸法と照らし合わせ、どこにノコギリを入れれば節を残したまま必要な長さを確保できるか、頭の中でシミュレーションを繰り返している。
やがて、彼はゆっくりとノコギリを引き始めた。
ギコッ、ギコッ。
一太刀で何でも両断できる剣聖が、一本の木材を切るのに、汗を流しながら慎重に、慎重に刃を進めている。
鉋をかける手つきも、どこか恐る恐るだ。削りすぎないように、少しずつ、少しずつ表面を整えていく。
時間はかかった。他の職人が十本の脚を切り出す間に、バルドはたった一本の脚しか作れなかった。
だが。
「……できた。親方、確認を頼む」
バルドが差し出した一本の椅子の脚。
表面にはまだ黒い節がしっかりと残り、木目も少しうねっている。
だが、長さは指定された寸法と一寸の狂いもなく一致しており、小さな節は親方が示した接合部から十分離れていた。
親方はその脚を手に取り、様々な角度から眺め、寸法を測り、最後にフンと鼻を鳴らした。
「……まあ、初日にしては上出来だ。次はこれを十本、同じように切り出せ」
「承知した!」
バルドの顔に、この日一番の輝かしい喜色が浮かんだ。
夕方。
初日の業務を終えたバルドは、分厚いエプロンから頭の先まで、全身木屑まみれになっていた。
だが、その表情は戦場で魔王軍の幹部を討ち取った時よりも、ずっと晴れやかだった。
「どうだった、初めての労働は」
俺が声をかけると、バルドは自分のゴツゴツとした手を見つめた。
「……疲れた。だが、悪くない疲労だ」
彼は作業台の隅に置かれた、自分が切り出した不格好な椅子の脚をそっと撫でた。
「全てを切り捨てるのではなく、残す部分を決める。……欠点を抱えたままでも、役に立つ形にできる。木工というのは、奥が深いな」
「そうだな。お前には向いているかもしれないぞ」
俺は笑いながら、彼の背中を叩いた。
「その脚は、捨てないのか」
「親方に、明日も使うと言われた」
バルドは端に自分の名を書き、作業台へ戻した。
剣を持って帰る時より、置いていく木片の方を何度も見ていた。




