石の十字路
丘の上から集落が見えた。
壁が高い。ラストヘイムの柵が冗談みたいに思える高さだ。石壁の上から見張りの残殻がこちらを見下ろしており、門の脇にもう一機いる。歓迎されるより先に品定めされている気がした。
カイが今まで見たどの集落よりもずっと大きい。
「ストーンクロスだ」
ガルドの声が通信に入った。作業車の助手席でガルドが双眼鏡を覗いている。リックの双眼鏡ではなくガルドの私物だ。
「灰域最大の独立集落だ。人口800。交易路の十字路にある、物流の要衝。首長はバートン・セオ。元クレスタの管区長だとよ」
カイは残殻のセンサーで集落を眺めた。石壁の中に建物が密集している。煙突から煙が上がり、門の前に荷馬車が停まり、人がひっきりなしに行き交っていた。
生きている町だ。ラストヘイムではこんなふうに人が動いているのを見たことがなかった。ここには金が回っている。
* * *
門の前で足止めを食った。門番の男が残殻のコックピットを見上げて叫んだ。
「名を名乗れ。用件を言え。武装は門の外に置け」
「カイ・セヴァル。同行者はガルド・ヴェッセンとトワ・カジャ。バートン首長に面会を希望する」
門番がセヴァルの名で一瞬固まった。歓迎されている空気ではない。父の名はどうやらこの町でも知られているらしい。
「セヴァルだと。テオの」
「息子だ」
門番が同僚と顔を見合わせた。何か囁き合うと一人が内側へ走っていき、残った方がカイに向き直る。
「武装を外して門の脇に置け。中では丸腰だ。それが規則だ」
カイは残殻のライフルを外し、短刀も腰部ラックから抜いて門の脇の岩の上に置いた。トワも同様にシルフの武装を外した。表情は変わらなかったが、その手つきは普段より丁寧だった。
重い音を立てて門が開いた。
石壁の内側にカイの知らない世界が広がっている。一歩足を踏み入れると、ここから先はもう後戻りできないような気がした。
* * *
ストーンクロスの内部はラストヘイムとは別の国のようだった。
石畳の通りが門から集落の中心に向かって延び、両側に建物が並んでいる。旧世界のコンクリート建造物を改修したものが多いが、新しく石を積んだ建物もあった。壁には灰域煙草の看板がかかり、軒先に干し肉が吊るされ、角に水瓶が置かれている。
人が多い。すれ違う人の数がラストヘイム全部より多い気がした。服装も自分のものより一段きれいで、場違いな気がしてカイはコックピットの中で少し背を縮めた。
通りの左手に石壁を掘り込んだ残殻の格納庫が見えた。武装したままの機体が何機も並んでいる。数える気にもならないが、ラストヘイムには一機きりだったから、あれがこの町の余裕なのだろう。それと、全部武装したままなのが少し引っかかった。客を迎える町がなぜ武装を解かないのか。
格納庫の前で若い操手が機体の整備をしていた。赤みがかった茶髪の長身の男がカイの残殻を一瞥し、すぐに視線を逸らす。興味がないのか、あるいはわざと無視したのか。
通りの奥には一段高くなった建物があった。旧世界の図書館か公民館だったらしい建物を改修したもので、入口の上にストーンクロスの紋章が刻まれている。交差する二本の道と、その上に立つ石の十字架だ。
* * *
バートン・セオは執務室でカイたちを待っていた。
中肉中背の中年男だ。白髪交じりの髪を丁寧に整え、短い顎髭を蓄えている。スーツに近い仕立ての上着を着ており、服装が灰域にしては清潔すぎた。この荒野でこんな身なりを保てる人間がいるのか。穏やかに笑っているものの、目だけは笑っていない気がした。本心なのかこちらを値踏みしているのか、カイには分からない。
「ようこそ、ストーンクロスに」
丁寧な口調だった。
「ガルド・ヴェッセン。名前は聞いている。グランヴェルトの元技匠。テオ・セヴァルの相棒だった男」
ガルドが軽く頭を下げると、バートンの視線がカイに移った。
「そしてカイ・セヴァル。テオ・セヴァルの息子か。灰域の英雄の」
バートンの目がほんの少し細くなった。何を考えているのか読めない。
* * *
バートンは窓際の椅子にカイを座らせ、自分は机の向こうへ腰を下ろした。
「まず、灰域の現状を話しておこう。セルヴィスが、灰域に手を伸ばしている」
リンゴの甘い匂いとバートンの口から出る言葉が、まるで噛み合っていなかった。
「浄化計画ってやつか」
ラストヘイムでも噂は聞いていた。
「言葉は綺麗だがな。本当は、冴覚持ちの人間を選り分けて、連れていく」
カイは膝の上で指を握りしめた。冴覚者の選別。リーヴ・シェイドの顔が浮かぶ。あの男と同じ道を次の世代に歩ませるということだ。皿のリンゴから手が離れた。
「セルヴィスだけではない。グランヴェルトも、クレスタも、それぞれの思惑で灰域に入り込んでいる。武器を売る者もいれば、人をさらう者もいる。詳しいことは、私もすべては掴めていない。だが、ろくな話ではないのは確かだ」
バートンは干したストーンクロス・リンゴを皿に並べながら続けた。小さなリンゴが酸味のある甘さを放っている。
「灰域は、三方から利用されている。だが、まとまれば、対抗できないこともない」
カイはリンゴを手に取ったが口には運ばなかった。
「まとまるって、どうやって」
「各集落が連合を組む。外交と軍事の両面で統治機構体に対抗する。だが灰域はバラバラだ。ラストヘイムは小さすぎ、アイアンウェルは自分のことで精一杯。残りの集落は、生き残ることしか考えていない」
バートンは窓の外を見た。夕暮れの光が執務室に差し込み、彼の顔に影を作っている。
「旗印がいる」
バートンがカイに向き直った。
「君の父上の名は、灰域で人を動かせる。テオ・セヴァルの息子が旗を振れば、まとまる可能性がある。やるか」
肺の空気が固まった。
旗を振ればという響きが、ひどく甘く耳を撫でる。大勢に仰ぎ見られる――その錯覚に足の裏がふわりと浮いた。親父の名前で。俺は今、一瞬何に酔いかけたんだ。みぞおちからせり上がる泥みたいな吐き気を呑み下し、カイは強張った喉を無理やり開いた。
「自分は、ただ父を探しに来ただけだ」
正直に答えると、バートンの微笑みが深くなった。
「正直な人間は、嫌いではない」
拍子抜けするほどあっさりした口調だった。怒るでも説き伏せようとするでもないのが、カイにはかえって不気味に感じられる。この男は最初から断られることも織り込んでいたのかもしれない。
バートンはストーンクロス・リンゴを一つ手に取って齧り、酸っぱそうに顔をしかめた。
「だが覚えておきなさい。君がここにいるだけで、人は動く。テオの息子というだけで、灰域は騒ぐ。君の意思とは関係なく」
カイは窓の外を見た。ストーンクロスの夕暮れ。石壁の向こうには灰色の平野がどこまでも広がっている。父さんはこんなものを背負って歩いていたのか。皿の上のリンゴはまだ手をつけられないまま、酸っぱそうな色をしていた。




