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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio SASAME
灰を踏む者たち

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修復の日々

鍝翼刀(たんよくとう)の懸架ラッチが、乾いた音を立てて開いた。

 アイアンウェルの鋳造工房は、壁一面が灼けた煉瓦で覆われ、天井の採光窓から差し込む光が鉄粉を含んだ空気の中で白く散っている。旧世界の鍛造炉がまだ生きていた。炉の温度を示す目盛りが赤く揺れている。灰域(アッシュランド)にこれだけの設備が残っている場所は、ストーンクロスを除けば数えるほどしかない。


 ガルドはケストレルの胴体装甲を開いたまま、腹腔に潜り込んでいた。腰のツールベルトから精密ドライバーを抜き、後頭部から首筋に通る鋳脈(ちゅうみゃく)接続用のケーブルハーネスを一本ずつ外している。右腕だけが装甲の隙間から覗いており、手首が規則的に動いていた。


「工具。左手の、薄い方」

 カイは差し出す。ガルドの声が装甲の内側でくぐもっている。

「違う。もう一つ薄い方だ」

 カイは工具を持ち替えた。並んだ精密工具の中から、0.05ミリの差を指先で見分ける。ガルドに鍛えられた感覚だった。ラストヘイムで何百回も繰り返した動作。工具の重さ、柄の太さ、先端の厚みを指の腹で判別する。

「それだ」

 ガルドの手が装甲の隙間から伸び、工具を受け取った。


 ケストレルの腹腔は複雑だった。

 残殻(ざんかく)の内部構造とは比べものにならない。ケーブルの一本一本に役割があり、配線の取り回しに無駄がない。信号線と動力線が色分けされ、束ねられている。接続端子は旧世界の規格に準拠した精密なもので、カイが見慣れた灰域(アッシュランド)の自家製コネクタとは精度が別次元だった。

 銘殻(めいかく)とは、こういうものだ。一人の操手(そうしゅ)のために設計された機体。テオ・セヴァルのために、ガルドが組み上げたもの。


 ガルドが腹腔から上半身を出した。額に油汚れがついている。煙草を咥えているが、火はついていない。工房内は火気厳禁だ。

鋳脈(ちゅうみゃく)接続回路のリレー素子を全部抜く。12基。一つでも残すと、鋳脈(ちゅうみゃく)なしの回路に干渉する」

「12基もあるのか」

「テオの機体だからな。冴覚(さいかく)鋳脈(ちゅうみゃく)の両方をフルに使う設計だった。リレー素子が全身に分散配置されている。頭部に2基、胴体に4基、両腕に各2基、脚部に2基。それぞれがセンサーのフィードバック回路に接続されて、テオの神経に直結していた。今のお前には要らない」

 ガルドの手が動く。リレー素子を一つ抜くたびに、慎重に端子を確認し、周辺回路への影響をチェックしている。抜いた跡に、代わりのセンサー増幅回路を差し込んでいく。鋳脈(ちゅうみゃく)が読み取っていた情報を、計器に表示するための回路。体で感じる代わりに、目で読む。


 カイはガルドの手元を見つめていた。リレー素子は親指の爪ほどの大きさの金属片で、表面に微細な回路パターンが刻まれている。これが人間の神経に接続される。これが、父の体を少しずつ壊していった装置だ。



 * * *



「操縦桿の応答速度を上げる」

 ガルドがコックピットに移動する。狭い操縦席に体をねじ込み、操縦桿を握り、ペダルを踏む。テオの体格に合わせて作られた空間を、カイの寸法に調整していく。

「お前はテオより4センチ背が低い。腕のリーチも短い。その分、操縦桿の引き代を詰める」

 ガルドはシートの位置を前に出し、ペダルの踏面を2ミリ削った。やすりが鉄を削る音が、工房の壁に反響する。たった2ミリ。だがその2ミリが、操作と機体の間のずれを消す。

「操縦桿のストロークを15ミリ短縮する。テオは腕が長かったから大きなストロークで操作していたが、お前の腕だと引ききれない場面が出る。短いストロークで同じ入力量を確保するために、操縦桿のリンケージ比を変える」


 ガルドは操縦桿の根元のカバーを外し、リンケージ機構を調整した。ボルトを3本外して金属板の位置を変え、締め直す。トルクレンチの目盛りを確認しながら、規定値まで締める。


「左のペダル、踏んでみろ」

 カイがコックピットに入り、足を乗せる。

「重い」

「テオの踏力に合わせてある。お前の脚力だと15%重い。バネを調整する」

 ガルドが工具を持って再びコックピットの下に潜る。金属音が床下から響く。バネのテンションを調整しているのだ。

「もう一度」

 カイが踏む。今度は足首の返しだけで踏み込める。

「いい。右も同じにする」


 リオンが工房の入口に立っていた。

 壁に背を預け、ガルドの作業を見ている。紺色の瞳が、精密工具の動きを追っていた。腕を組み、白い息を吐きながら、一言も発さずに見ている。

「ペダルの踏力まで変えるのか」

 ようやく口を開いた。

「当たり前だ」

 ガルドの声が床下から聞こえた。

操手(そうしゅ)の体に機体を合わせる。逆じゃない。テオ用に作った機体を、カイ用に直す。骨格が違えば、全部変わる。身長、腕の長さ、足の大きさ、指の太さ、握力、踏力。人間の体は一つとして同じものがない。だから銘殻(めいかく)は一機一機が違う」

 リオンは小さく息を吐いた。

「セルヴィスでは技匠(ぎしょう)操手(そうしゅ)に合わせるのは銘殻(めいかく)だけだ。汎殻(はんかく)はそのまま乗れと言われる」

汎殻(はんかく)はそれでいい。汎殻(はんかく)は平均的な人間の体格に合わせた設計だ。だが銘殻(めいかく)はそうじゃない」

 ガルドが這い出てきた。油まみれの手で煙草の箱を探り、一本を抜いて口に咥える。火はつけない。

銘殻(めいかく)操手(そうしゅ)の延長だ。操手(そうしゅ)が息を吸えば機体も息を吸う。そこまで合わせて、初めて銘殻(めいかく)と呼べる」


 リオンは黙って頷いた。これが技匠(ぎしょう)の仕事だ。リオンのポラリスも、エマ・コーリンがそうやって作り上げた。リオンの冴覚(さいかく)による回避機動に、ポラリスの足首の可動域が追従する設計。鉄殻(てっかく)に魂を入れるのは操手(そうしゅ)ではない。技匠(ぎしょう)だ。



 * * *



 計器パネルの再配置に丸一日かかった。

 鋳脈(ちゅうみゃく)接続機構を外した分、コックピット内に空間が生まれた。ガルドはそこにセンサー情報の補助表示パネルを増設した。装甲健全度の部位別表示。関節負荷の数値。機関温度のグラフ。鋳脈(ちゅうみゃく)者なら体で感じる情報が、全て視覚に変換される。


「情報量が多い」

 カイは増設された計器を見回した。残殻(ざんかく)のコックピットに比べて、表示が3倍は多い。メインの計器盤に加えて、左右の壁面にも補助パネルが並んでいる。

「慣れろ。鋳脈(ちゅうみゃく)がない分、お前の目が全てだ。目と、耳と、勘と、冴覚(さいかく)

 ガルドは計器の横に小さなランプを追加していた。燃料残量が20%を切ると赤く点灯する警告灯。

「テオは鋳脈(ちゅうみゃく)のフィードバックで燃料の残りを感覚で掴んでいた。『腹が減った感じ』で燃料の減りが分かると言っていた。お前にはそれができない。だからランプで知らせる」


 一つ一つの改修が、鋳脈(ちゅうみゃく)の代替だった。

 体で感じる代わりに、目で読む。神経の速度の代わりに、配置の合理性で補う。ガルドの回答が、機体の中に形になっていく。鋳脈(ちゅうみゃく)なしでも戦える銘殻(めいかく)。それがガルドの矜持であり、テオへの約束の履行だった。


 カイは工具を持ったまま、ケストレルの外装に手を置いた。

 深い鉄紺色の装甲。無数の修復痕。溶接の跡。塗り直された箇所。装甲板を交換した継ぎ目。17年分の傷が刻まれた機体。この中に父が座っていた。この操縦桿を握り、この計器を読み、この機体で戦った。


 コンラッドが工房に駆け込んできたのは、3日目の夕方だった。

「通信が入った。東から」

 コンラッドの顔に、商人の計算を超えた緊張が浮いている。いつもの値踏みするような目が消え、額に汗が浮いていた。

「セルヴィスの部隊が灰域(アッシュランド)に入った。先鋒はコルヴァス」

 リオンの顔色が変わった。

 コルヴァス。特務遊撃隊。リーヴ・シェイドの部隊。リオンが誰よりもよく知る名前だ。


「修復はあとどのくらいかかる」

 カイが聞いた。

 ガルドは手を止めなかった。精密ドライバーが回路基板の上を走る。振り返りもしない。

「急いでも、あと四日」

 四日。セルヴィスが灰域(アッシュランド)に入った。コルヴァスが来る。修復は間に合うのか。

 ガルドは黙々と作業を続けていた。手だけが動いている。正確に、淡々と。技匠(ぎしょう)は焦らない。焦れば、0.05ミリの精度が狂う。精度が狂えば、戦場でカイが死ぬ。

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