読めない風
風が吹いている。
荒野の砂が低く流れ、残殻の足元で渦を巻いていた。今日はやけに風が強い。砂が機体の装甲を叩く音がコックピットの中まで届いてくる。カイは計器の振動を感じながらトワの言葉を待った。模擬戦の翌日で全身の節々がまだ重い。
「今日は座学だ」
通信越しのトワの声は平坦だった。座学という言葉にカイは僅かに身構えた。模擬戦で殴られる方がまだましかもしれない。トワが戦闘の話をする時が一番怖い。穏やかな声で容赦のないことを言うからだ。たいてい自分の弱点を逃げ場のないところまで突きつけてくる。
「冴覚の弱点を知っているか」
「……機械的な動きには効かない。ドールとか、プログラム射撃とか」
「そうだ。冴覚は、人間の意図を読む。筋肉の動き、呼吸、重心。そういう生きた体の兆しを拾って、先回りする。だが、機械にはそれがない。決められた通りに動くだけの相手には、読む兆しそのものがない」
言われてみればその通りだった。カイはこれまで冴覚を当たり前の力として使ってきたが、それが効かない相手がいる。その事実を改めて言葉にされると足元が少し心もとなくなる。
カイはコックピットの中で頷いた。リーヴ・シェイドの遊肢に囲まれたあの日。四方から軌道が湧いてどこを見ればいいのか分からなくなった。母機の動きは読めたが、遊肢はいつも読みの外から来た。あのとき初めて冴覚が空白になった。
「遊肢の話をしよう」
トワが言った。
* * *
トワは意図的に二つの動きを交互に繰り出した。
一つ目は明確な殺意を込めた踏み込み。重心が前に移り、右腕が引かれて拳が放たれる。カイの冴覚はこれを鮮明に読む。体が動く前に「来る」と分かる。灰色の静寂が世界を薄く覆い、トワの動きがスローモーションのように見えた。
二つ目はパターンだけの動き。トワは意識的に殺意を消し、三歩前進、右に旋回、左腕を振るという同じ動作を感情を抜いて機械的に繰り返した。同じ機体で同じ操手のはずなのに、一つ目と二つ目とでは伝わってくるものがまるで違う。
二つ目への反応が明らかに遅い。
カイは自分でもそれを感じた。一つ目の殺意のこもった踏み込みは体が勝手に動く。冴覚が「来る」と告げて世界が薄く灰色に染まり、トワの動きがゆっくりに見える。だが二つ目の機械的な動きにはその感覚が一切働かない。冴覚が沈黙し、「来る」という圧がない。空気が何も教えてくれない。トワの機体が動いているのは目で見えているのに、次に何をするかが読めない。
読めないのではない。読む材料がそこにないのだ。怖いと思った。いつも当たり前にあったものが急に手から消える感覚は、目隠しをされて立っているのに近かった。
「これが、本物の遊肢と戦う時の感覚に近い」
トワが動きを止めた。
「分かったか。母機は読める。だが、遊肢は読めない。その読めるものと読めないものが、同時に襲ってくる。お前の頭は、それで真っ白になる」
カイは操縦桿を握り直した。掌が湿っていた。実演されると言葉で聞くよりずっとはっきり分かった。あの日の真っ白がまた少しよみがえる。
* * *
「じゃあ、遊肢に対抗する方法はないのか」
「ある」
トワは即答した。
「まず、射線を切る。遊肢は空を飛ぶが、瓦礫の陰や建物の中に入れば、回り込めない。射線の数を減らせる」
あの廃墟での戦闘をカイは思い出した。建物の中に逃げ込んだ時、確かに遊肢の動きが鈍った。あれは壁が射線を遮っていたのか。
「次に、距離を詰める」
「遠くから撃ち放題の相手に、近づくのか」
「逆だ。離れていれば、遊肢は撃ち放題だ。だが懐に入れば、操手は遊肢で母機を撃つのを恐れる。射線と母機の位置を、同時に捌かなきゃならない。一瞬でも迷えば、それが隙になる」
トワの声がそこで少し低くなった。遊肢使いと戦って生き延びたことがあるのかもしれない。カイにはそれ以上は分からなかった。
「最後に、操手の集中を乱す。遊肢を動かすには、莫大な集中がいる。挑発でもいい、予想外の角度からの一撃でもいい。操手が動揺すれば、遊肢は乱れる」
射線を切る。距離を詰める。集中を乱す。三つのうちいちばん怖いのは二つ目だとカイは思った。撃ち放題の相手の懐に自分から飛び込んでいく。言うのは簡単だ。
* * *
ガルドの声が通信に割り込んだ。
「トワの言う通りだ。遊肢に対抗するには、遊肢の操手を狂わせるか、母機と遊肢の連携を切るかだ」
旧型作業車のボンネットに腰掛けたガルドが煙草の煙を吐きながら続ける。
「遊肢ってのはな、操手にとっちゃ、自分の指先と同じなんだ。だから破壊されりゃ、幻肢痛が走る。指を千切られたような痛みだとよ」
「遊肢を落とせば、操手にダメージが入る?」
「落ちる。だが遊肢は速い。まともに狙っても、当たらん」
ガルドは煙を吐き、それから少し声を落とした。テオの話をするときと似た声だった。
「狙うな。遊肢に帯域を割かせろ。帯域を割けば母機が鈍る。母機が鈍れば、お前の冴覚が効く。冴覚が効けば、母機を殴れる」
カイはガルドの言葉を噛み締めた。遊肢を無視して母機を狙う。トワの教えと同じだ。遊肢そのものを相手にするのではなく、遊肢に帯域を使わせて母機の隙を作る。
「お前の冴覚は、母機の操手を読むのに向いてる。遊肢は読めなくても、母機は読める。だから遊肢は避けて、母機を殴れ」
理屈は分かる。だが、あの日のことを思い出すと簡単にそうできるとは思えなかった。遊肢四基に囲まれ、どこから来るか分からない弾幕の中で果たして母機だけに集中していられるのか。頭で理解することと体が動くことの間には、模擬戦で嫌というほど思い知った距離がある。
ガルドは煙草を地面に落とし、ブーツの先で踏み消した。
「……もっとも、それを実戦でやれるかは、別の話だがな」
* * *
訓練の後、カイは残殻のコックピットに座ったまま暮れていく空を見ていた。
灰色の空が鉄錆色に変わっていく。
教わった対処法を頭でなぞっても、みぞおちの奥で跳ねる拍動は急き立てられたままだった。あの日、四方を塞いだリーヴの遊肢の圧がまだ肌の裏側にへばりついている。冴覚が目の奥で熱を持っても、首から下の神経は機体のどこにも繋がっていない。読んで、見て、聞いて、この手だけで戦う。それしかできない。
握り込んだ操縦桿は掌の汗を吸うこともなく、ただ硬く冷え切った金属のままだった。
カイは計器の電源を落とし、ハッチを開けた。晩秋の風が頬を撫でる。冷たくて鉄の匂いがした。




