再会
ストーンクロスの東の丘陵をカイ・セヴァルはケストレルで巡回していた。
――違う。まだ残殻だ。ケストレルはまだ見つかっていない。錆びた関節が軋む旧い機体でカイは丘陵の稜線沿いを歩いていた。
午前10時、曇天。灰原草の白い穂が風に揺れている。
センサーに反応があった。南西方向、距離800メートル。鉄殻ではない。歩行者サイズの熱源が一つ。
カイはセンサーの倍率を上げた。
人影が一つ。大きな荷物を背負い、よろめきながら歩いている。灰域の集落の住民にしては装備が違うし、傭兵にしては軽装すぎる。
近づいていく。残殻の足が丘を下り、荒地の平坦部に出た。
人影が立ち止まってこちらを見ている。逃げない。灰域の住民なら見知らぬ鉄殻に対して逃げるか隠れるかするのが普通だ。立ち止まって見上げてくるのは鉄殻を見慣れた人間か、逃げる体力が残っていない人間かだ。
カイは残殻を停止させ、外部スピーカーを入れた。
「何者だ」
返事はなく、人影がフードを外した。
黒い長髪が風に広がる。痩せた顔。日焼けしていない白い肌には砂埃がこびりついている。深い紺色の目が残殻のセンサーカメラを真っ直ぐに見上げていた。
カイの手が操縦桿の上で止まった。
「……リオン」
コックピットのハッチを開けて身を乗り出した。
リオン・アスフォード。セルヴィスの少尉で第三機装師団、ポラリスの操手だ。あの時ラストヘイムに来た軍人。あの時灰域の現実を目にして「あなたたちを見捨てたのは、私たちだ」と言った女。
だが今目の前にいるのは軍人ではなかった。
軍服ではなく暗色の戦闘服に外套を羽織り、セルヴィスの支給品のブーツだけが元の所属を物語っている。痩せている。灰域を一人で歩いてきた疲弊が頬のこけ方に出ており、唇は乾いて割れ、目の下には隈がある。
カイは残殻の膝を折らせてコックピットから地面に飛び降りた。
「なぜここに」
リオンは一拍の間を置いて口を開いた。声が掠れている。水が足りていないのだ。
「灰域浄化計画の警告をしに来た。セルヴィスが本格的に動く」
カイはリオンの顔をまじまじと見た。
前に会った時と表情が違う。あの時の硬質な軍人の面差しは残っているが、その下に何かが揺れている。壁に亀裂が入った建物のように崩れかけてはいないが、もう無傷でもない。
「ポラリスは」
「置いてきた。銘殻を持ち出せば追跡される」
「鉄殻なしでここまで歩いてきたのか」
「10日かかった」
10日。生身で灰域を10日。カイは灰域の危険を知っている。灰域狼の群れ、夜間の低温、浄水なしの脱水、食料の確保。その全てを一人でこなしたというのか。
「お前はまだセルヴィスの人間だろう」
カイが釘を刺すように言うと、リオンは否定しなかった。
「だからこそ、中の情報を持ってこられた」
* * *
ストーンクロスの外壁が見えてきた。
カイは残殻の手のひらにリオンを乗せて集落まで運んだ。リオンは鉄の掌の上に座り、外套のフードを風よけにしている。会話はない。カイは操縦に集中し、リオンは砂埃に目を細めていた。
集落の門前ではガルドが待っていた。旧型作業車に凭れかかり、灰域煙草の赤葉をくわえている。リオンが残殻の手のひらから降りるのを見て煙草を口から外した。
「セルヴィスの嬢ちゃんか」
「ガルド。リオンが灰域に来た。浄化計画の情報を持っている」
「聞いてるよ。バートンからトワ経由で連絡があった。南西から一人で歩いてくる女がいる、って」
トワ・カジャが門の上から降りてきた。残殻シルフの操手であり、灰域随一の独立傭兵だ。短い黒髪に鍛え上げた体躯。リオンを見る目は率直で遠慮がなかった。
「信用できるのか、この女」
トワはリオンではなくカイに聞いた。
「分からない。だが情報は本物かもしれない」
「分からないを信じるのか」
「分からないから、確かめるんだ」
トワは肩をすくめた。
ガルドがリオンに水筒を差し出す。リオンは受け取って一口飲み、咳き込んだ。灰域の水は浄水結晶を通してあっても管区の水とは味が違う。鉄と砂の微かな味がするのだ。
「10日歩いて来たなら、まず飯を食え。話はそれからだ」
ガルドはそう言ってリオンをストーンクロスの中に案内した。
* * *
バートン・セオの執務室でリオンは持ってきた情報を広げた。
灰域浄化計画の実施要綱、保護民編入手続きの詳細、冴覚適性検査の存在、子供の回収プログラム、セルヴィスの部隊配置、侵攻の予定ルート。
バートンは書類を一枚ずつ読んで眉を寄せた。カイはリオンの横に立ってその内容を聞いている。ガルドは壁に凭れて煙草をくわえ、トワは窓際に立って外を見ていた。
リオンが告げた情報の中にカイの耳を引くものがあった。
「セルヴィスだけじゃない。グランヴェルトも灰域に来ている。先遣部隊の指揮官の名前は、ゲルハルト・ナルセン」
部屋の空気が変わるのをカイは感じた。ガルドの手が一瞬止まったのだ。煙草を持つ左手、火傷の痕がある中指と薬指。その指先が僅かに強張り、すぐに元に戻った。
カイが視線を向けると、ガルドは壁の一点を見つめたまま何も言わない。だがその沈黙にはカイが今まで聞いたことのない種類の重さがあった。
「ガルド。知っている名前か」
「……ああ。知っている」
それだけだった。ガルドはそれ以上何も言わず煙草の灰を床に落とした。
カイは問い詰めなかった。今はリオンの情報が先だ。だがガルドのあの反応は忘れない。
バートンが書類を閉じた。
「この情報が本物なら、灰域に残された時間はそう長くない」
リオンが頷いた。
「セルヴィスの先鋒部隊が灰域に入るのは、早ければ一ヶ月以内です」
一ヶ月。カイは拳を握った。一ヶ月で何ができ、何を守れるというのか。
窓の外からはストーンクロスの子供たちが走り回る声が聞こえていた。




