灰の市場
月に2度の市が立つ日、ラストヘイムは少しだけ賑やかになる。
普段は200人しかいない広場に近隣の小集落から人が集まる。見知らぬ顔が増えて子供の数も倍になる。木板の上に廃材、食料、布、工具がずらりと載り、その前で値踏みの声が飛び交う。ボルト何本でこの飴、布一反で豆何キロ。金は一枚も動かない。代わりに皆が腕に抱えてきたものを差し出す。
カイは人混みの匂いが少し苦手だった。汗と知らない集落の食べ物の匂いと家畜の臭い。普段の鉄錆と砂の匂いにそれが混じって鼻の奥をくすぐる。広場の隅に立つと、よその集落から来た男が干し肉を炙る煙が流れてきて腹の底が勝手に鳴った。嫌いではないと思った。
カラス商隊の荷馬車が今朝も日の出と同時に到着していた。痩せた馬二頭が荷台を引いている。
荷台には鉄材、工具、乾燥食品、布。その奥にガラス瓶が一つあって、中で飴が琥珀色に光っている。蜂蜜と干し果物を固めたカラス商隊キャンディだ。
リックが真っ先に駆け寄った。
「おっちゃん、キャンディある?」
「あるよ。だがタダじゃない。何を出す?」
リックは懐からボルトを5本取り出した。今朝、廃墟で拾ったものだ。
「これで3個」
「2個だ」
商人は目を細めてボルトを検分し、「これだから子供は」と笑った。リックはまだ食い下がろうとしたが、商人はもう次の客のほうを向いている。結局2個で手を打った。リックは1個を口に放り込み、もう1個は布で包んでポケットの奥にしまった。落とさないようにポケットの上から何度も押さえている。頬を飴で膨らませたまま押さえては確かめ、また押さえた。
ロイド・ハートが市場の管理を仕切っている。
配給の帳簿を確認し、物々交換のレートを調整して声を張った。
「エール一樽が鉄材10キロ。布一反が乾燥豆5キロ。異議があるなら今のうちに言え」
黒髪をきっちり後ろに撫でつけた若い男だが、目の下の深い隈が年齢を十は重く見せている。腰にはメモ帳と計算尺を差していた。
カイはロイドの横で荷の運搬を手伝った。鉄材の束は錆びて重く、肩に担ぐと角が鎖骨に食い込む。荷馬車から降ろして秤に載せ、針が止まるのを待つ。針が震えて止まりきらない束は置き直して載せ直す。重量を読み上げるとロイドが帳簿に書き取る。何往復もするうちに手のひらに錆の赤が移り、握ると指の節がざらついた。
「寝てるのか」
カイが聞くと、ロイドは帳簿から目を上げずに答えた。
「公差の中だ」
技匠のスラングで「問題ない」の意味だ。問題ないと言う割に隈の色は濃かった。カイは口を開きかけて閉じた。
「お前も人のこと言えないだろ」
帳簿から目を上げずにロイドが言った。
「ガルドの作業場に入り浸って、夜中まで残殻いじってるって聞いたぞ」
「あれは仕事だ」
「俺のも仕事だ」
それで話は終わった。カイは次の鉄材の束に手を伸ばした。
* * *
タリアは商隊の荷の中から通信部品を探し当てた。
焼けた基板の山に手を突っ込み、片端から目で検めていく。やがて指でつまみ上げたのは小さなコンデンサだった。
「これ、まだ生きてる。二つとも」
「ゴミだよ、それは」
「ゴミじゃない。耐圧見てよ、まだ刻印が読める」
タリアは引かなかった。差し出したのは先週自分で修理した懐中電灯だ。スイッチを入れて見せると弱いながらも光が点いて商人の眉が動いた。しばらく考えて「いいだろう」と頷く。タリアは焼けた基板ごと両腕でしっかり抱え込んだ。煤が前掛けに移るのも構わなかった。
「見て、カイ」
タリアは手のひらに載せたコンデンサを見せた。薄い緑色の部品が2つ、油汚れにまみれている。
「これで通信機の出力が上がる。10キロ先までしか届かなかった信号が、20キロまで伸びる」
「よかったな」
「よかった、じゃないよ。すごいことだよ」
タリアの目が輝いている。カイはその顔を見て少しだけ口元が緩んだ。
* * *
夕食は集落全員で共有する大鍋のドライベッド・シチューだった。
乾燥豆と干し肉と根菜の何でも煮込み。ゲオルグが味を見るといつも塩が一掴み増える。今日も舌に塩が立っていた。
鍋を囲む顔をカイは数えるともなく眺めた。子供が走り回り、老人が焚き火の傍で背を丸め、女たちがスープの味を見て笑う。壊れた水道管を直す者、屋根の継ぎ目に泥を詰める者、錆びた鉄板を叩いて鍋にする者。200人分の小さな手がこの集落の形を辛うじて保っている。
錆鉄キノコの苦い匂いが風に乗ってきた。
カイはスープを口に運んだ。粉にした錆鉄キノコが溶けている。塩辛く、苦く、底のほうに鉄の味がする。美味くはないが温かい。
隣ではリックが二杯目をおかわりし、タリアが新しいコンデンサの使い道をロイドに説明していた。ロイドは「通信より食料が先だ」と渋い顔をしたがタリアは怯まない。
「通信が伸びれば、交易の効率が上がるんだって。結果的に食料も増える」
「理屈は分かるが、今の備蓄で冬を越せるかの計算が先だ」
「だからこそ、他の集落と繋がらないと」
二人の議論を聞きながらカイは鍋底のシチューを掬った。豆が煮崩れて底に沈んでいる。おかわりは三杯目までと誰かが決めた。理由は単純で、それ以上食べると明日の分がなくなるからだ。リックがちょうど三杯目を狙って女たちに睨まれていた。
ゲオルグは焚き火の向こうでよその集落から来た老人と顔を寄せている。交易のことか井戸のことか。互いの椀を傾けながら低い声で長く話し込んでいた。
カイは黙ってスープを飲み終えた。市の喧騒が少しずつ静まっていく。日が傾くとよその集落の人間は椀を返し、荷をまとめ始めた。誰に促されるでもなく暗くなる前に荒野へ出ていく。
* * *
市が終わり、商隊が去り際にロイドを呼び止めた。
カラス商隊の商人の一人がロイドの耳元に顔を寄せた。周囲に聞こえないよう低い声で話している。
カイは離れた場所からその光景を見ていた。商人の口の動きは見えない。ただ聞き終えたロイドが一度だけ帳簿を握り直したのが離れたカイにも分かった。
商人が去った後、ロイドはしばらくその場に立ち尽くしていた。
カイが近づくとロイドは帳簿を閉じた。
「何を聞いた」
ロイドの声は乾いていた。
「南の集落が一つ消えた」
カイの足が止まった。
「戦闘の余波じゃない。鉄殻が踏み潰した」
ロイドが顔を上げた。目だけがさっきまでと違っていた。
「統治機構体の連中が灰域で戦争ごっこをやって、俺たちの集落が潰れてる。なぜ俺たちが巻き込まれなきゃならない」
言い終えるとロイドは足元の木板を一つ蹴った。木板は乾いた音を立てて転がり、それで何が変わるわけでもなかった。カイは口を開きかけてやめた。言い返す材料が何もなかった。
南の集落。名前は聞けないままカイは突っ立っていた。カラス商隊が通る集落ならラストヘイムとも交易がある。市の日に飴を売りに来た商人の顔や去年布を交換した女の顔が勝手に浮かんでくる。あの中の誰かが鉄の脚に踏み潰された。なのにその光景はどうしても像を結ばない。喉の奥がわずかに渇いた。
昨夜、空の縁が赤く明滅していたのを思い出す。
ロイドは帳簿をポケットにしまい、広場の片付けに戻った。一度も振り返らなかった。カイは動けないまま暮れかけた広場に立っていた。




