表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: ret_riever
鉄錆の邂逅

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/20

砲声の兆し

南の空に煙が立つ。砲声が近づいている。

早朝、カイは見張り台に登った。

 集落の外縁にある崩れかけた建物の最上階。鉄骨の手すりが半分失われた足場から、南の地平線が見渡せる。風が強い。ゴーグルが鎖骨にぶつかり、作業着の裾がはためいた。

 南の地平線に、煙が見えた。

 一筋ではない。複数の地点から、黒い煙が細く立ち昇っている。火事ではない。戦闘の残り火だ。建物が燃え、鉄殻(てっかく)の残骸が煤煙を上げている。

 カイは双眼鏡を目に当てた。リックに借りたものだ。レンズの端が欠けていて、右端の視界が歪む。それでも、煙の位置と数は確認できた。南南東に三筋。南西に一筋。距離は推定30キロから40キロ。


 作業場に降りると、ガルドが既に通信機を操作していた。

 タリアの通信小屋から持ち出した受信機を改造し、周波数を手動で回している。ヘッドフォンを片耳に当て、もう片方の耳でカイの足音を聞き分けた。

「南の煙を見たか」

「見た。複数箇所だ」

 ガルドは頷いた。受信機のダイヤルを微調整しながら、通信波を拾っている。

「暗号化通信が二系統。一つはセルヴィスの軍用周波数帯。もう一つはクレスタの傭兵が使う非暗号の短波通信。内容は聞き取れないが、頻度が高い。交戦中か、直後だ」

 ガルドの顔が険しかった。煙草を咥えていたが、火はついていない。それだけで緊張の度合いが分かる。

「やってるな。近い」



 * * *



 ゲオルグが緊急の住民集会を開いた。

 広場の中央に住民が集まった。全員ではない。子供と老人は住居に残し、動ける大人だけが集まっている。60人ほど。ゲオルグが広場の石の上に立ち、低い声で状況を説明した。

「南方でセルヴィスとクレスタの交戦が続いている。距離は30キロ以上あるが、接近の可能性がある。備えが必要だ」

 住民たちの間にざわめきが走った。

 ロイドが一歩前に出た。帳簿を手に、声を張る。

「備蓄の確認をする。水は一人あたり一日2リットルで7日分。食料は乾燥豆と干し肉で5日分。これを基準に、避難用の荷を準備してくれ」

 住民たちが動き始めた。ロイドの指示は具体的で、迷いがない。数字を示されると、人は動ける。

「避難経路は旧世界の排水路を使う」

 ゲオルグが続けた。

「地下の通路は鉄殻(てっかく)が通れない。子供と老人を優先して移動させる。避難先は北東の廃工場跡。あそこには水場がある」

 タリアが手を上げた。

「通信傍受を続けます。交戦の方角と規模を推定できれば、いつ動くか判断する材料になる」

 ゲオルグが頷いた。タリアは通信小屋に駆け戻った。


 カイは住民たちの顔を見渡した。

 不安がある。恐怖もある。だが取り乱している者はいない。30年前にも焼かれた場所だ。ラストヘイムの住民は、この世界の理不尽さを骨の髄まで知っている。恐怖に慣れている、というのとは違う。恐怖と共に生きることを、覚えている。



 * * *



 午後、カイは集落の外縁を巡回した。

 防衛上の死角を確認する。ラストヘイムは旧工業都市の廃墟の上に建てられているため、地形は複雑だ。崩れた建物の壁が天然の障壁になっているが、南側には広い空き地がある。ここから鉄殻(てっかく)が侵入すれば、集落の中心まで遮るものがない。

 カイは残殻(ざんかく)の格納場所に向かった。

 寄せ集めの装甲板に覆われた、カイの残殻(ざんかく)。左腕は別の機体から移植し、胴体装甲は3枚のうち1枚が欠けている。関節のあちこちに錆苔がこびりつき、まともな鉄殻(てっかく)とは呼べない。だが灰域(アッシュランド)では、これが命綱になる。

 コックピットに座り、起動手順を確認した。

 動力炉の暖機。機関温度計が青から緑に変わるまで、3分。操縦桿のキャリブレーション。ペダルの遊び調整。通信機の周波数を合わせる。全ての手順を、体に刻み込む。

 起動はしなかった。燃料を無駄にするわけにはいかない。だが手順を確認し、いつでも動ける状態にしておく。


 操縦桿を握る手が、微かに汗ばんでいた。

 戦ったことはない。人間との戦闘経験は皆無だ。廃材回収の際に野生動物や機械の暴走に対処した程度。操縦技術はガルドに叩き込まれたが、それは整備と移動のための技術であって、戦闘のためのものではない。

 それでも、ここにこれがある。ラストヘイムを守れるものは、この残殻(ざんかく)以外にない。



 * * *



 夕方、砲声が初めて聞こえた。

 遠い。だが確かに、大気を震わせている。

 低く、重い音だ。雷とは違う。一定間隔で繰り返される打撃音。鉄殻(てっかく)の主砲の発射音だと、ガルドが言った。

 集落の住民が足を止め、南の空を見た。閃光はまだ見えない。音だけだ。だが音だけで十分だった。住民の顔から、色が消えていく。

 タリアが通信小屋から走り出てきた。

「方角は南南東。距離は推定20キロ以下まで近づいてる。通信量が増えてる。複数の部隊が動いてる」

 ガルドが赤葉(レッドリーフ)に火をつけた。今度は深く吸い込み、長く煙を吐いた。

「機体の反応が散発的だ。一方的な戦闘じゃない。互いに動き回ってる。追撃戦だ」

 追撃戦。敗走する部隊を追う側が、灰域(アッシュランド)を通って移動している。その経路にラストヘイムがある。


 カイは残殻(ざんかく)のコックピットに座り、操縦桿を握った。

 エンジンはまだかけない。だが指先が操縦桿の感触を確かめている。力を抜け。ガルドが繰り返した言葉を、心の中で反芻した。

 砲声が、また響いた。前回より近い。

 カイの胸の奥で、あの感覚がまた灯った。言葉にできない。不安とも違う。体の内側から、小さな警鐘が鳴っている。あの夕暮れ時と同じだ。廃墟で感じたのと同じだ。だが今回はもっと強い。もっと鮮明だ。

 来る。

 何が来るのかは分からない。だがその確信が、言葉ではなく体の奥から湧いてくる。



 * * *



 夜半、砲声が明確になった。

 南の空に閃光が走った。一瞬ではない。断続的に、白い光が地平線の向こうで明滅する。そのたびに、集落の窓ガラスがびりびりと震えた。

 空気が変わっていた。風に混じる匂いが違う。鉄錆と砂の匂いに、焦げた金属の刺激臭が混じっている。戦場の匂いだ。

 ガルドが作業場から駆け出てきた。片手にヘッドフォン、もう片方の手に地図を持っている。

「南南東、推定15キロ。こっちに向かってる」

 その声は、カイが聞いた中で最も硬かった。

 ゲオルグが住居から出てきた。懐中時計を握ったまま、南の空を見据えている。

「避難準備を始めろ」

 ゲオルグの声が、夜の集落に響いた。穏やかさはなかった。30年前にも同じことを経験した男の声だ。


 ロイドが走った。住居を一軒ずつ回り、避難の指示を出す。

 タリアが通信小屋から叫んだ。「暗号通信の頻度が跳ね上がってる。少なくとも3部隊が交戦中」

 クレアが医療キットを抱えて診療所から出てきた。


 ラストヘイムの日常が、ここで終わる。


 カイは残殻(ざんかく)のコックピットの中で、操縦桿を握り締めていた。

 機関温度計が青を示している。燃料残量76%。まだ起動していない。だが次の瞬間にでもエンジンをかけられるように、全ての手順を頭の中で回している。

 砲声が夜空を割った。閃光が集落の壁を白く染め、すぐに消えた。

 カイの心臓が、操縦桿を握る手と同じリズムで脈打っていた。

セルヴィス防衛機構――旧北米東海岸を本拠とする統治機構体。軍事力に特化し、秩序と統制を最優先とする。クレスタ資源同盟――旧環太平洋地域を本拠とする統治機構体。資源採掘と物流に強く、傭兵の雇用に積極的。両者の衝突が灰域にまで及んでいる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ