砂塵の中の旗
砂塵が視界を塞いだ。
センサーに映る前方の景色が褐色の壁に呑まれていく。カイは計器を確認した。風速は上昇中だ。砂嵐とまではいかないが視界がどんどん狭まっていく。こういう日は冴覚だけが頼りだった。肉眼ではもう遠くが見えない。
通信にトワの声が入った。
「停まるな。砂に足を取られる前に抜ける」
「了解」
カイは残殻の出力を上げた。脚部のサーボモーターが唸り、機体が砂塵の中を進んでいく。旧世界のアスファルトが砂に埋もれた地面は柔らかく、踏みしめるたびに足首が沈んだ。
前方に影が見えた。
砂塵の向こうに浮かぶ建物の輪郭は旧都市の遺構だ。コンクリートの壁が半ば崩れ、鉄骨が骨のように突き出している。ガルドの地図によれば、旧世界の工業地帯の残骸がこの一帯に広がっているという。
カイが旧都市の入口に差しかかった時、冴覚が反応した。
圧と人間の気配。一つではない。複数だ。
やがて砂塵の中から残殻の影が現れた。
* * *
五機。
砂塵の中に五機の残殻が散開していた。
先頭の一機が異様だった。何機分もの鉄屑を溶接したようないびつな巨体で、両肩に据えた砲はカイの機体の倍はある。胴体は追加装甲で膨れ上がり、頭部センサーが赤く光っていた。あれに正面から撃たれたら――カイは背筋が冷えた。一発で終わる。
荒い声の通信が割り込んだ。
「テオの息子か」
カイの指が操縦桿を握り締める。
「親父の借りを返してもらおうか。あの野郎に右腕を落とされた。7年も前の話だがな、俺は忘れねえ」
男はジェロニモ・バルデスと名乗った。先日の無法傭兵の残党が頭目を連れて戻ってきたのだ。よりによってテオに恨みを持つ男を。カイは口の中が苦くなるのを感じた。
トワから低い声で通信が入る。
「5機。2対5。退くか」
「退ける地形じゃない。後ろは開けた荒野だ。追いつかれる」
「だろうな。なら前に出るしかない」
トワの声に迷いはなかった。カイは前方の旧都市遺構を見る。崩れたビルの壁や倒れた送電塔が瓦礫の山を築いていた。その中に飛び込めばあの砲は通らない。射線を切ってまっすぐ撃たせない戦い方はトワに教わったばかりだ。
「市街地に入る。瓦礫で射線を切る」
「いいだろう」
二機の残殻が旧都市の廃墟へ飛び込んだ。
* * *
ジェロニモの砲撃が背後で炸裂した。
爆砕されたコンクリートの壁の破片が残殻の背部装甲を叩く。凄まじい火力だった。直撃すればカイの残殻の装甲では一発で致命傷になる。
だが瓦礫の陰に入れば砲弾は届かない。
カイは崩れたビルの角に機体を寄せてセンサーで敵の位置を探った。五機のうち三機が追ってきている。残る二機はジェロニモと共に後方に留まって砲撃の射角を確保していた。
「3機を引きつける。お前は側面から潰せ」
トワの指示は簡潔だった。瓦礫の間を駆け抜けたシルフが三機の前に姿を現す。追ってきた敵機が撃ち放った弾丸が廃墟の壁に穴を開けたが、シルフはもうそこにいなかった。壁から壁へ飛ぶシルフをカイは視界の端で追う。速い。あれに追いつける敵機はいない。味方でよかったとカイは今日も思った。
カイは回り込んだ。
右端の一機だけ動きがばらついていた。トワを追うのに気を取られて射線が泳いでいる。あれが一番隙が大きい。その乱れを冴覚が拾った。
カイは崩れたビルの角から飛び出し、残殻の右腕の旧式ライフルのルークを構える。敵が左へ動く。来ると分かった瞬間より半拍早くカイは引き金を引いた。
放たれた弾が敵機の右膝の関節を貫く。バランスを崩して膝をついた敵機を確認すると、カイはすぐに射線から離脱して次の瓦礫の陰に身を隠した。心臓が痛いくらいに早鐘を打っている。
残弾を確かめるとそれほど多く残っていなかった。節約しなければならない。一発外すたびに勝ちが遠くなる。
* * *
視界の端でトワが二機目を捉えた。側面から一気に距離を詰めると、シルフの短刀が敵機の右腕の関節を鮮やかに断ち切る。武装が腕ごと地面に落ち、残る一機が慌てて後退していった。その手際を横目で盗み見ながら、いつか自分もああ動けるだろうかとカイは思う。
だがジェロニモが動いた。
後方から飛んできた砲撃によって瓦礫の壁が三発で消し飛ぶ。射角を変えながらの連射は精度こそ粗いものの完全な面制圧だった。遮蔽物ごと吹き飛ばすつもりらしい。
「砲撃の間合いを読め」
トワの声が飛ぶ。カイは耳を澄ませた。あの砲撃は機械的なリズムで意図や兆しがなく冴覚が効かない。トワに教わった通りだからこそ頭で数える。
三発来て途切れ、また三発来て途切れる。六発撃つとふっと砲が黙った。冷却の息継ぎとなるその一瞬。そこだ。
六発目が着弾した瞬間、カイは瓦礫の陰から飛び出した。砲が沈黙しているわずかな空白の間に距離を詰める。コンクリートの破片を踏み越え、倒れた送電塔を跨いで廃墟の通路を一気に駆け抜けた。心臓が喉までせり上がっている。間に合え。間に合わなければ次の斉射で吹き飛んでしまう。
ジェロニモの機体がすぐ目の前にあった。
ここまで来ればあの巨大な砲は振り回せない。撃たれる前にこっちが届く。距離を詰めるというトワの教えを体で理解した瞬間だった。
ジェロニモが叫んだ。
「来やがったか、小僧!」
カイは右腕のライフルを放り捨てて腰の短刀を抜いた。全長一・五メートルの近接武装であるスティレット。装甲の隙間を狙う刺突用の刃だ。
ジェロニモの機体が右腕を振った。砲身をそのまま鈍器にして叩きつけてくる。右から来ると冴覚が読み、カイは左に跳んだ。砲身が空を切り、地面を叩いてコンクリートが砕け散る。
その隙にカイは踏み込んだ。
短刀が肘の継ぎ目に食い込む。金属が悲鳴を上げて刃が関節を抉る重い手応えが、操縦桿を通じて腕に跳ね返ってきた。腕が落ちる。
よろめいたジェロニモの機体が片腕になった。
* * *
ジェロニモは撤退した。
片腕の残殻が砂塵の中に消えていく。残った部下の二機も頭目に続いて後退した。去り際にジェロニモが叫ぶ。
「テオと同じだ! 俺は忘れねえ!」
通信が途切れると砂塵が風に流れ、廃墟に静寂が戻った。
熱い息が喉を焼く。操縦桿に食い込んだ指は細かな震えを殺せずにいた。五機を退けたとはいえ機体は満身創痍で、残弾も燃料もすでに心もとない。左膝の関節警告は赤に変わっていた。
さっきジェロニモの腕を断った瞬間の、刃が関節を噛み砕くあの生々しい手応えがまだ掌の皮膚の下で蠢いている。腕だけで済ませて殺さずに済んだ。だが軌道があと少し深ければコックピットごと貫いていたはずだ。
胃の奥からせり上がる吐き気と、骨の髄から力が抜けるような弛緩。相反するものが腹の底で濁った塊になって、冷や汗だけが首筋を滑り落ちた。殺さなくてよかったのか、それとも殺しておくべきだったのか。あの男はまたテオの名前を口にして去った。いくら考えても答えは出ない。
やがてガルドの作業車が瓦礫の間から姿を現した。
「刃を、抜いたな」
ガルドの声は低く、責める響きはなかった。カイは答えられない。
「腕だけで止めたか。……お前は、テオに似てるよ」
その一言が、震える手からほんの少しだけ力を抜かせてくれた。
トワが通信を入れた。
「生きてる。それでいい」
いつものトワの声だった。その素っ気なさが今はありがたかった。




