砲声の余波
砲声が集落を揺らした朝。ラストヘイムの日常が終わる。
最初の着弾は、夜明け前だった。
集落の外壁を流れ弾が直撃した。廃材で組まれた壁が粉砕され、瓦礫の粉塵が空気を白く染めた。爆風が集落の中を突き抜け、住居の窓が一斉に吹き飛んだ。
子供の泣き声が響いた。
カイは住居を飛び出した。
粉塵で何も見えない。口と鼻を布で覆い、ゴーグルを下ろした。足元が不安定だ。瓦礫を踏むたびにバランスを崩しかける。
2発目が来た。今度は集落の南端、外壁の外側に着弾した。衝撃波が地面を揺らし、カイは壁に手をついた。耳が鳴っている。
「避難を始めろ!」
ゲオルグの声が聞こえた。粉塵の向こうで、白髪の大男が腕を振っている。
「子供と老人を排水路に! マーサ、子供たちを連れて先に行け!」
マーサが杖をつきながら、子供たちの手を引いていた。7人の子供が泣きながら走る。リックがその最後尾にいて、年下の子供の背中を押していた。
ロイドが住民の間を走り回っている。
「水は一人2リットル。食料は3日分。子供と老人を優先。動ける者は荷を持て」
声は冷静だった。帳簿の数字を読み上げるのと同じ声だ。だがその声が、パニックに陥りかけた住民を動かしていた。
クレアが負傷者の手当てに走った。外壁の崩壊で破片を浴びた住民が3人。頭から血を流している男を、クレアが地面に座らせ、止血帯を巻いている。
「動くな。傷は浅い。止まるまで押さえてろ」
クレアの手つきは速く、正確だった。丸眼鏡が粉塵で曇っている。袖で拭い、次の負傷者に向かった。
タリアが通信小屋から叫んだ。
「交戦は南南東、距離10キロ以下! 二つの部隊がこっちに向かって移動してる! 片方が逃げてて、もう片方が追ってる!」
ガルドがカイの傍に来た。赤葉の煙草は咥えていない。代わりに工具ベルトを締め、残殻の格納場所に向かっていた。
「来るぞ。残殻を起こせ」
* * *
カイは残殻のコックピットに座った。
動力炉の起動スイッチを入れる。エンジンが唸り始め、振動がシートを通じて体に伝わった。機関温度計が青から緑に変わるまで、3分。その3分が途方もなく長い。
砲声が断続的に続いている。一発ごとに、空気が振動する。鉄と硝煙の匂いが風に乗って集落に流れ込んでくる。
操縦桿を握った。両手で。力を抜け。ガルドの声が頭の中で反響する。
燃料残量76%。弾薬は旧式の実体弾が42発。左腕の関節が少し渋い。右脚の軸受けは先日削り直したばかりだ。胴体装甲は3枚のうち1枚が欠けている。
これが、自分の全てだ。
機関温度が緑に達した。
カイは残殻を立ち上げた。8メートルの鉄の塊が、ゆっくりと直立する。関節が軋む。駆動系が悲鳴のような音を上げた。だが動く。
集落の外縁に向かって歩を進めた。一歩踏み出すたびに、地面が揺れる。
* * *
外壁の向こうは、戦場だった。
砂塵と閃光の中で、鉄殻の影が交差していた。
2機。いや、3機。砂塵が濃くて全容は見えないが、断続的に光が走り、金属が打ち合う音が響いている。セルヴィスの汎殻とクレスタの傭兵機。カイが見たことのない機体だ。残殻とは比べものにならない。装甲の厚み、関節の滑らかさ、動きの速度。全てが別次元だった。
だが彼らはラストヘイムなど眼中にない。
集落の外縁をかすめるように交戦し、追撃する側が追われる側を北に押しやっている。流れ弾が集落に飛ぶのは、そのついでだ。灰域の小集落など、彼らにとっては地形の一部でしかない。
3発目の流れ弾が集落の住居を直撃した。
木と廃材で組まれた建物が、一瞬で崩壊する。粉塵が噴き上がり、悲鳴が聞こえた。
「カイ!」
ガルドの声が通信機から飛んできた。
「出るな。お前の残殻であいつらに突っ込むのは自殺行為だ。住民の避難が先だ」
カイは操縦桿を握り締めたまま、動けなかった。目の前で鉄殻が暴れ、集落が壊されていく。だがガルドの言葉は正しい。残殻であの戦闘に飛び込めば、一瞬で潰される。
歯を食いしばった。
「避難の護衛に回る。南側の外壁に立つ」
「それでいい」
残殻を南側の外壁の前に立たせた。崩れた壁の隙間から、戦闘が遠ざかっていくのが見える。追撃戦は北に流れていった。砲声が徐々に小さくなる。
だが被害は残った。
* * *
砲声が完全に聞こえなくなったのは、正午を過ぎた頃だった。
カイは残殻を停止させ、コックピットから降りた。機関温度計が黄域の手前まで上がっていた。長時間の待機で冷却が追いつかなくなっている。
集落に戻ると、被害の全容が見えた。
外壁が2箇所で崩壊。住居が3棟損壊。うち1棟は全壊。負傷者は7人。重傷者はいない。死者はいない。
運が良かった。流れ弾が直撃していれば、こんなものでは済まなかった。
カイは瓦礫の中を歩いた。崩れた壁、割れた窓、砂に埋もれた日用品。鍋、布切れ、子供の靴。ここに暮らしがあったことが、瓦礫に刻まれている。
タリアが通信小屋の前で座り込んでいた。通信機を抱えている。通信小屋の屋根が半分吹き飛んでいた。
「通信機は無事?」
「無事。あたしが抱えて逃げた」
タリアの声は平静だったが、手が震えていた。カイは何も言わず、タリアの隣に座った。
ゲオルグが排水路から子供たちを連れ戻してきた。子供たちの顔は泥だらけで、目が赤い。リックがカイを見つけて駆け寄った。
「カイ兄、大丈夫だった?」
「ああ」
「残殻、動かしたんだ。すごいな」
リックの声は震えていたが、笑おうとしていた。15歳の少年が、恐怖を笑顔で覆い隠そうとしている。カイはリックの頭に手を置いた。何も言わなかった。
* * *
巡回の最後、集落の南端。
カイは瓦礫の中を歩いていた。被害状況の確認だ。崩れた外壁の向こうに、何かが埋もれている。
砂と瓦礫を踏み越えた。
鉄殻があった。
半ば砂に埋もれた状態で、集落の外壁から50メートルほどの位置に横たわっている。戦闘で損傷し、ここまで流されたか、不時着したかだ。
カイは足を止めた。
その鉄殻は、カイが見たことのないものだった。
汎殻ではない。残殻でもない。装甲の表面が滑らかで、流線型のフォルムが砂塵の中でも光を返している。関節部の処理が精密で、残殻の荒削りな溶接痕とは比較にならない。設計思想が違う。部品の寄せ集めではなく、最初から一つの完成品として造られた鉄殻だ。
銘殻。
特定の操手のために設計された一品物の高性能機。灰域では伝説のような存在だ。ガルドの話で聞いたことがあるだけで、実物を見るのは初めてだった。
損傷は激しい。左肩の装甲板がひしゃげ、右脚の関節が半ば破壊されている。コックピット周辺に亀裂が走っている。だがフレームの骨格は生きている。技匠の目で見れば分かる。この機体は、直せる。
カイの心臓が、静かに速くなった。
銘殻――特定の操手のために設計・調整された一品物の高性能鉄殻。量産される汎殻とは異なり、操手の体格・操縦癖・戦闘スタイルに合わせて一機ずつ手作業で仕上げられる。整備には専属の技匠が必要。




