|鋳脈《ちゅうみゃく》と情報の値段
バートン・セオの執務室に、見知らぬ男が座っていた。
椅子に浅く腰掛け、脚を組み、指先で膝を叩いている。45歳。恰幅のいい体格に、仕立ての良い革のジャケット。顔は人好きのする丸さがあるが、目だけが鋭い。商人の目だ。金の匂いを嗅ぎ分ける目。
ヒューゴ・デルガド。クレスタの武器商人。リングトレードの代表。
「久しぶりだな、バートン」
ヒューゴは椅子の上で体を揺すりながら言った。
「最後に会ったのは——半年前か。あの時はファルケの弾薬を100発持ってきたんだったな」
バートンは机の向こう側に座り、腕を組んでいた。表情は硬い。ヒューゴのような男を相手にする時、バートンは笑わない。笑えば値踏みされる。
「今日は何を持ってきた」
「弾薬。補修部品。それと、情報」
ヒューゴは荷台から運び込ませた木箱を指さした。蓋が開いている。中にファルケ突撃銃の弾薬がきちんと並んでいた。100発単位のパック。その下に、関節軸受けのベアリングと潤滑油の缶。灰域では金より価値のある物資だった。
「対価は?」
「借りだ」
バートンの眉が動いた。
「金じゃなく、借り。今すぐ返さなくていい。だがいつか、クレスタがストーンクロスに頼み事をする時が来る。その時に返してもらう」
ヒューゴは飄々と笑った。その笑顔の裏を、バートンは読もうとしている。元クレスタの管区長だ。この手の駆け引きには慣れている。
「裏があるな」
「隠さないよ。灰域がセルヴィスに踏み潰されるのも、グランヴェルトに呑み込まれるのも、クレスタの利益にならん。灰域が生き残ってくれた方が、クレスタの商売が成り立つ。武器も食料も、灰域に売る先がなくなったら困る」
カイ・セヴァルは執務室の壁際に立って、やり取りを聞いていた。ヒューゴに好感は持てない。灰域の命を商売の材料にしている男だ。だが弾薬が足りないのは事実だった。ルーク重機関砲の弾は残り30発を切っている。
リオン・アスフォードが隣に立っていた。リオンもヒューゴを見ていたが、その目は分析的だった。軍人の目。相手の意図と能力を測っている。
* * *
ヒューゴとの交渉が終わった後、カイはリオンを呼び止めた。
執務室の外の廊下。石壁が冷たい。窓の外にストーンクロスの夕暮れが見えた。
「リオン。聞きたいことがある」
リオンは足を止めた。
「リントの妹のことだ。名前はエリー・ガーレス。三年前にセルヴィスの偵察部隊に連れ去られた。11歳だった。今は14歳のはずだ。どこにいるか分かるか」
リオンの表情が曇った。
紺色の目が伏せられ、唇が薄く結ばれた。知っている顔だ。全てを知っているわけではないが、何かを知っている顔。
「保護民の子供で、冴覚適性のある者は、グレイウォーター基地に送られる」
「グレイウォーター」
「セルヴィスの東部管区にある閉鎖施設。リーヴ・シェイドが育った場所だ。そこで訓練を受け、適合率が高ければ——」
リオンは言葉を切った。
カイは待った。
「適合率が高ければ、鋳脈処置の候補になる。ただし、そこから先は——私にも分からない。私の権限では、グレイウォーターの内部情報にアクセスできなかった」
セルヴィスの内側にいた人間でさえ知らないこと。壁の向こうに、更に壁がある。
「エリーという名前は聞いたことがない。だが、三年前に灰域から回収された子供のリストは、アイリスが持っているかもしれない。連絡が取れれば——」
「頼む」
カイは頭を下げた。自分のためではない。リントのために。名前も知らない11歳の少女のために。
リオンは頷いた。声はなかったが、目が約束していた。
* * *
執務室に戻ると、ヒューゴが去り際だった。
木箱は荷台に戻されておらず、執務室の隅に置かれていた。取引は成立したらしい。バートンが渋い顔をしているが、弾薬と部品は受け取った。
ヒューゴがカイの横を通りかかった。
足を止め、カイの顔を見た。丸い顔に、商人の笑み。だが目は笑っていない。
「ボウヤ」
ヒューゴが小声で言った。バートンには聞こえない距離。
「グランヴェルトが灰域で探しているモノ、お前も知っているだろう。あれが見つかれば、世界が変わる」
カイは答えなかった。
ヒューゴの言う「モノ」が何を指しているのか、カイには分かった。テオが隠した鋼城の設計データ。ガルドが語った断片。ゲルハルト・ナルセンが灰域に来ている理由。全てが、一つの場所を指している。
「お前の親父は賢い男だった。あれを隠した場所を選ぶセンスは、俺も認める。だが隠し続けることは永遠にはできない。見つかるのは時間の問題だ」
ヒューゴは革のジャケットの襟を立てた。
「その時に、あれを持っている側に有利が傾く。セルヴィスか、グランヴェルトか——それとも、灰域か。選べ、ボウヤ」
ヒューゴは手を振って、執務室を出ていった。革靴の音が廊下に響き、遠ざかっていく。
カイは黙って見送った。
武器商人の言葉は、毒にも薬にもなる。だが一つだけ確かなことがある。テオが隠したものを巡って、灰域に嵐が来る。セルヴィスの浄化計画。グランヴェルトの先遣部隊。クレスタの商売人。全てが、この灰色の大地に集まり始めている。
窓の外で、夕日が完全に沈んだ。
ストーンクロスの街灯——旧世界の電球を繋ぎ直したものが、一つずつ灯り始めた。弱い橙色の光。管区の蛍光灯のように明るくはない。だがこの光の一つ一つに、人の暮らしがある。
カイは窓を閉め、執務室を出た。リオンが廊下で待っていた。
「セヴァル。ヒューゴが何か言っていたか」
「大したことじゃない」
嘘だった。だが今は、リントの妹のことが先だ。
「アイリスへの連絡、できるか」
「通信施設を借りれば。ただしセルヴィスの回線は暗号化されている。傍受される危険がある」
「それでも頼む」
二人は通信施設に向かって歩き始めた。石壁の廊下に、二人の足音が重なった。




