荒野の三人
第2部「灰を踏む者たち」開幕。
朝の灰域は、鉄錆色の霧に包まれていた。
焚き火の残り火を踏み消し、カイは残殻のコックピットに身を滑り込ませた。革張りの座席が冷たい。計器盤のスイッチを順に入れる。燃料残量48%。機関温度は青域。関節負荷、正常値。ただし右脚の膝下装甲が1枚欠けたまま、フレームが露出している。左腕の動力伝達系に黄色のランプが一つ。ガルドの警告通り、負荷をかければ落ちる。
右手で操縦桿を握る。左手でスロットルを押す。残殻の動力炉が低く唸り、鉄の巨体が立ち上がった。
隣にトワの残殻がいる。
シルフ。装甲を限界まで削り落とした骨格のような機体が、朝靄の中で昆虫のシルエットに見えた。フレームが剥き出しの部分が多く、残殻の中でも異形と呼ぶべき姿だ。単眼カメラが前方を睨んでいる。
後方にガルドの旧型作業車。六輪のタイヤが砂を噛み、排気管から白い煙が細く昇っている。荷台には工具箱と予備部品。テオの工具箱も、あの中にある。
三人の旅が、2日目を迎えていた。
* * *
旧世界の道路跡を辿る。
アスファルトが割れ、隙間から灰原草が伸びている。白い穂が残殻の歩みに揺れた。道路の脇には錆びたガードレールが点々と残り、かつてここに車が走っていた痕跡を伝えている。ガードレールの支柱に灰域鴉が止まり、機体を見上げて首を傾げた。
センサーに映る景色が変わっていく。ラストヘイムの周辺は廃墟群と灰原草の野が入り混じっていた。だが東に進むにつれて、廃墟の密度が下がり、大地が広がる。鉄錆色の土がどこまでも続き、灰原草の海が地平線を覆っていた。
通信にトワの声が入る。
「カイ。巡航速度を落とすな。一定のリズムで歩け。残殻の関節は、速度のムラで消耗する」
「分かった」
「分かったなら返事は要らない。通信も電力を食う」
ガルドと同じことを言う。カイは苦笑した。
旧世界の信号機が、根元から折れて地面に転がっていた。赤と青と黄の三色が、砂に半分埋もれている。色褪せて、何の色だったか判別できない。ここにはかつて交差点があった。車が止まり、人が渡り、信号が切り替わった。そういう日常が、30年前にはあった。
カイは生まれてから一度も、そういう日常を知らない。
テオの地図を胸ポケットから出す。片手で広げる。褪せたインクの注記が、道のあちこちに散らばっている。「この先崩落あり、迂回」「水源あり、浄化結晶使用可」「廃車群、部品回収済み」。父の筆跡。父の足跡。
同じ道を、カイは辿っている。
* * *
昼過ぎ、崩れた陸橋の残骸を迂回した。
コンクリートの塊が道を塞ぎ、鉄筋がむき出しになっている。その隙間から鉄根樹が根を伸ばし、コンクリートを更に押し広げていた。鉄根樹の赤茶色の幹は、旧世界の鉄筋から養分を吸い上げて成長する。灰域だけに生える、鉄を喰う樹。
迂回路をトワが先導する。シルフの細い脚が瓦礫の上を軽やかに跳ねた。カイの残殻は重い。同じ瓦礫を踏むと、足元が崩れた。バランスを崩しかけ、操縦桿を引く。
「足場を選べ。踏む前に見ろ」
トワの声。簡潔で、的確だ。
迂回路の途中で、朽ちた鉄殻の残骸を見た。
頭部が吹き飛んだ汎殻の胴体が、陸橋の瓦礫に半ば埋もれている。胸部のコックピットハッチが開いたまま、30年分の砂と灰原草に覆われていた。装甲の色は判別できない。塗装が剥落し、錆だけが残っている。
大崩落の時に撃破されたまま、誰にも回収されなかった機体。この操手は帰れなかったのだ。
カイは黙って、その残骸の脇を通り過ぎた。
* * *
午後の風向きが変わった。
南から乾いた風が吹き、砂塵が視界を遮る。センサーの光学系にノイズが走った。カイは手動で感度を調整する。計器を読み、判断し、操作する。鋳脈を持たないカイにとって、目視と計器が唯一の情報源だ。
だが砂塵の中でも、何かを感じる。肌が拾う、言葉にできない気配。空気の密度が微かに変わった方角がある。
「トワ。南西に何かいる」
「……何も見えないが」
「分からない。ただ、何かがある」
トワは一瞬黙り、シルフの進路を変えた。南西を避け、北寄りに迂回する。
30分後、南西の方角に砂煙が上がった。鉄殻の足跡だ。複数機。カイたちの進路と交差するはずだった地点を、その足跡が横切っていた。
通信にガルドの声が入る。
「……冴覚か」
カイは答えなかった。自分でも、あれが何だったのか分からない。ただ、体が知っていた。
夕暮れが迫る。
灰色の空が西から鉄錆色に染まっていく。地平線に太陽が沈む瞬間、灰色と赤が混ざり合って、灰域だけの色を作った。
ガルドが地図を広げる。作業車の無線から、掠れた声が聞こえた。
「最初の中継地点は旧ルジェフの集落だ。ここから30キロ。明日の昼には着く」
30キロ。灰域では一日分の旅だった。
シルフ -- トワ・カジャの搭乗する残殻。装甲を極限まで削り、速度に全振りした軽量機である。
鉄根樹 -- 灰域に自生する特殊な樹木。旧世界の鉄筋やコンクリートに根を絡ませ、鉄分を吸収して成長する。




