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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio SASAME
灰を踏む者たち

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壁の向こうに

 暗号通信の受信音が、リオンのヘッドセットを叩いた。

 短い三連パルス。セルヴィスのタクネットで使われる暗号通信のプロトコル。リオンは反射的に周囲を確認した。移動中の旧道路の脇、崩れた防音壁の影。カイが前方を歩き、トワが後方を警戒している。ガルドは旧型作業車の荷台で部品の整理をしている。


 リオンはヘッドセットの周波数を調整した。ノイズの中から、聞き慣れた声が浮かび上がる。


「リオン。聞こえるか」

 アイリス・トレントの声だった。低く抑えた声。周囲に人がいる環境で話している。

「聞こえている」

「時間がない。手短に伝える」


 アイリスの声が早口になった。

灰域(アッシュランド)浄化計画が前倒しになった。本来は春の予定だった。今は冬のうちに初動を完了させる方針に切り替わっている」


 リオンの背筋が冷えた。

「理由は」

「参謀長が直接指揮を執り始めた。ケネス・アスフォード参謀長が、浄化計画の全権を自らの手に集約した。従来の段階的展開を破棄し、コルヴァスを先锋として一気に制圧する方針だ」


 父が動いた。

 リオンは息を止め、感情を押し殺した。情報将校としての訓練が、動揺を表に出すことを許さない。


「コルヴァスの現在位置は」

「既に灰域(アッシュランド)に入っている。リーヴ・シェイドの部隊が先行偵察を完了し、本隊が後続している。進行速度から計算すると、あと2週間でストーンクロス圏内に到達する」

「2週間」

「それが最大の猶予だ。実際にはもっと早い可能性がある。リーヴの偵察部隊は常識外れの速度で動く」


 アイリスの声に焦りが滲んでいた。

「それと、もう一つ。セルヴィスの内部で、浄化計画に反対する動きがある。参謀本部の一部と、前線の中隊長クラスに。だが少数派だ。参謀長が直接指揮を執っている以上、公然と反対することは事実上不可能になっている」


 通信にノイズが混じった。アイリスが周囲を気にしている気配がある。

「リオン。私が提供できる情報はここまでだ。次の通信がいつになるか分からない。監視が厳しくなっている」

「アイリス。無理はするな」

「無理はしている。だが、必要な無理だ」

 通信が切れた。


 リオンはヘッドセットを外し、数秒間目を閉じた。

 2週間。

 ストーンクロスに戻るまでに3日。戻ってからの準備期間を差し引くと、実質的な猶予は10日もない。


 カイが振り返った。リオンの表情の変化を読み取ったのだろう。

「何かあったか」

「アイリスからの通信だ」

 リオンは歩みを止めずに、カイの横に並んだ。情報を共有する。隠す理由はない。


灰域(アッシュランド)浄化計画が前倒しになっている。コルヴァスが先锋として灰域(アッシュランド)に入っている。あと2週間もすれば、ストーンクロス圏内に到達する」

 カイの足が止まった。

「2週間」

「最大の猶予だ。リーヴが先行している以上、もっと早いかもしれない」


 カイの顔が引き締まった。怒りではない。状況を理解し、次に何をすべきか考えている顔だった。旅の最初にはなかった顔だ。


「セルヴィスの中にも、浄化計画に反対する声はある」

 リオンは付け加えた。

「だが少数派だ。参謀長が――父が直接指揮を執っている。公然と反対できる人間はほとんどいない」


 カイはリオンを見た。

「お前にとって、セルヴィスは何だ」

 唐突な問いだった。だがリオンには、その問いの意味が分かった。


 少し考えた。

 セルヴィスは故郷だった。生まれ育った場所。軍人としての自分を作った場所。父と母がいる場所。しかし同時に、8歳の日に見た燃える集落の記憶が、その故郷の土台にひびを入れ続けていた。


「かつての家だ」

 リオンは言った。

「今は、壊したい壁だ」


 カイは黙ってリオンを見ていた。

「お前は壁を壊しに来たのか」

 リオンは首を振った。

「壁の向こうに、助けたい人がいる」


 アイリスの顔が浮かんだ。浄化計画に反対しながら、監視の目を盗んで情報を流してくれる女性情報士官。セルヴィスの内側で、壁に背を押し付けながら立っている人間。リオンが外に出たことで、アイリスの立場はさらに危うくなっている。


 カイは何も返さなかった。

 返す言葉がなかったのか、返す必要がないと判断したのか。リオンにはどちらか分からなかった。ただ、カイが歩き出した時、その足取りが少し速くなっていた。


 ストーンクロスへ。

 2週間の猶予が、足元から溶けていく。



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