表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: ret_riever
鉄錆の邂逅

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/15

技匠《ぎしょう》の手

技匠(ぎしょう)は鉄殻の声を聞く。カイはガルドの作業場で、その入口に立つ。

油と金属粉の匂いが鼻を突いた。

 ガルドの作業場に足を踏み入れると、いつもの空気がカイを包む。赤葉の煙、遺灰酒の残り香、長年染みついた鉄錆の匂い。廃工場の天井は高く、壁には旧世界の工具と自作の治具が所狭しと並んでいる。


 今日の作業は、残殻(ざんかく)の動力炉の整備だった。

 ガルド・ヴェッセンは残殻(ざんかく)の前に屈み込み、外装パネルを外していた。44歳の技匠(ぎしょう)は煙草を咥えたまま、エンジン音に耳を傾けている。カイが近づくと、片手で「来い」と手招きした。

「聞こえるか」

 カイは耳を澄ませた。動力炉の低い唸り。回転する軸受けの摩擦音。冷却ファンの回転。

「何がおかしいか分かるか」

 カイは首を横に振った。自分には、いつもと同じ音にしか聞こえない。

「左膝だ。軸受けの歌が変わった」

 ガルドは煙を吐きながら、左膝の関節部を指で叩いた。確かに、ごく微かに音が違う。だがそれは、言われてようやく気づく程度の差だった。

「耳だけで分かるのか」

「歌が聞こえるようになれば一人前だ。鉄殻(てっかく)は嘘をつかん。調子が悪けりゃ、必ず音に出る」


 ガルドが次に教えたのは、「骨を読む(ほねをよむ)」技術だった。

 外装を開けずにフレームの応力を推測する。指先を装甲の表面に当て、振動を感じ取る。ガルドの指は火傷の痕が残る中指と薬指の感覚が鈍いはずだが、それでも指先が鉄殻(てっかく)の内部を透視しているかのように異常箇所を指し示す。

「ここに手を当てろ。力を抜いて、感じろ」

 カイは言われた通りに指を置いた。装甲の表面は冷たく、微かに振動している。

「何も分からない」

「当たり前だ。一年やれ。そのうち分かる」

 ガルドは飄々と言ったが、その目は真剣だった。

「お前の手はテオに似てる。指が長い。技匠(ぎしょう)向きだ」

 父の名前が出ると、カイの指先が僅かに強張った。ガルドはそれに気づいたかどうか、何も言わずに作業に戻った。



 * * *



 午後は潤滑油の交換だった。技匠(ぎしょう)の言葉で言えば「血を入れ替える」。

 残殻(ざんかく)の関節部から黒ずんだ油を抜き、濾過した新しい油を注ぐ。単純な作業に見えるが、油の量と粘度が間違っていれば関節は焼きつく。ガルドは油の色を見て、指で粘りを確かめ、「まだ使える」「これは死んでる」と即座に判別した。

灰域(アッシュランド)残殻(ざんかく)がどれだけ過酷な条件で動いてるか、分かるか」

 ガルドは油を注ぎながら、静かに語った。

「砂が噛む。気温差が激しい。部品は慢性的に足りない。管区の汎殻(はんかく)なら月に一度の定期整備で済むところを、ここでは毎日どこかをいじらなきゃ動かない」

 不満ではなく、事実として語る口調だった。

技匠(ぎしょう)ってのは医者と同じだ。患者が何を訴えてるかを聞いて、手の届く範囲で最善を尽くす。薬がなければ代わりを探す。道具がなければ作る。それだけだ」

 カイは黙って油を注ぎ続けた。ガルドの言葉は、いつもこうだ。飄々としているが、芯がある。


 操縦の基礎訓練もこの作業場で行われた。残殻(ざんかく)のコックピットに座り、起動せずに操縦桿とペダルの感触を体に覚え込ませる。ガルドは操手(そうしゅ)ではなく技匠(ぎしょう)だが、鉄殻(てっかく)の動きを知り尽くしている。

鉄殻(てっかく)は手足の延長だ。操縦桿を握る手の力を抜け」

 何度も繰り返されたこの言葉を、カイは体で理解し始めていた。力を入れれば入れるほど操作が遅れる。力を抜いた指先が、操縦桿の僅かな傾きを感じ取る。



 * * *



 夕食は二人で遺灰酒を分け合い、干し肉を齧った。

 遺灰酒は芋から作ったラストヘイム産の蒸留酒だ。灰域(アッシュランド)の中では比較的マシな味だと言われている。カイは飲めない年齢ではないが、酒は好まない。ガルドはそれを知った上で、毎回コップに一口分だけ注ぐ。付き合いだ。

 赤葉の煙が天井に漂っていた。辛い香り。ラストヘイム産の赤葉は、灰域(アッシュランド)煙草の中でも癖が強い。この匂いは、カイにとってガルドの作業場そのものだった。

「いつから灰域(アッシュランド)にいるんだ」

 カイは干し肉を噛みながら聞いた。

 ガルドは酒を一口飲んだ。

「長い」

 それだけだった。カイはそれ以上聞かなかった。ガルドの過去を詮索しないのは、暗黙の了解だ。ラストヘイムには、語られない過去を持つ大人が多い。ガルドもその一人だ。

 二人の間に沈黙が流れた。不快な沈黙ではない。作業場の沈黙には、鉄と油の匂いと、赤葉の煙が混じっている。言葉がなくても成り立つ時間を、二人は何年もかけて積み上げてきた。


 父がいなくなった後、カイに工具の使い方を教えたのはガルドだった。鉄殻(てっかく)の構造、軸受けの選び方、溶接の基礎。師匠と呼んだことはない。ガルドもそう呼ばれることを嫌がる。だがカイの手に刻まれた技術の大半は、この作業場で身についたものだった。



 * * *



 作業場を片付けている時だった。

 カイはガルドの工具箱に手を伸ばした。やすりを棚に戻そうとしたのだ。工具箱の蓋が開いていて、中が見えた。

 奥の方に、見たことのない金属部品が光っていた。

 小さい。親指の先ほどのサイズだ。だが表面の加工精度が、明らかに異質だった。灰域(アッシュランド)の技術ではない。残殻(ざんかく)の部品でもない。金属の表面が鏡のように磨かれ、微細な溝が等間隔に刻まれている。管区の工業製品、それも最高精度のものだ。

 カイが手を伸ばした瞬間、ガルドの手が工具箱の蓋を閉じた。

 静かな動作だった。だが速かった。

「それは、まだ早い」

 ガルドの声は穏やかだった。いつもと変わらない口調。だがカイは、その目の奥に一瞬だけ走った光を見逃さなかった。警戒でも怒りでもない。もっと深い何かだ。

「何だ、あれ」

「いずれ話す」

 ガルドは赤葉に火をつけ直し、煙を吐いた。その横顔は飄々としていたが、いつもの軽さがなかった。

 カイは何も言わずに作業場を出た。夜風が頬に当たる。冷えた空気に、赤葉の残り香が混じっていた。


 あの部品は何だ。

 なぜガルドがそれを持っている。

 問いは頭の中で回り続けたが、答えは出なかった。ガルドが「まだ早い」と言った以上、今は聞けない。それがこの男との付き合い方だと、カイは知っていた。

技匠スラング――「歌が聞こえる」(エンジン音の異常を聴き分ける能力)、「骨を読む」(外装を開けずにフレームの応力を触診で推測する技能)、「血を入れ替える」(潤滑油の交換)。灰域の技匠たちが口伝で受け継ぐ、機械との対話の言葉。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ