読めない風
風が吹いている。
荒野の砂が低く流れ、残殻の足元で渦を巻いていた。カイはコックピットの中で、計器の振動を感じながらトワの言葉を待った。
「今日は座学だ」
通信越しのトワの声は平坦だった。座学という言葉に、カイは僅かに身構えた。トワは戦闘の話をする時が一番怖い。
「冴覚の弱点を知っているか」
「……機械的な動きには効かない。ドールとか、プログラム射撃とか」
「そうだ。冴覚は人間の意図を読む。筋肉の収縮、呼吸のリズム、重心の移動。そういう生体の兆しを拾って先読みする。だが機械にはそれがない。パターンに従って動くだけの相手には、兆しがない」
カイはコックピットの中で頷いた。あの日のリーヴとの戦闘を思い出す。あの時、リーヴ・シェイドの遊肢4基に囲まれた恐怖。冴覚で母機の動きは読めた。だが遊肢は別だった。母機と連動しながらも、独立した軌道で動く遊肢に、冴覚は追いつけなかった。
「遊肢の話をしよう」
トワが言った。
* * *
トワは意図的に、二つの動きを交互に繰り出した。
一つ目は、明確な殺意を込めた踏み込み。重心が前に移り、右腕が引かれ、拳が放たれる。カイの冴覚はこれを鮮明に読む。体が動く前に、「来る」と分かる。灰色の静寂が世界を薄く覆い、トワの動きがスローモーションのように見えた。
二つ目は、パターン的な動き。トワは意識的に殺意を消し、三歩前進、右に旋回、左腕を振る、という定型動作を機械的に繰り返した。
二つ目への反応が、明らかに遅い。
カイは自分でもそれを感じた。冴覚が沈黙する。「来る」という圧がない。空気が何も教えてくれない。トワの機体が動いているのは目で見えている。だが、次に何をするかが読めない。読めないのではなく、読む材料がないのだ。
「これが遊肢と戦う時の感覚だ」
トワが動きを止めた。
「遊肢は人間が操っている。だが母機とは別の体だ。操手は母機で戦いながら、遊肢を感覚帯域で動かす。冴覚で母機を読んでも、遊肢は別の軌道を取る。母機の兆しと遊肢の動きが噛み合わない。それがお前の冴覚を混乱させる」
カイは操縦桿を握り直した。掌が湿っていた。
* * *
「じゃあ、遊肢に対抗する方法はないのか」
「ある」
トワは即答した。
「三つだ。一、射線を切る。遊肢は空中を動くが、障害物で射角を制限できる。瓦礫の陰、建物の中。遊肢が回り込めない場所に入れば、射線の数を減らせる」
カイは頷いた。あの廃墟での戦闘で、廃墟の中に逃げ込んだ時のことを思い出す。あの時、遊肢の動きが僅かに鈍った。建物の壁が射線を遮っていたのだ。
「二、距離を詰める。遊肢の有効半径は約300メートル。だが近接距離、50メートル以内になると話が変わる。遊肢が母機を誤射する危険が出る。操手は遊肢の射線と母機の位置を同時に管理しなきゃいけない。近づけば近づくほど、その管理が難しくなる」
「つまり懐に入れば、遊肢は撃てなくなる」
「撃てなくはならない。だが精度が落ちる。操手の判断が0.2秒遅れるだけで、近接距離なら致命的な隙になる」
トワの声には経験の重みがあった。この女は遊肢使いと戦ったことがある。そしてそこから生きて帰ってきた。
「三、操手の集中を乱す。遊肢の操縦には莫大な集中力がいる。感覚帯域を遊肢に割くほど、母機の操縦が鈍る。逆に言えば、操手の精神を揺さぶれば遊肢の精度が落ちる。通信で挑発してもいい。母機に予想外の角度から攻撃を加えてもいい。操手がパニックを起こせば、遊肢は制御を失う」
カイは三つの方法を頭に刻んだ。射線を切る。距離を詰める。集中を乱す。
* * *
ガルドの声が通信に割り込んだ。
「トワの言う通りだ。遊肢に対抗するには、遊肢の操手を狂わせるか、母機と遊肢の連携を切るかだ」
旧型作業車のボンネットに腰掛けたガルドが、煙草の煙を吐きながら続ける。
「遊肢ってのは、操手の感覚の延長だ。母機のセンサーと同じように、遊肢のセンサー情報も操手の脳にフィードバックされる。操手にとって遊肢は自分の指先と同じだ。だから破壊されれば幻肢痛が走る。指を千切られたような痛みだ」
「遊肢を落とせば、操手にダメージが入る?」
「落ちる。だが遊肢は速い。まともに狙っても当たらん。それよりも、遊肢に帯域を割かせることが重要だ。帯域を割けば母機が鈍る。母機が鈍れば、お前の冴覚が効く。冴覚が効けば、母機を殴れる」
カイはガルドの言葉を噛み締めた。遊肢を無視して母機を狙う。トワの教えと同じだ。遊肢そのものを相手にするのではなく、遊肢に帯域を使わせて母機の隙を作る。
「お前の冴覚は母機の操手を読むのに向いてる。遊肢は読めなくても、母機は読める。だから遊肢は避けて、母機を殴れ」
ガルドの声が少し硬くなった。
「……もっとも、それを実戦でやれるかは別の話だがな」
* * *
訓練の後、カイは残殻のコックピットに座ったまま、暮れていく空を見ていた。
灰色の空が鉄錆色に変わる。地平線が暗くなる。風が弱くなり、荒野が静かになっていく。
弱点。あの圧倒的な兵装にも弱点はある。
だがそれを実戦で突ける実力が、今の自分にあるのか。あの日、リーヴの遊肢に囲まれた時、何もできなかった。冴覚が沈黙し、体が動かず、装甲を貫かれ、コックピットが潰れかけた。
次に遊肢使いと戦う時、同じ結果にならない保証はどこにもない。
操縦桿を握った。掌の感触。金属の冷たさ。この手で操縦桿を動かし、ペダルを踏み、スイッチを切り替える。全てを手動でやる。鋳脈はない。機体を「感じる」ことはできない。計器を読み、目で見て、耳で聞いて、自分の感覚だけで戦う。
それが自分の戦い方だ。
今のところは。
カイは計器の電源を落とし、ハッチを開けた。晩秋の風が頬を撫でた。冷たくて、鉄の匂いがした。
ドール -- 操手を搭載しない無人兵器。単純なプログラムで動作し、冴覚の先読みが効かない。




