トワの|残殻《ざんかく》
また機体ごと地面に叩きつけられた。
コックピットが激しく揺れ、計器が一斉に点滅する。背中をシートに打ちつけられて息が詰まった。カイは歯を食いしばって機体を起こす。装甲健全度はまだ全域で緑だ。だが誇れるものじゃない。無傷なのは攻撃を当てられていないからではなく、一度もトワの射程に踏み込ませてもらえていないからだ。届いていないのではない。届かせてもらえていないのだ。
数日前、一度だけトワに有効打を入れた。右肩の癖を囮に使ったあの一発だ。あれ以来同じ手は二度と通じない。トワはとっくにそれを読んでいる。
荒野の広い平地。旧世界のコンクリート基礎が所々に残る灰域の訓練場だった。
シルフがカイの機体の正面で腰を落とす。あの脚だ。あの細い脚からすべてが来る。何度戦ってもあの脚から目を離せない。
通信にトワの声が入った。
「来い」
一言だった。
カイは操縦桿を押し込む。残殻の脚部が地面を蹴り、前方に突進した。間合いが詰まる。今度こそと思った瞬間、カイの冴覚が反応した。
右肩が沈む。来る。だが――この前と同じ手にかかるか。カイはあえて右肩を無視した。本命は足だ。そう読んで左への蹴りに備える。
だが来たのは蹴りではなかった。
シルフの右肩は囮で、左足も囮だった。本物は踏み込みそのもの。トワは間合いを一気に詰め、至近で機体の肩をぶつけてきた。カイの読みは二重の囮のさらに裏をかかれた。
膝に衝撃が走った。バランスを崩した機体が左膝から崩れ落ちる。コックピットが揺れ、左膝の関節負荷が黄色に変わった。カイは歯を食いしばって重心を右に移す。倒れない。倒れたら終わりだ。
「読みが浅い。前に当てたのを、まだ引きずってる」
トワの声は淡々としていた。シルフが後退して距離を取る。追撃はしてこない。
カイは荒い息を吐いた。操縦桿を握る手が汗で滑る。図星だった。あの一発が忘れられず、同じ成功をなぞろうとしている。トワはそれすら読んでいる。
左膝の関節はまだ動く。だが、あと一発もらえば今度こそ折れる。
「もう一回」
自分の声が思ったより硬かった。あの一発をもう一度。そう思っている自分をカイは振り払えなかった。
シルフが再び腰を落とす。
カイは踏み込んだ。
今度は成功の記憶を捨てる。前と同じことをしようとするから読まれるのだ。トワの動きそのもの、今この瞬間だけを見る。
間合いが詰まる。シルフの右肩が沈み、左足が擦れた。二重の囮。その奥の踏み込みの予兆を、カイの冴覚が初めて拾った。来る。本命は踏み込みだ。
カイは退かなかった。逆に半歩内側へ踏み込む。トワの踏み込みと自分の踏み込みがぶつかった。シルフの肩がカイの機体の胸を打つ。だが相討ちだ。カイの右腕もシルフの脇腹を掠めた。
手応えは軽い。さっきの一発とは比べ物にならない。それでも初めてトワの読みの裏に半歩だけ食い込めた。当てたのではない。食らいついた。それだけでも今のカイには大きかった。
* * *
シルフが一歩引いた。
通信が沈黙する。カイは拳を引いて距離を取った。心臓が打っている。手が震えていた。
「……今のは、悪くなかった」
トワが言った。
カイは息を整えながら計器を確認する。燃料残量38%。左膝の関節負荷が黄色のままで、おまけに右拳の装甲には亀裂が入っていた。自分の拳で自分の装甲を壊している。殴り方が悪いのもあるが、それ以上に機体が悲鳴を上げ始めていた。
「でも、また右肩が先に動いた」
その癖は前にも言われた。直っていない。分かっている。だが意識すればするほど体は勝手に動く。
「癖は簡単に消えない。なら、使え。右肩を見せて、左から打て」
以前にも同じことを言われた気がする。だが今ようやく、その意味が体で分かりかけていた。
「分かった」
「もう一回やるか」
カイの答えを待たず、シルフが構えを取った。
* * *
その後も模擬戦は続いた。
結果は全敗だった。トワは同じ手を二度と食わない。一度食い込まれた踏み込みも、次にはもう対応を変えていた。カイが何か掴んだと思った瞬間にはその上を行かれる。それでも一方的に転がされていた最初の頃とは何かが違っていた。
模擬戦が終わると、カイはハッチを開けて外に出た。晩秋の風が汗に冷たい。空は灰色で地平線が鉄錆色に染まり始めている。
シルフから降りてきたトワは汗ひとつかいていないように見えた。だが機体に手をついたとき、その腕がほんの少し震えていた。
トワは座らなかった。自分の機体を見上げたままぽつりと言った。
「お前と一緒に戦いたいと思った」
前を向いたままのトワから落ちた声は、荒野の風に攫われそうに細かった。
「それは俺にとって、久しぶりのことだ」
カイは喉の奥がじわりと熱を帯びるのを感じた。どう返せばいいのか分からず、行き場のない視線を上へ逃がす。灰色の空で灰域鴉が一羽、音もなく円を描いていた。
「……俺も」
やっとそれだけ言った。情けないくらい短い言葉だった。もっと何かちゃんと返したかったが、言葉が出てこない。トワは何も答えなかった。だが否定もしなかった。
この人は過去に仲間を失って、それきり誰とも組まなくなったと言っていた。その人が自分と戦いたいと言う。それがどれだけのことなのか、カイにもなんとなく分かった。同時に少し怖くもなった。トワの期待にこの機体で、自分で、応えきれるのだろうか。
* * *
戻るとガルドが残殻の脚部を開けていた。
左膝の関節部品が外され、地面に並べられている。油まみれの手で軸受けを回しながら、ガルドは煙草を咥えたまま言った。
「膝、やったな」
「模擬戦で。トワの肩を、まともにもらった」
「分かってる。見りゃ分かる。あの女の機体は軽いが、その分、当てるときは全体重を乗せてくる。軸受けのガタが、もう限界まで来てた。今夜中に直す」
ガルドは部品を一つ手に取り、灯りにかざして傷の具合を確かめた。
ガルドの手は早い。部品を一つずつ確認して磨き、調整して元に戻していく。カイは黙ってその作業を見ていた。子供の頃から何度もこうしてガルドの手元を眺めてきた。父のテオもこんなふうに機体をいじっていたのだろうか。記憶の中の父の手とガルドの手が時々重なる。
「トワに食らいついたそうだな」
「聞いてたのか」
「音で分かる。あの女の機体が下がる音は、めったにしねえからな」
ガルドが煙を吐いた。夕暮れの光の中で煙が薄く漂う。
「今夜は直す。だがな、カイ。この軸受け、もう替えがねえ。次に同じところをやられたら、削って嵌める部品が、こいつにはもう残ってない」
カイは黙って自分の残殻を見上げた。寄せ集めの装甲に規格の違う関節。それでもこの機体で戦ってきた。この機体しか持っていない。だがその機体がもう限界に近いことも、今日の模擬戦で嫌というほど分かった。腕が上がるほどこいつが先に音を上げる。
「今はこいつで戦うしかない」
「……ああ。今は、な」
ガルドはそれきり何も言わなかった。膝の部品を磨く手だけが夕暮れの中で動いている。カイはその「今は」の続きを訊かなかった。訊いてはいけない気がした。




