リントの過去
ストーンクロスの石壁の上に、二人が並んで座っていた。
カイ・セヴァルと、リント・ガーレス。足元には集落の街並みが広がり、壁の外側には灰域の荒野が夕焼けに染まっている。
リントが自分から話しかけてくるのは珍しかった。模擬戦の後、「時間を作ってくれ」と言ったのはリントの方だ。だが二人が壁の上に座ってから、リントはしばらく何も言わなかった。
夕日が丘陵の向こうに沈んでいく。灰色の空が鉄錆色に変わり、灰原草の穂が橙色に光る。眼下ではストーンクロスの子供たちが走り回っている。鉄殻拾いの帰りだろう、小さなバケツに錆びたボルトやナットを入れて、競い合うように見せ合っている。
「俺の両親は、灰域の小さな集落の住民だった」
リントが口を開いた。声はいつもの刺のある調子ではなく、乾いて平坦だった。
「名前もない集落だ。人口は30人ぐらい。旧世界のコンクリート構造物を住居にして、灰原草の根を掘って食べていた」
カイは黙って聞いた。
「三年前、セルヴィスの偵察部隊が来た」
リントの手が、膝の上で拳を作った。
「住民は抵抗しなかった。鉄殻もない。銃もない。抵抗のしようがなかった。偵察部隊は『調査』だと言った。集落の人口を記録し、住民の健康状態を確認する。それだけだと」
風が吹いた。石壁の上では風が強い。リントの短い髪が揺れた。
「だが偵察部隊は子供を集めた。14歳以下の子供、全員に検査を実施すると言った。何の検査か分からない。器具を使って、子供の反応を見ていた。俺の妹は11歳だった」
カイの胸が締まった。リオンが語った冴覚適性検査。あれが、ここで実際に行われていたのだ。
「妹は——適性があると言われた。偵察部隊の指揮官が、妹を連れて行くと言った。『保護プログラムに編入する。管区で教育を受けさせる』と。親父が立ちはだかった。『うちの子供をどこにも連れて行かせない』と」
リントの声が、僅かに震えた。すぐに押し殺した。
「撃たれた。親父は。胸に一発。その場で死んだ」
沈黙が落ちた。
子供たちの笑い声が、壁の下から遠く聞こえてくる。鉄殻拾いの戦利品を見せ合う無邪気な声。あの声と同じ歳の子供が、連れ去られた。
「妹は連れて行かれた。どこに行ったか分からない。三年経っても、何の手がかりもない。俺がストーンクロスに来て鉄殻に乗ったのは、妹を取り返すためだ」
リントは夕焼けを見つめていた。灰域の空が暗くなっていく。橙が紫に変わり、紫が闇に沈んでいく。
「お前のセルヴィスの女に聞けるか。俺の妹がどこにいるか」
カイは答えた。
「聞いてみる」
約束した。リオンが知っているかどうかは分からない。だがリントの目を見て、「分からない」とは言えなかった。
「名前は」
「エリー。エリー・ガーレス」
カイはその名前を胸に刻んだ。
* * *
リントは立ち上がり、石壁の上から中庭側に飛び降りた。身軽な着地。22歳の体は、壁の高さを物ともしない。
「借りは返す。お前に負けた分はな」
リントは背中を見せたまま歩き出した。その背中が、夕闇の中に小さくなっていく。
カイは壁の上に残った。
夕焼けが完全に消えた。灰域の夜が来る。星が一つ、二つと雲の切れ間から覗く。
灰域が抱える傷は、カイが思っていたよりも深かった。ラストヘイムだけではない。名もない集落で、名もない家族が、統治機構体の論理に押し潰されている。リントの父は、娘を守ろうとしただけだ。それが罪になる世界。
リオンのことを考えた。リオンが持ってきた情報——冴覚適性検査。保護民編入手続き。グレイウォーター基地。それらの言葉の裏に、リントの妹のような子供が何人いるのか。
カイは拳を握った。
石壁の冷たさが掌に伝わる。この壁の中に、守りたいものがある。壁の外にも、守りたいものがある。
だが今の自分に、何ができるのか。
答えはまだない。答えが出るまで、動き続けるしかない。




