第2話 男気
つばさと知り合ってから、俺は少しだけ毎日が楽しくなった。
仕事が終わると、スマートフォンを確認する。
つばさから連絡が来ていないか。
そんなことを気にする自分が、少し恥ずかしかった。
52歳にもなって、23歳の女性からのメッセージを待っている。
自分でも笑ってしまう。
でも、嬉しかった。
ある日の昼休み。
つばさからメッセージが届いた。
『昨日教えてもらったお店、美味しそうですね』
『今度、一緒に行きますか?』
俺は何度も文章を書き直した。
『もちろん。いつでもええよ』
送信。
すぐに返信が来る。
『ありがとうございます』
たったそれだけ。
それなのに、その日は一日中、機嫌がよかった。
俺は思った。
もしかしたら。
もしかしたら、俺にもまだ恋愛ができるのかもしれない。
◇
その週の金曜日。
仕事を終えた俺のスマートフォンが鳴った。
「もしもし?」
『よしお、今から飲みに行くぞ』
「今日はちょっと……」
『なんや、予定あるんか?』
「いや、明日勉強せなあかんから」
『また資格かいな』
「試験近いからな」
『一日くらいええやろ』
俺は黙った。
一日くらい。
その言葉には、何度も負けてきた。
「……何時から?」
『もう店取ってある』
「分かった」
電話を切った。
俺は車の中でため息をついた。
本当は行きたくなかった。
帰って勉強したかった。
つばさとのことも、ちゃんと考えたかった。
でも――。
断ると、何を言われるか分かっている。
付き合い悪い。
ノリが悪い。
仲間やろ。
昔からそうだった。
◇
店に入ると、すでに五人ほど集まっていた。
「おう、よしお!」
「待ってたで!」
「今日は飲めよ!」
「俺、酒弱いからな」
そう言った瞬間、笑い声が起きた。
「また始まったで」
「よしおは酒弱いんやって」
「知ってる知ってる」
「ほな、余計飲ませたろ」
「やめろって」
俺も笑った。
最初は本気で断っていた。
「明日勉強するから」
「試験あるから」
「今日は早く帰るから」
それでも酒は目の前に置かれた。
「一杯だけ」
「一杯ならええやろ」
「景気づけや」
俺はグラスを持った。
「乾杯だけやぞ」
「おう!」
グラスがぶつかった。
そこから先は早かった。
二杯目。
三杯目。
四杯目。
「よしお、まだいけるやろ!」
「もうええって」
「男やろ?」
「……」
「男気見せろや」
俺は、その言葉に弱かった。
男気。
昔から、そう言われるのが嫌いではなかった。
頼りになる男。
仲間を裏切らない男。
困っている人間を放っておかない男。
そういう人間でありたいと思っていた。
だから、断れなかった。
「……もう一杯だけや」
「さすがよしお!」
また笑い声が起きる。
俺も笑った。
その夜、俺は酔いつぶれた。
◇
翌朝。
目が覚めたのは午前10時だった。
「……最悪や」
頭が割れるように痛い。
口の中は気持ち悪い。
机を見る。
参考書が置いてある。
昨日、勉強するはずだった。
俺は参考書を手に取った。
開く。
数ページ読んだ。
だが、頭に入ってこない。
結局、その日はほとんど勉強できなかった。
夕方。
スマートフォンを見る。
つばさからメッセージが来ていた。
『今日はゆっくり休んでくださいね』
俺は返信する。
『ありがとう。今度ご飯行こうな』
『はい』
その一言だけで、少し元気になった。
そして思った。
俺は変わらなければならない。
資格も取る。
借金も返す。
仕事も頑張る。
そして――。
いつか、つばさに自分のことを好きになってもらう。
そう決めた。
だが、その決意は長く続かなかった。
◇
数日後。
今度は麻雀の誘いが来た。
『よしお、今日空いてるやろ?』
「いや、勉強するから」
『ちょっとだけや』
「今日は無理や」
『なんや、付き合い悪いな』
「……」
『男なら逃げるなよ』
俺は目を閉じた。
そして、いつものように言った。
「……分かった」
電話を切る。
机の上には参考書。
その隣には、つばさとの約束の日程を書いたカレンダー。
俺はそれを見た。
「まあ、一日くらい……」
そう呟いた。
その一日が積み重なって、
俺の人生を少しずつ変えていくことを、
このときの俺はまだ知らなかった。




