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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio SASAME
鉄錆の邂逅

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カイの決意

眠れない夜は、天井の染みを数える。

 カイの住居は、旧世界のオフィスだった部屋を改装したものだ。壁に残った釘穴、剥がれかけた塗装、天井の隅にこびりついた錆。ここに7年住んでいる。父が消えてから、ずっと。

 毛布を剥いで起き上がった。窓の外は灰色の闇。灰域(アッシュランド)鴉が一羽、鉄殻(てっかく)の残骸の上で眠っている。


 ラストヘイムを出る。

 その決意は、昨日ゲオルグの部屋で固まったのではない。もっと前から、胸の奥にあった。コルヴァスが来た日。リーヴの遊肢(ゆうし)に叩き潰された日。自分の中に「冴覚(さいかく)」と呼ばれるものがあると知った日。

 セルヴィスはカイの存在を知った。冴覚(さいかく)持ちの灰域(アッシュランド)の少年。あの銀灰色の髪の男が「面白い」と言い、「セルヴィスに報告する」と告げた。ここにいれば、次はカイを回収しに来る。そしてその時、ラストヘイムが巻き込まれる。

 父の足跡を追うこと。冴覚(さいかく)の正体を知ること。そしてこの集落を、これ以上の危険から遠ざけること。理由は3つ。どれが一番大きいか、カイ自身にも分からない。ただ、ここを離れなければならないことだけは、確かだった。


 窓の外が微かに白み始めた頃、扉を叩く音がした。



 * * *



 タリアだった。

 オーバーオール姿で、肩には布の鞄を提げている。寝起きではない。徹夜だったのだろう。目の下にうっすらと隈があるが、瞳の奥は明るい。

「起きてると思った」

 タリアは断りもなく部屋に入り、窓際の木箱に腰を下ろした。カイの住居に来るのは日常のことだ。子供の頃からそうだった。

 だが今日は、空気が違う。タリアはカイの顔をまっすぐ見た。


「出て行くんでしょ」


 問いかけではなかった。確認だった。

 カイは頷いた。

 タリアは怒らなかった。泣かなかった。代わりに、鞄から何かを取り出した。


 手のひらに収まるサイズの金属の箱。角が丸く磨かれ、背面にアンテナが折り畳まれている。自作のポータブル通信機だった。カイは何度かタリアの通信小屋で、これの試作品を見たことがある。

「周波数帯を広げた。灰域(アッシュランド)の標準帯域はカバーしてる。暗号化も入れた。初歩的なやつだけど、平文よりはマシ」

 タリアの指先に、半田ごての跡が新しく残っていた。昨夜つけたものだ。この通信機のために、一晩中作業していたのだ。

「完璧じゃないけど。ないよりマシ」

 カイは通信機を受け取った。ずしりと重い。タリアが部品を一つずつ選び、手で組み上げた重さだ。

「何かあったら呼んで。聞こえるかどうかは保証しないけど」

「ああ」

 タリアは頷いた。そばかすの浮いた鼻の頭に、鉄粉がついている。いつもと同じだ。だが指先だけが、僅かに震えていた。



 * * *



 朝食の後、集落の外縁に出ると、リックがいた。

 残殻(ざんかく)の脚部に腰かけて、双眼鏡で灰色の地平線を眺めている。カイの足音に気づいて振り返った。15歳の顔。半年前より少し背が伸びて、袖が短くなっている。


「カイ兄、どこか行くのか」


 リックの目は鋭い。鉄殻(てっかく)拾いで鍛えた観察眼は、カイの表情の変化を見逃さなかった。

「しばらく留守にする」

 カイは正直に答えた。嘘をつく理由がない。

 リックの目が揺れた。双眼鏡を握る手に力が入る。


「俺も連れてってくれ」


 その声は真剣だった。憧れではない。15歳の少年が、必死に絞り出した言葉だった。

 カイは首を横に振った。

「お前はタリアと町を頼む」

「でも」

「リック。お前の目は確かだ。鉄殻(てっかく)拾いを続けとけ。この町には、お前が見つけてくる部品が要る」

 リックは唇を噛んだ。泣きそうな顔だった。だが泣かなかった。15歳の意地で、涙を堪えた。

 カイはリックの頭に手を置いた。黒髪が指の間に広がる。砂と鉄粉の匂い。灰域(アッシュランド)の子供の匂いだ。


「……帰ってくるよな、カイ兄」

「ああ」


 リックは頷いた。双眼鏡を胸に抱えたまま、灰色の地平線に目を向けた。



 * * *



 夜が来た。

 タリアとカイは、廃墟の屋上に座っていた。

 ラストヘイムを一望できる高台。崩れかけたコンクリートの縁に腰を下ろすと、灰域(アッシュランド)の空が頭上に広がっている。灰色の雲が大気を覆い、星はほとんど見えない。だが雲の切れ間から、数個の光が零れていた。

 灰域(アッシュランド)の星空。青空と同じくらい珍しいものだ。

 タリアは膝を抱えて、黙って空を見上げていた。隣のカイも、黙っていた。風が灰原草の穂を揺らす音だけが、二人の間を流れている。


「ねえ、カイ」


 タリアが口を開いた。声は静かだった。


「あたし、待ってるとか言わないから」


 カイはタリアを見た。

「待ってる間に、あたしはあたしのやることやるから。通信機を直して、周波数を広げて、他の集落と繋いで。あんたが帰ってきた時に、ちゃんとここが生きてるようにする。だから」

 タリアの目が、星の光を映して揺れた。

「だから、あんたはあんたのやることやってきなさい」


「そうしろ」


 カイは短く答えた。

 二人の間に、言葉はもう必要なかった。

 灰域(アッシュランド)の風が吹いた。砂と鉄錆の粒が頬をかすめる。雲の切れ間の星が、ゆっくりと移動していく。

 明日から、この屋上に座る人間は一人になる。

 カイはそのことを考えた。タリアもきっと、同じことを考えていた。だが、どちらも口にしなかった。

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