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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio SASAME
灰を踏む者たち

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反発

ドライベッド・シチューの湯気が、焚き火の上で揺れていた。

 干し肉と根菜を煮込んだ灰域(アッシュランド)の定番料理。ストーンクロス産のものは、ラストヘイム産よりも塩気が強い。集落ごとに味が違う。灰域(アッシュランド)の文化というのは、そういう小さな差異の集合だった。


 カイ・セヴァルは木のスプーンでシチューをすくい、口に運んだ。熱い。だが旨い。疲れた体に沁みる味だ。

 焚き火を挟んだ向かい側に、リオン・アスフォードが座っていた。同じシチューを、ゆっくりと食べている。灰域(アッシュランド)の食事に慣れていないのが、スプーンの速度に出ていた。


「お前たちが灰域(アッシュランド)を壊したんだ」


 カイは、唐突にそう言った。

 言うつもりはなかった。だが口を開いたら、溜めていたものが出てきた。


統治機構体(とうちきこうたい)が見捨てなければ、ここはこうはなっていなかった。30年だぞ。30年、見捨てておいて、今さら浄化だと。浄化ってのは何だ。汚いものを綺麗にするって意味か。ここに暮らしてる人間は汚いものなのか」


 リオンはスプーンを止めた。

 紺色の目がカイを見ている。揺れてはいない。だが硬い。


「私だって変えたくてここにいる」

「変えるって何を。お前一人で組織を変えられるのか。セルヴィスは何万人いる。将校が一人抜けたところで何も変わらないだろう」

「変わらないかもしれない。でも一人で組織を変えられるほど、世界は簡単じゃない」

「じゃあなんで来た」


 カイの声が、少し荒くなった。自分でもそれが分かった。だが止められなかった。


「あなたたちの顔を見て、知らないふりができなくなったから」


 リオンの声は静かだった。

 怒りの反論ではなかった。事実を述べるような、平板な口調。だがその言葉の奥に、何かが軋んでいた。


「知らないふりをしていた頃の方が楽だった。管区の中にいれば、灰域(アッシュランド)は数字だ。統計上の管区外人口。地図上の空白。でもここに来て、人を見た。子供を見た。あの共同窯の匂いを嗅いだ。それで戻って、会議室の書類を見た時——数字が人の顔に見えた」


 カイは黙った。

 正解のない問いだった。灰域(アッシュランド)を壊したのはセルヴィスだ。だが目の前のこの女が壊したわけではない。この女はその組織の中にいて、中から変えようとして、変えられなくて、ここに来た。それが正しいのか間違いなのか、カイには判断できなかった。


 焚き火が爆ぜた。火の粉が二人の間に舞い上がった。



 * * *



 少し離れた場所で、ガルドとトワが別の焚き火を囲んでいた。

 ガルドは遺灰酒の瓶を傾けている。ラストヘイム産の赤葉(レッドリーフ)ベース。喉が焼けるような度数だが、体は温まる。トワはヘイズ・ミントの葉を噛んでいた。


「あの二人、やり合ってるな」

 トワが焚き火の向こうに目をやった。カイとリオンの影が、炎に照らされてちらちら揺れている。

「若いから仕方ない」

「お前は若くなかったのか。あの歳の頃」

「あの頃の俺たちも、こうだった」


 ガルドは酒を一口飲んだ。目が遠くなった。

「テオと俺が初めて灰域(アッシュランド)を歩いた時、似たようなことを言い合った。テオは『統治機構体(とうちきこうたい)が全部悪い』と言い、俺は『悪いのは分かるが、どうしようもない』と言った」


「今は違うのか」

 トワが聞いた。

 ガルドは遺灰酒を口に含み、飲み込んだ。答えなかった。



 * * *



 口論は30分で終わった。

 終わったというより、二人とも黙ったのだ。言葉が尽きたのではなく、これ以上言葉を重ねても、何も解決しないことを互いに悟った。


 カイはシチューの残りを食べた。冷めていた。リオンも黙って食べていた。木のスプーンが器の底を擦る音だけが、焚き火の爆ぜる音と混ざった。


「悪かった」

 カイが言った。

「お前個人に怒っても仕方ない」

「謝る必要はない。あなたの怒りは正しい」

「正しくても、怒りじゃ腹は膨れない」


 リオンが顔を上げた。

 一瞬、紺色の目が丸くなった。それからすぐに元の硬い表情に戻ったが、口元に何かが浮かびかけた。笑顔とは呼べない。だが、壁に入った亀裂から差す光のような、微かなもの。


「……そうだ。腹は膨れない」


 リオンはそう言って、シチューを最後の一口まで食べた。


 焚き火が小さくなっていく。灰域(アッシュランド)の夜が深くなる。星が雲の切れ間から覗いた。二人はしばらく黙って焚き火を見つめ、やがてそれぞれの寝場所に向かった。


 互いに背を向けて横になった。

 毛布の擦れる音。風の音。焚き火の残り火が、暗闇の中で赤く脈打っている。


 だが朝になれば、また並んで歩くことを、二人とも知っていた。言葉にはしない。だが知っていた。同じ焚き火で同じシチューを食べた二人は、昨日よりも僅かに、壁が薄くなっている。


 カイは目を閉じた。

 灰域(アッシュランド)の夜風が頬を撫でた。冷たい。だがその冷たさの中に、焚き火の温もりが残っていた。

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