無法の傭兵
ブリッジトンを出て一時間。
旧都市遺構の外れに差しかかった時、カイの冴覚が反応した。
殺気ではない。もっと曖昧な空気の密度の変化。南西の方角、灰原草の海の向こうに何かがいる。一つではない。複数の気配が散開しながら近づいてくる。
「トワ。南西だ。何か来る」
「分かってる。3機だ」
トワの声に緊張はない。だがシルフのスラスターが暖気を始める低い音が通信越しに聞こえた。
砂塵の向こうから残殻が3機現れた。
灰域の傭兵の機体だ。統一性がない。一機は右腕が別機種の流用で溶接痕が荒く、もう一機は胴体に旧世界の国旗の断片が描かれている。旧旗。ミハイルが警告した連中だ。
先頭の機体が通信を開いた。
「おい。そこの残殻。持ち物を置いていけ。燃料と弾薬。あと工具があれば工具も。命は取らない」
追い剥ぎか。灰域でいちばん嫌われるやつらだ。ミハイルが警告していた通りだった。
「断る」
カイが答えた。
「断る? 3対一だぞ、坊主」
「二だ」
シルフが砂塵を纏って姿を現した。骨格のような異形がカイの残殻の左に並ぶ。
相手が黙った。2機の残殻を見比べている。それでも3対二で数の有利は向こうにある。骨だけのシルフの異様な姿に、向こうも何か感じたのかもしれない。先頭の男が通信を切り、敵機が散開を始めた。
来る。カイは操縦桿を握り直した。掌が汗で滑る。心臓が耳の奥でうるさいくらいに鳴っていた。実戦はラストヘイムで何度か経験している。だがこうして真正面から複数の鉄殻と向き合うのは初めてだった。相手は人を殺すことに慣れた連中だ。それが機体の構え一つから伝わってくる。怖くないと言えば嘘になる。
* * *
3機が左右に割れていく。挟むつもりだ。だが揃わない。左がつんのめるように先走り、右が一拍遅れた。素人だとカイは思う。喉の奥が乾く。中央の一機だけが間合いを崩さずにこっちを見ていた。あいつが頭だ。
「トワ。左を頼む」
「了解」
トワのシルフが消えた。
瞬きの間だった。次に目に入ったときにはもう左の敵機に食らいついている。敵が反応する前にシルフの戦闘短刀が右膝の関節を切り裂いていた。金属が千切れる音とともに左の敵機ががくんと片膝をつく。あの速さは何度見ても背筋が冷える。味方でよかったと本気で思った。
カイは中央の先頭機に向かった。
旧都市の瓦礫が左右に壁を作っている。この地形を使う。瓦礫の陰に機体を滑り込ませると先頭機の射撃が来た。75ミリの弾丸がコンクリートの壁を叩いて破片が飛散する。コックピットまで衝撃が伝わってきて思わず首をすくめた。
銃声が来る。三発撃って途切れ、また三発撃って途切れる。リズムが見えた。途切れたその一拍。そこだ。カイは壁の陰から次の壁へ機体を飛ばした。一発掠り、装甲がこすれる嫌な音がした。だが止まらない。壁から壁へ、瓦礫の陰を縫って前へ出る。
右の敵機がこちらの背後に回り込もうとしている。挟まれる。まずいと思った瞬間、視界の端をシルフが横切った。トワだ。左を片付けた勢いで右へ向かっている。
だが右の敵機も馬鹿ではなかった。シルフの突進を読んで横に跳び、距離を取る。トワの一撃目が空を切った。さすがに最初の一機のようには簡単にいかない。トワがもう一度間合いを詰め直すその数秒、右の敵機の銃口がカイのほうを向いた。
ひやりとした。だが撃ってはこなかった。トワに気を取られて射撃の手が止まっている。
カイはその隙を逃さなかった。
瓦礫の陰から飛び出した。先頭機の左、がら空きの脇腹。来ると分かった。案の定、銃口がぐるりとこちらへ回りかける。だが遅い。その半拍をカイはもう詰めていた。
装甲じゃない。継ぎ目だ。残殻の近接武装の刃を先頭機の右腕の関節の隙間にねじ込むと、鈍い手応えがあった。
先頭機の右腕がだらりと垂れた。銃を保持できずに75ミリライフルが地面に落ちる。重い金属音が荒野に響いた。やった。声にならない声が喉の奥で鳴った。
* * *
カイが先頭機の腕を潰したのとほぼ同時に、トワが右の敵機を仕留めていた。脚部の動力管を切断され、右の敵機がその場に崩れ落ちる。トワは深追いせずにすぐ次の警戒に移っていた。一つ仕留めても決して油断しない。その動きには長く生き延びてきた者だけの染みついた慎重さがあった。
砂塵が薄れていく。
敵機が二機、崩れたまま動かない。先頭の一機だけがもげた右腕を引きずって後ずさっていた。追わない。追う燃料も弾薬もなかった。カイは大きく息を吐いた。肩がまだ強張っている。心臓が痛いくらいに打っていた。
ふと気づくと残殻の右肩に被弾痕があった。いつやられたのかまるで覚えていない。夢中だったのだ。弾薬の残量計を見ると二割を切っている。あんなに撃ったのか。それすら記憶が曖昧だった。
先頭機が撤退を始めた。片腕の残殻が行動不能の仲間二機を置き去りにして荒野の向こうへ消えていく。仲間を見捨てるのかと思ったが、あの連中にはそれが当たり前なのかもしれない。
行動不能になった敵の残殻のコックピットが開き、中から自分とそう変わらない歳の男が這い出してきた。血の滲む頬を引きつらせて見開かれた目が宙を泳いでいる。両手をだらりと下げてこちらを見上げてきた。
カイは銃口を向けた。
引け。照準の先で薄い胸板が上下している。撃て。あと数ミリ指を曲げるだけだ。なのに引けない。指の関節が凍りついたように動かなかった。グリップを握り込む手が小刻みに跳ねている。
あいつはもう鉄殻の中にいない。むき出しのただの人間だ。撃てば死ぬ。
さっきまでは平気で撃っていた。鉄殻の関節を切り、銃を弾き飛ばした。あれは機械を壊すのと同じ感覚だった。だが今目の前にいるのは機械じゃない。怯えた顔で自分を見上げている生きた人間だ。同じ「敵」のはずなのに引き金の重さがまるで違う。
男の唇が何か言いたげに動いた。声は出てこない。ただ震えていた。カイの指と同じように。
トワが代わりに通信を開いた。シルフの単眼カメラが男を見下ろしている。
「消えろ。次は殺す」
男は弾かれたように立ち上がり、一度も振り返ることなく荒野の向こうへと走り去った。
カイは銃を下ろした。下ろしても指の震えは収まらない。さっきまであいつを殺す気だった。本当に殺せたのか、俺は。引き金にかかった指がまだ重い。分からなかった。分からないことがいちばん怖かった。
ガルドの作業車が近づいてきた。通信越しの声が聞こえる。
「よくやった。だが無茶だ。三対二で、よく二機を潰した」
カイは答えなかった。
「……撃てなかったか」
ガルドが低く言った。責める響きはない。カイは小さく頷いた。見えるはずもないのに。
「それでいい。撃てるようになるのが、いいことだとは限らねえ」
ガルドはそれ以上何も言わなかった。カイはコックピットの中でただ自分の手を見つめていた。震えはまだ止まらない。テオも初めて人に銃を向けたとき、こんなふうに手が震えたのだろうか。




