第11話 適職診断は戦歴書ではない
「……お前ら、ふざけているのか?」
停戦館の事務室。
長机に並べられた四枚の書類を見下ろしながら、俺は深いため息を吐き出した。
昨日話した通り、今日から俺たち特別平和適応室は、四英雄の『職業試行』に向けた面談をスタートさせた。
英雄という看板に頼らず、見世物にもならず、一人の人間として社会で生きていくための「普通の仕事」を見つける。その第一歩として、マヤ実務官が用意したのがこの『適職診断書』だった。
項目は至ってシンプルだ。
左側に『できること(能力・技能)』。
右側に『やりたいこと(希望する職種や環境)』。
この二つを分けて書き出し、自分の適性を自己分析させるための一般的な書類である。
だが、回収した四枚の書類は、社会人の第一歩としてあまりにも壊滅的だった。
「カイル・レイン。お前の『できること』の欄だが……『三日三晩の不眠不休の行軍』『飛竜の単独討伐』『魔王城城門の破壊』……って、これはただの戦歴書だろうが。就職活動で飛竜を倒せるアピールをしてどうするんだ」
「い、いや。俺の最大の長所といえばそれくらいしか思いつかなくてだな」
カイルが気まずそうに頭を掻く。
「ティナ。お前の欄は『第六階位までの全属性攻撃魔法の無詠唱発動』『広域殲滅』だ。お前は王都を火の海にする仕事にでも就く気か」
「だって、事実じゃない。それに、魔法以外の特技なんてないし」
ティナが不満げに唇を尖らせる。
「エステルは『死者蘇生以外の大治癒・広域結界』。バルドに至っては『なんでも両断できる』の一言だけだ」
俺は四枚の書類を重ねて、机にバシッと叩きつけた。
「お前たち全員、『魔王を倒せる』以外の欄が全くの空白じゃないか。それに……」
俺は、四枚の書類の『右側』を指差した。
「百歩譲って『できること』が物騒なのは我慢する。だが、肝心の『やりたいこと』の欄が、なんで四人とも完全に真っ白なんだよ」
四人の英雄たちは、揃って気まずそうに視線を泳がせた。
「それは……」
カイルが代表して、重い口を開く。
「わからないんだ。戦場にいた十二年間、俺たちの目的は常に『魔王を倒すこと』と『仲間を生かすこと』だけだった。それ以外のことを考える余裕なんてなかったし、考えちゃいけなかった」
「……」
「だから、急に平和な世界に放り出されて『お前のやりたいことはなんだ?』と聞かれても、頭が真っ白になる。……俺たちは、戦うこと以外の人生の歩き方を知らないんだ」
その言葉には、どうしようもないほどの真実の響きがあった。
若すぎるうちから戦ってきた者もいる。四人で過ごした十年には、次の戦場の支度が絶えなかった。彼らの手には、世界を救うための圧倒的な力はあっても、自分の人生を豊かにするための「個人的な欲求」がすっぽりと抜け落ちているのだ。
「……なるほどな。お前たちの事情はわかった」
俺は腕を組み、頭の中で敵軍時代の『対勇者行動記録』のページをめくった。
彼ら自身が自分の適性を導き出せないのなら、俺が彼らのデータを分析し、最も効率的な配置(職業)を割り当ててやればいい。
「よし、俺が分析してやる。カイル、お前は無尽蔵の体力と耐久力がある。運送ギルドや、土木建築の現場で重機代わりに働くのが一番効率的だ」
「ど、土木作業か? まあ、力仕事なら役に立てるかもしれないが……」
「ティナ、お前は魔力量が規格外だ。この間の風呂沸かしの反省を活かして出力制御を覚えれば、王都の魔導インフラ局で魔力タンクの充填作業員になれる。バルドは解体業、エステルは王立病院の特別治療室に入れれば、一番無駄なく社会の役に立てるはずだ」
「ふむ。解体なら得意だぞ」
「私は病院ですね。わかりました」
四人が俺の出した答えに頷きかけた、その時だった。
「レグさん」
横で聞いていたマヤ実務官が、氷のように冷たい声で俺を呼んだ。
「それは、彼らの『希望』ではありません。あなたの予測データに基づいた、ただの『効率化』です」
「……何?」
「カイル様たちが自分の希望を言葉にできないからといって、あなたが『できること(能力)』だけを見て、勝手に適職を割り当てるのは間違っています。それは、ラザル事業部長が英雄を『商品』として扱うのと同じ、彼らをただの『便利な労働力』として処理しているだけです」
マヤ実務官の容赦ない正論が、俺の胸に突き刺さった。
俺は反論しようと口を開いたが、彼女は眼鏡の奥の鋭い眼差しで俺を射抜いた。
「それに、先日決めた『平和の五か条』を忘れたとは言わせませんよ。第五条……『勝手に予測で決めつけない』。彼らの仕事は、彼ら自身に見つけさせなければ意味がないんです」
「……っ」
俺はぐっと言葉を詰まらせた。
相手が迷っていると、つい先回りして答えを与えてしまう。盤上の駒を動かすように、人の人生まで最適化しようとしてしまう。
勇者対策官として染み付いた俺の『悪い癖』が、また無意識のうちに暴走していたのだ。
「……すまん。マヤ実務官の言う通りだ。出しゃばりすぎた」
俺が素直に謝罪して身を引くと、カイルが少し不思議そうな顔で俺を見た。
「なあ、レグ」
「なんだ」
「お前は、俺たちの弱点も能力も完璧に把握して、いつも的確な指示を出してくる。マヤ実務官の言う通り、確かに効率的だとは思う」
カイルは俺の目を見据え、真っ直ぐに問いかけてきた。
「だが……そういうお前はどうなんだ?」
「俺?」
「ああ。お前はいつも俺たちの面倒を見て、復興院の連中ともやり合ってくれているが……お前自身は、平和な世界で『何がやりたい』んだ?」
「…………」
カイルの突然の逆質問に、俺は一瞬、呆けたように固まってしまった。
マヤ実務官が、音もなく一枚の白紙の『適職診断書』を俺の目の前に滑らせた。
「良い機会です。レグさん、あなたも書いてみてください。あなたもまた、戦場から帰還した『平和適応』の当事者なのですから」
「……冗談だろ。俺はあいつらの担当官だぞ」
俺は苦笑しながらペンを取り、左側の『できること』の欄にペンを走らせた。
『勇者の行動予測・観察・心理分析』
『敵対勢力の補給経路の遮断計画』
『罠の構築・情報操作』
そこまで書いて、ペンがピタリと止まった。
……おかしい。
俺の『できること』もまた、魔王軍で勇者を倒すための特技(戦歴)しか書かれていないじゃないか。
嫌な汗が背中を伝う。
俺は焦って右側の『やりたいこと』の欄にペンを向けた。
平和な世界で、俺がやりたいこと。
英雄の生活係? いや、それは復興院から命じられた任務であって、俺自身の個人的な欲求ではない。
趣味? ない。
将来の夢? そんなもの、魔王軍にいた頃から一度も考えたことがない。
俺の存在意義は、常に「誰かの役に立つ専門家であること」だった。魔王軍では勇者を止める防波堤として役に立ち、今は英雄たちを社会に適応させる裏方として役に立っている。
『役に立っている間だけは、ここにいていい』。
それが俺の根底にある生存戦略だった。だからこそ、相手を観察し、データを集め、先回りして問題を解決しようとする。
だが、その「役に立つ」という装甲を剥がされた時。
レグ・オルフェンという一人の人間に、一体何が残るというのか。
「……書けない」
俺はペンを置き、白紙のままの『やりたいこと』の欄を力なく見つめた。
カイルたちが、俺の書類を覗き込んで目を丸くする。
「なんだ、レグ。お前も俺たちと同じで、やりたいことの欄が真っ白じゃないか」
「……うるさい。俺は裏方なんだよ。自分の欲求なんて必要ないんだ」
強がって見せたが、声は自分でも驚くほど乾いていた。
英雄たちの役割依存を批判しておきながら、俺自身もまた「勇者対策官」という役割に囚われ、そこから一歩も抜け出せていない同じ病を抱えていたのだ。
「では、五人分ですね」
マヤ実務官が、呆れたように小さく息を吐いた。
彼女は俺たち五人の白紙の書類を回収すると、代わりに分厚いバインダーをドサリと長机の中央に置いた。
「頭で考えても答えが出ないなら、身体を動かして探すしかありません」
バインダーが開かれる。そこには、王都や近郊の街から寄せられた、様々なギルドや商店、施設の求人票や、短期実習の案内がびっしりとファイリングされていた。
「これは、私が集めてきた『王都の職業リスト』です。まずは、あなたたちが『できる・できない』は忘れてください。そして『役に立つかどうか』も一旦脇に置きましょう」
マヤはバインダーをカイルたちの前に押し出した。
「ただ直感で、面白そうだな、やってみたいなと思ったものを指差してください。まずは数日間の体験実習として、適応室から派遣の手続きを取ります」
「直感で……」
カイルが戸惑いながらリストをめくる。
ティナが横から覗き込み、エステルも興味深そうに視線を落とす。
彼らは「魔王を倒す」という強烈な目的を失った空白に、初めて「自分の興味」という色を塗ろうとしていた。
やがて。
「……あの」
今まで沈黙していたバルドが、ごつごつとした指で、一枚の求人票をそっと押さえた。
「私は、ここに行ってみたい」
彼が指差した先。
それは、王都の職人街にある『家具工房・木工所』の短期見習いの募集だった。
借家の棚や祭りの舞台を直した時、彼が不器用ながらも興味を示していた『直す(残す)ための技術』の現場。
何かを切り捨てることしか知らなかった剣聖が、初めて自分から選んだ、小さな希望の種だった。
「……木工所ですね。手配します」
マヤ実務官が頷き、手帳にメモを取る。
「よし」
俺は気を取り直し、パンと両手を叩いて空気を変えた。
「まずはバルドからだ。他のお前たちも、焦らなくていい。少しずつ、自分が何をやりたいのかを探していこう。……俺も含めて、な」
俺の最後の言葉に、カイルがニヤリと笑った。
「ああ。お手柔らかに頼むぜ、対策官どの」
こうして、ただの戦力から一人の人間へと変わるための、俺たちの『職業体験』の幕が上がったのだった。




