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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio SASAME
灰を踏む者たち

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トワの|残殻《ざんかく》

第2部「灰を踏む者たち」。トワとの模擬戦が続いています。

拳が来る。

 カイの体は、その兆しを読んで既に動いていた。トワの残殻(ざんかく)「シルフ」の右腕が前方に突き出される0.3秒前に、カイの機体は左に跳んでいた。

 だが、着地した瞬間にはもう次が来ている。

 シルフの蹴りが地面を抉り、砂礫が爆発のように舞い上がった。カイは操縦桿を引き、機体を後退させる。コックピットの計器が揺れる。装甲健全度は全域で緑。まだ無傷だ。だが無傷なのは、一度も有効打を受けていないからではなく、一度も攻撃の射程に入れてもらえていないからだった。


 荒野の広い平地。旧世界のコンクリート基礎が所々に残る、灰域(アッシュランド)の訓練場。

 トワ・カジャの残殻(ざんかく)シルフが、カイの機体の正面で腰を落とした。軽量高機動型。装甲を極限まで削り、出力を脚部と腰部のスラスターに集中させた異形の残殻(ざんかく)は、正面から見ると人というより猛禽に近いシルエットをしていた。

 通信にトワの声が入る。


「来い」


 一言だった。

 カイは操縦桿を押し込んだ。残殻(ざんかく)の脚部が地面を蹴り、前方に突進する。距離が50メートルを切った瞬間、カイの冴覚(さいかく)が反応した。


 右肩が、沈む。

 シルフの右肩が微かに落ちた。右腕が上がる。拳が来る。カイの体は読み取って左に跳んだ。


 だが、来たのは拳ではなかった。

 シルフの右腕は途中で止まり、代わりに左脚が旋回した。低い蹴りがカイの残殻(ざんかく)の膝を狙う。冴覚(さいかく)が読んだのは囮だった。トワは意図を二重に仕込んでいた。


 膝に衝撃が走った。

 コックピットが揺れ、左膝の関節負荷が黄色に変わる。体勢が崩れる。カイは歯を食いしばり、機体の重心を右に移した。倒れない。倒れたら終わりだ。


「読めても、体が追いつかなきゃ意味がない」


 トワの声は淡々としていた。

 シルフが後退する。距離を取った。追撃してこない。カイに立て直す時間を与えている。訓練だからだ。実戦なら、今の一撃の後に首を刈りにくる。


 カイは荒い息を吐いた。操縦桿を握る手が汗で滑る。

 左膝の関節は動く。だが二度同じ衝撃を受ければ、今度は膝が折れる。


「もう一回」


 自分の声が、思ったより硬かった。

 シルフが再び腰を落とした。トワの残殻(ざんかく)は黒く、細く、地面の影に溶けそうだった。


 カイは踏み込んだ。

 今度は右肩の動きを見ない。見るのは足だ。トワの右肩はフェイントの起点だった。本命は常に足元から来る。

 距離が30メートルを切る。シルフの左足が地面を擦った。来る。カイの冴覚(さいかく)が足の動きを読み、次の軌道を予測した。左からの蹴り。さっきと同じ角度。

 だがカイは左に跳ばなかった。

 前に出た。

 シルフの蹴りがカイの胴体の左を掠める。装甲が軋んだ。だが直撃ではない。カイはその勢いのまま、右腕を振った。


 残殻(ざんかく)の拳が、シルフの胸部装甲を捉えた。

 鈍い音がコックピットに響いた。手応えがある。初めて、トワの機体に有効打を入れた。



 * * *



 シルフが三歩後退した。

 通信が沈黙する。カイは拳を引き、距離を取った。心臓が打っている。手が震えている。当たった。冴覚(さいかく)で読んで、体が追いついて、拳が届いた。


「……悪くない」


 トワの声に、微かな温度があった。

 カイは息を整えながら、計器を確認した。燃料残量38%。機関温度は黄域の手前。左膝の関節負荷が黄色のまま。右拳の装甲に亀裂が入っている。自分の拳で自分の装甲を壊している。殴り方が悪い。


「でも右肩が先に動いた」


 トワの言葉に、カイは自分の右肩に意識を向けた。攻撃の瞬間、右肩が僅かに前に出る癖。前回も指摘された。直っていない。


「癖は簡単に消えない。なら使え。囮にしろ。右肩を見せて、左から打つ。相手が右を警戒した瞬間、左に本命を置く」


 カイは頷いた。頷いてから、通信越しでは見えないことに気づいた。

「分かった」

「もう一回やるか」

 カイの答えを待たず、シルフが構えを取った。



 * * *



 模擬戦は三回続いた。

 結果は三敗。最初の有効打の後、トワは同じ手を二度食わなかった。二回目はカイの左からの攻撃を読み切り、三回目はカイが踏み込む前に距離を詰めて至近距離で肩を押し、バランスを崩された。

 だが一回目のあの一撃は、消えない。


 模擬戦が終わり、二機の残殻(ざんかく)が並んで停止した。

 カイはハッチを開けて外に出た。晩秋の風が汗に冷たい。空は灰色で、地平線が鉄錆色に染まり始めている。


 隣のシルフからトワが降りてきた。黒いライダースジャケットの下の体は汗ひとつかいていないように見える。だが腕の筋肉が微かに震えているのを、カイは見逃さなかった。トワも疲れている。見せないだけだ。


 二人は残殻(ざんかく)の足元に座った。

 トワが水筒を投げて寄越した。カイは受け取り、一息に半分を飲んだ。水が喉を通る感覚が、生きている実感を呼び戻す。


「お前と一緒に戦いたいと思った」


 トワの声は低かった。荒野の風に紛れそうなほど小さい。

「それは俺にとって久しぶりのことだ」


 カイは何と答えていいか分からず、空を見上げた。灰色の空に、灰域(アッシュランド)鴉が一羽、旋回していた。



 * * *



 戻ると、ガルドが残殻(ざんかく)の脚部を開けていた。

 左膝の関節部品が外され、地面に並べられている。油まみれの手で軸受けを回しながら、ガルドは煙草を咥えたまま言った。


「膝、やったな」

「模擬戦で」

「分かってる。トワの蹴りは重い。軸受けのガタが出てる。今夜中に直す」


 ガルドの手は早い。部品を一つずつ確認し、磨き、調整し、元に戻していく。その手つきは正確で無駄がなかった。


「トワに一発入れたそうだな」

「聞いてたのか」

「音で分かる。あの女の機体が後退する音は珍しい」


 ガルドが煙を吐いた。夕暮れの光の中で、煙が薄く漂う。


「いいか、カイ。お前は確かに強くなってる。だがな、残殻(ざんかく)には限界がある。いくら腕が上がっても、機体が追いつかなきゃ意味がない」


 カイは黙って、自分の残殻(ざんかく)を見上げた。寄せ集めの装甲。規格の違う関節。動力炉は古く、出力は汎殻(はんかく)の七割がいいところ。それでも、この機体で戦ってきた。この機体しか、持っていない。


「今はこいつで戦う」

「……ああ。今は、な」


 ガルドの声が、妙に小さかった。カイが振り返ると、ガルドは目を伏せて膝の部品を磨いていた。その横顔に何かが浮かんで、すぐ消えた。

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