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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio SASAME
灰を踏む者たち

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|灰域《アッシュランド》の市場

匂いが、最初に来た。

 香辛料の匂い。干し肉の匂い。革の匂い。錆の匂い。人の汗の匂い。それらが入り混じって、ストーンクロスの市場区画を満たしていた。


 カイは人混みの中を歩いた。市場は集落の中心部、石畳の広場に広がっていた。旧世界のコンクリートの基礎の上にテントが張られ、木の台の上に商品が並べられている。露店がひしめき合い、通路は人ひとり分しかない場所もある。


 クレスタの行商人が、リーフ・スパイスを木箱に山盛りにして売っていた。黄色と茶色が混じった粉末が、朝の光の中で鮮やかに見える。東南アジアの香辛料を混合したものだと、トワが教えてくれた。


「これを肉に振ると、灰域(アッシュランド)の干し肉が3倍美味くなる」


 トワは一袋買った。革袋に詰められた粉末を、鼻に近づけて匂いを嗅ぐ。カイも嗅いだ。胡椒とターメリックの、鋭くて温かい匂い。ラストヘイムでは嗅いだことのない香りだった。


「いくらだった」


「干し肉2切れと交換。高いが、しばらく飯が楽しみになる」


 市場は物々交換が基本だった。通貨がない。鉄殻(てっかく)部品、食料、布、薬品。全てが物と物の交換で取引される。武器商人の露店には、クレスタ経由で流れた旧型の汎殻(はんかく)用弾薬が並んでいた。値段が書いてある。「ルーク40ミリ弾20発: ストーンクロス・エール半樽」。命の値段が、酒で測られている。



 * * *



 カラス商隊の荷馬車が市場の入口に停まっていた。

 武装荷馬車。馬ではなく、改造エンジンを積んだ自走式だが、速度は遅い。荷台には鉄殻(てっかく)部品、食糧、薬品が積まれている。荷台の横に「カラス商隊」の紋章――黒い鴉が翼を広げたシルエット――が焼印で押されていた。


 子供たちが荷馬車の周りに群がっていた。

 商隊の男がポケットからカラス商隊キャンディを取り出し、子供たちに配る。蜂蜜と干し果物を固めた飴。子供たちの顔が輝く。灰域(アッシュランド)の子供にとって、最大の贅沢品だ。


 カイは立ち止まって、その光景を見た。ラストヘイムでも、カラス商隊が来ると子供たちが駆けてきた。リックも。タリアも。カイ自身も、幼い頃にガルドからもらった記憶がある。甘かった。その甘さだけが、ここにも変わらず存在している。



 * * *



 市場の奥に進んだ。

 鍛冶屋の露店で、鉄殻(てっかく)の関節部品が並んでいた。中古品だが、磨き上げられて状態は良い。カイは膝の軸受けを手に取った。自分の残殻(ざんかく)の左膝と同じ規格だ。ジェロニモとの戦闘で痛めた膝の部品。ガルドが応急修理してくれたが、正規の部品に交換すれば性能が安定する。


「それ、お前の機体に合うのか」


 トワが覗き込んだ。


「規格は合う。軸の径が0.05ミリ大きいが、ガルドなら削って合わせられる」


「0.05ミリの差が分かるのか」


「ガルドに教わった。手で持った重さと、指で回した時の遊びで分かる」


 トワが僅かに眉を上げた。感心とも呆れとも取れる表情だった。


 部品の値段は、ルークの弾10発分。痛い出費だが、膝が壊れるよりましだ。カイは予備の弾薬と引き換えに、軸受けを手に入れた。

 別の露店で、速射砲弾を20発、干し肉半束と引き換えに手に入れた。



 * * *



 市場のはずれに、古いラジオが置いてあった。

 旧世界の真空管式ラジオを修理したもので、木製の筐体がひび割れている。ダイヤルが手動で、周波数を合わせると雑音の中から声が聞こえた。


「……セルヴィスの前衛部隊が灰域(アッシュランド)南部で移動を開始した模様。住民への被害は未確認。繰り返す。セルヴィスの前衛部隊が……」


 「焦土の声」。発信者不明の非公式ラジオ放送。不定期に灰域(アッシュランド)各地で受信される。統治機構体(とうちきこうたい)の動向を伝える、灰域(アッシュランド)の耳。


 ラジオの前に老人が座り、耳を傾けていた。顔に刻まれた皺が深い。目を閉じて、雑音混じりの声を一言も逃すまいとしている。


 カイはラジオの前を通り過ぎた。セルヴィスの前衛部隊。動き出している。バートンの言った通りだ。浄化計画は始まっている。



 * * *



 市場を一周して、カイはガルドの作業車に戻った。

 ガルドは車の下に潜り込んで何かを直していた。足だけが見えている。カイが軸受けの部品を渡すと、油まみれの手が受け取った。


「……規格は合うが、0.05ミリ大きいな」


「分かるのか。持っただけで」


「当たり前だ。俺を誰だと思ってる」


 ガルドが車の下から這い出てきた。煙草を咥え、軸受けを指で回している。


「いい品だ。グランヴェルト製じゃないが、クレスタの二次加工品だろう。公差は許容範囲だ。削って合わせる」


 ガルドの手が部品を撫でた。指先の感触で金属の状態を読んでいる。「骨を読む」と技匠(ぎしょう)は言う。触れるだけで内部の状態を推測する技。ガルドの指は、カイの知る限り、最も正確だった。


 トワが横からリーフ・スパイスの袋を差し出した。


「飯に振れ。今夜は少しましな味になる」


 ガルドが袋を受け取り、匂いを嗅いだ。


「……テオが好きだったな、こういう匂い。アイゼンヴルストにこいつを振って食ったら美味いって、酔うたびに言ってた」


 カイは黙って聞いた。父が好きだったもの。知らなかったことが、少しずつ増えていく。


 市場の商人の声が遠くに聞こえる。「セルヴィスが来たら、ここも終わりだ。商売ができなくなる。管区に組み込まれたら、物々交換は違法になるからな」。


 灰域(アッシュランド)の自由は、灰域(アッシュランド)の経済と一体だった。この市場が消えれば、ストーンクロスの800人の暮らしが根こそぎ変わる。それは戦争の前に、既に始まっている侵略だった。

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