旧橋の集落
雨は朝には上がっていた。
残殻を置いた場所へ戻ると、ガルドは予備の燃料缶を使って最低限の補給を行った。残殻2機を動かすには全く足りないが、次の集落まで辿り着くだけの量はある。
テオの地図に記された補給地点、旧鉄道橋に作られた集落「ブリッジトン」。そこで燃料を手に入れる。
午後に丘陵地帯を越えるとそれが見えた。
旧世界の鉄道橋だった。
錆びた鉄骨の骨格が谷間に架かっている。見上げるほど高く、何本もの橋脚が谷底から空へ向かって伸びていた。そして驚いたことに、その橋の上に集落が載っている。
鉄道の枕木を壁材にした小屋が橋の両側に並んでいる。レールの上にはトタン板の屋根が渡され、通路を作っていた。欄干には洗濯物が干され、煙突から炊事の煙が上がっている。谷の風に吹き上げられて煙が横に流れた。よくこんな場所に作ったものだとカイは思う。確かにこれなら灰域狼も登ってこられない。
「ブリッジトン。人口は60人くらいか。ここを通らなきゃ、東へは進めん」
ガルドが言った。
* * *
橋の入り口に壮年の男が立っていた。
背が高い。カイの残殻を一瞥し、トワのシルフからガルドの作業車へと値踏みするように視線を滑らせていく。
「ヴィクトルだ。ここの元締めだ。橋を通りたきゃ、何か置いていけ。それがここの決まりだ」
挨拶もなかったが、それが普通なのだろうとカイは思った。ラストヘイムの外ではいきなり対価の話から入るのが当たり前なのかもしれない。
橋の上を歩くと足元の枕木の隙間からはるか下の谷底が覗いた。風が吹き上げてくる。残殻を降りて生身で立つとその高さが余計に怖いが、住民たちは平然と通路を行き来している。慣れというのはたいしたものだ。
カイたちは残殻の予備部品と引き換えに精製重油と食料を手に入れた。予備部品は汎殻の標準規格のギアとボルトだ。旧ルジェフの子供がくれたギアも含まれている。あの子のギアがこうして燃料に化けることに、なんとなく悪い気はしなかった。ヴィクトルは指先でギアを弾いて品質を確かめると頷いた。
「まだ使える。良い物だ。燃料は半缶出す。食料は3日分。それで手を打て」
ガルドが鼻を鳴らし、袋からギアをもう一つ取り出した。
「これも付ける。燃料は三分の二だ」
ヴィクトルはギアを摘み上げてしばらく眺めてから小さく頷いた。それで決まりだった。カイにはガルドのどこが効いたのかよく分からない。こういう駆け引きはまだ自分には遠い。
集落の鍛冶師イーラがカイの残殻の応急修理を手伝ってくれた。
背はカイより低い太腕の女だった。摩耗した軸受けを一目で見抜き、無駄のない手つきで部品を選り分けていく。口数は少なく、左膝の摩耗した関節軸受けを手持ちの部品でさっさと交換してくれた。
「この関節、元は汎殻のウォーデン用だな。よく残殻に嵌めたもんだ」
イーラがガルドに言った。カイの残殻の左膝を覗き込んで、呆れたような感心したような顔をしている。規格の違う部品を無理やり組み合わせているのはカイも分かっていたが、それ以外に方法がなかったのだ。
「合わなきゃ削る。削って叩いて、嵌まるまでやる。それが灰域の技匠だ」
ガルドが答えた。
「口伝か」
「口伝だ。師匠から」
イーラは鼻を鳴らした。笑いに近い音だった。
交換が終わってカイが試しに左膝を曲げてみると、さっきまでの嫌な引っかかりが消えていた。動きが滑らかだ。
「ありがとう。すごく楽になった」
イーラはちらりとカイを見ただけで何も言わなかったが、悪い気はしていないようだった。
それからガルドとイーラは鍛冶の話を始めた。鍛冶水の配合や焼き入れの温度など、カイには呪文にしか聞こえない単語が二人の間を行き来する。半分も分からなかったが、こういう時間は嫌いじゃない。普段は無口なガルドが自分と同じ技匠を相手にすると急に饒舌になる。テオもこんなふうに誰かと技を語り合ったのだろうか。ふとそんなことを考えた。二人の声はいつまでも途切れなかった。
* * *
日が落ちると橋の中央の広場で火が焚かれた。
カイたち三人はブリッジトンの住民に交じってその火を囲んだ。狭い橋の上にこれだけの人が暮らしている。子供が走り回り、老人が壁にもたれて煙草をふかし、女たちが鍋を運んでくる。どこの集落も夜に火を囲む光景は似ている。ラストヘイムでもこうやって一日が終わった。よその土地に来たはずなのに、その既視感が少しだけカイの気を緩ませた。
濁った茶色の酒が振る舞われた。遺灰酒だと誰かが言った。カイが杯を呷った途端、舌の根から胃の腑まで直接炎で焼かれたような激痛が走った。
「ごほっ」
視界が涙でにじむ。なんだこれは。
「遺灰酒。通称『飲む拷問』だ」
見ればガルドは眉一つ動かさず平然と二杯目を空けている。まるで水でも飲んでいるような横顔だった。それを見せつけられてカイは熱くなった頬を誤魔化すように口元を拭い、せり上がる咳を奥歯で噛み殺す。ここで弱音を吐くのはなんだか悔しかった。トワは一口で「無理だ」と杯を離してさっさと水をあおっている。
鴉の卵の塩漬けが出た。殻ごと噛むと塩辛い白身の奥からねっとりした黄身が出てくる。これは美味い。さっきの酒の後ではその塩気が救いに思え、思わず二つ三つと手が伸びる。隣の老人が慣れた手つきで殻を割り、子供の皿に乗せてやっていた。子供は当たり前のようにそれを口に放り込む。ここではこれがごちそうなのだろう。
「卵は栄養がある。この集落の子供が丈夫なのは、卵のおかげだ」
ヴィクトルが橋の下の巣を顎でしゃくった。さっきまでの対価しか見ていなかった声とは少し違って聞こえた。
食事の席でふいにヴィクトルが声を落とした。
「最近、東から妙な連中が来ている。鉄殻の足跡が多すぎる。傭兵にしちゃ、規模がでかい」
カイの箸が止まった。やっと一息ついたと思った矢先にこれか。
「何機だ」
「足跡だけで数えて、10機以上。この規模の傭兵団は、灰域じゃボルトのレイダーズくらいだ。だが、あれはもっと西にいるはずだ。つまり、外の連中ってことだ」
外の連中。カイとガルドの目が合った。ガルドの顔からいつもの飄々とした色が消えている。
グランヴェルトか、セルヴィスか。喉に下りた酒の熱が急に遠くなった気がした。
「外の力が、なんでこんな東まで」
思わず口に出すとガルドは低い声で答えた。
「さあな。だが、ろくな理由じゃねえだろう。連中が灰域に入ってくるときは、決まって、何かを奪いに来るときだ」
ヴィクトルが火に薪を足しながら言い添えた。
「うちの集落は、橋の上だ。攻めにくいし、逃げにくい。だから、ここまでは手を出してこねえと思っていたんだがな。最近は、それも怪しい」
その声にはさっきまでの取引の余裕はなかった。集落を背負った人間の声だった。
カイはもう一度東の闇に目をやった。何も見えないが、その向こうに何かがいる。遺灰酒で焼けたはずの喉の奥が別の理由で冷えていた。




