英雄の息子
訓練場の砂煙が朝の光に白く舞った。
ストーンクロスの訓練場は南門の外にあった。地面には無数の残殻の足跡が幾重にも重なっている。射撃の的らしい鉄杭が点々と立っていた。ラストヘイムにはこんなものはなかった。あそこでは戦うことそのものが常に実戦だった。訓練のための場所を持てるというだけで、この町の余裕が知れる。
カイが訓練場に着いた時には先客がいた。
赤茶の髪を短く刈った見上げるほどの長身で、昨日格納庫の前で見た操手だ。無愛想な顔の中で、首に巻いた赤いスカーフだけが妙に鮮やかだった。不機嫌そうな顔をしているが、常にそうなのかカイに対してなのかはまだ分からない。
残殻の傍に立ち、カイの方を見る。
「お前がテオの息子か」
挨拶ではなく確認だった。
「そうだ」
「リント・ガーレス。ストーンクロス防衛隊の操手だ」
名乗りはしたが握手の手は差し出されず、値踏みするような目だけがこちらを向いている。
リントの目がカイの寄せ集めの残殻を端から端まで滑った。侮られたと一瞬身構える。だが視線はすぐにカイの顔へ戻ってきて、機体ではなく彼自身を見ていた。
「英雄の息子ってだけで特別扱いか。灰域はそういう場所じゃない。実力がなければ死ぬだけだ」
リントの声が低く尖った。怒っているのとは少し違い、何かをこちらにぶつけたがっているようだが、それが何なのかはまだ分からなかった。
「特別扱いされた覚えはない」
言ってから自分でも嘘くさいと思う。門番の顔色やバートンの会談。確かに父の名前が先に立ち、自分という人間は誰も見ていない。それはラストヘイムを出てからずっとついて回る感覚だった。
「門番が騒いでた。セヴァルの名前を聞いただけで顔色が変わった。お前が何をしたかじゃなく、お前の親父が何をしたかで扱いが決まる。そうだろう」
知った口を。跳ね起きた熱が首の筋を張らせる。だが怒鳴り返すための息がうまく吸えず、胃の奥がざわついているのに強張った喉からは情けない呼気しか漏れない。突きつけられた言葉を一音も弾き返せないのは、図星だったからだ。
* * *
「模擬戦をやろう」
リントの言葉は提案ではなく宣言だった。
「いいのか。訓練場の許可は」
「俺はここの防衛隊だ。訓練場は好きに使える。お前は客だろうが、ストーンクロスの訓練場を使う以上は、腕を見せろ」
その言い方にカイは少し肩の力が抜けた。回りくどい腹の探り合いより、こうして真正面から「腕を見せろ」と言ってくる方がよほど分かりやすい。バートンの底の知れない微笑みよりは、リントの不機嫌な顔のほうがまだ信用できる気がした。
カイは頷く。妙に裏のない言い方が、どこかリックを思い出させた。
2機の残殻が訓練場に並ぶ。リントの機体は隙間なく装甲が揃っており、寄せ集めのカイの機体とは育ちが違った。右腕に機関砲で左腰に短刀という間合いを選べる作りを相手に、どう懐に入るか。
模擬戦は武装の弾を抜き、近接武装は刃を引いて装甲に当たった時の衝撃で判定する。
カイはコックピットの中で息を整えた。燃料はまだ十分で、今日は機体の言い訳はできない。寄せ集めの機体でも、自分の腕でこの男に何かを示さなければならない。
リントの通信が入った。
「行くぞ」
* * *
リントは速かった。
開始と同時にぐっと距離を取られ、砲口がカイの機体を追う。弾は入っていないが、照準器の赤い光がセンサーを舐めるたびに背筋が冷えた。詰めようと前に出た分だけ逃げられ、間合いがガラスの壁みたいに硬くて届かない。
カイは冴覚を研ぐ。リントの重心が右へ移ったので旋回だと読む。その先を読んで左へ回り込んだが、リントはそれを読んでいた。急制動で方向を変え、カイの読んだ先のさらに先にいる。
トワと同じく読まれることを前提に動く相手には、冴覚だけでは届かない。
何度か仕掛けたが、そのたびに読まれていなされ、逆に踏み込まれて肩装甲を掠められた。コックピットが揺れ、汗が目に入る。リントは強い。ただ機体が良いだけの操手ではなく、一手ごとにこちらの手を潰してくる。
膠着したまま時間だけが過ぎる。互いに決定打がなく、焦りがじわじわと胸に滲んできた。引き分けでも、いや、ここで何も示せなければリントの言う通り「親の名前だけの男」になってしまう。それだけは嫌だった。
右肩の癖を囮に使う手が頭をよぎったが、すぐに打ち消した。トワに二度と通じなかった手が、これだけ動きを読む相手に通じるわけがない。同じ成功をなぞろうとするな。
カイは別の手を探す。リントの領域が中距離なら、それを捨てさせればいい。カイはわざと隙だらけの直線で突っ込んだ。無謀な特攻を好機と見たリントが、撃ち込むために一歩前に出る。そのほんの一歩。中距離の射手が自分から間合いを詰めてしまった一瞬。
カイは特攻を急停止させて一気に懐へ飛び込んだ。読まれていたら終わっていた賭けだった。
だが間に合った。リントの対応も速く、中距離の射撃姿勢から一瞬で近接防御に切り替える。左腰の短刀を抜いてカイの突進を受け止めた。
残殻同士の腕が交差し、金属が擦れる音と衝撃がコックピットに伝わってくる。カイが押し、リントが押し返す。腕が痺れるがどちらも引かず、2機の機体が砂煙の中でぶつかり合った。
長い一瞬が過ぎ、どちらからともなく二人の機体が離れる。
* * *
引き分けだった。
どちらも相手に致命的な一撃を与えられず、カイは肩で息をする。勝てなかったが、負けもしなかった。あの読み合いの中で、最後の特攻だけはリントの想定の外に出られた。たった一手でも、自分の腕で掴んだ一手だった。
息の荒いリントから通信が入った。
「……認めてやる。お前は腕がある」
「お前もだ」
「だが、英雄の息子だからじゃない。お前個人の話だ。それだけは、勘違いするな」
カイは操縦桿を握ったまま頷く。さっきまで声にあった尖りは抜けていた。その一言が、図星を突かれて何も言い返せなかったさっきの自分を少しだけ救ってくれた気がした。
リントが去り際に通信を入れた。
「セルヴィスの浄化計画が来たら、ストーンクロスが最初に標的にされる。お前がここにいれば、お前の集落も巻き込まれる」
それが忠告なのか出ていけという意味なのか、カイには判じかねた。だがリントの声にさっきまでの棘はもうなく、ただ事実を伝えに来たという響きだった。
通信が切れ、リントの残殻が訓練場を出ていく。ハッチの隙間から風に揺れる赤いスカーフを見送りながら、カイの胸には重いものが残った。
カイはコックピットの中で自分の手のひらを見る。グローブの内側がまだ汗で湿っていた。俺がここにいるだけで、か。操縦桿を握り直す指にうまく力が入らない。
トワの通信が入った。
「いい勝負だった」
「引き分けだ」
「あの男は、次もお前と戦いたがる。それが答えだ」
カイがハッチを開けると、晩秋の空が灰色に広がっていた。リントの言葉もトワの言葉も、まだうまく胸の中で形にならなかった。




