鋼城の影
翌朝。ガルドの作業場に、砂混じりの日差しが差し込んでいた。
天井の隙間から入る光が、空中の埃を白く照らしている。棚に並んだ工具が鈍い金属の光を返し、壁際に立てかけた廃材の影が床に長く伸びていた。油と金属粉の匂い。赤葉の煙草の残り香。この作業場は、7年間変わらない匂いがする。
カイは作業台の前に座り、手元の残殻の関節部品を弄っていた。だが手は動いていない。摩耗した軸受けの表面に指先が触れている。金属の冷たさと、削れた表面のざらつき。爪の間にこびりついた鉄粉が、光の中で微かに光っていた。昨夜のガルドの言葉が、頭の中で渦を巻いている。
一晩眠って、頭痛はほとんど消えた。だが代わりに、胸の奥に重いものが沈んでいる。父が傭兵だったこと。グランヴェルトとの関わり。持ち出されたもの。守るために消えた。その言葉を反芻するたびに、胃の底が冷える。朝食の干し肉は半分しか食べられなかった。塩気が喉に残っている。
「ガルド」
カイは口を開いた。ガルドは棚から旧世界の工具を取り出す手を止めた。レンチを握ったまま、振り向く。朝の光が、ガルドの白髪交じりの暗褐色の髪を照らしていた。
「グランヴェルトの計画って、何だ」
「テオが関わっていた、とまでしか言えないと――」
「そこじゃない」
カイは声を落とした。作業場の外から、修復作業の木槌の音が聞こえている。誰かが板を運ぶ足音。日常の音。その日常を守るために、知らなければならないことがある。
「親父が反旗を翻すほどの計画だ。グランヴェルトは何をしようとしていた」
ガルドは赤葉の煙草に火をつけた。マッチの硫黄の匂いが一瞬鼻を刺し、すぐに赤葉の辛い煙に取って代わる。長い煙を吐いた。暗い茶色の目が、カイの目を見据えた。昨夜の疲れた目とは違う。覚悟を決めた目だった。
「鋼城」
聞いたことのない言葉だった。重い響きが、作業場の空気に沈んだ。
「鋼城。グランヴェルトが設計した、移動要塞型の鉄殻プラットフォーム。灰域を丸ごと制圧し、統治機構体の支配領域に組み込むための兵器だ」
カイの手が止まった。軸受けが指の間から滑り落ちそうになり、咄嗟に掴んだ。金属の角が掌に食い込む。
「灰域を制圧?」
「統治機構体にとって、灰域は無主地だ。資源がある。旧世界の遺産がある。だが回収コストが見合わない。散らばった集落を一つ一つ制圧する軍事力も、維持する行政力もない。灰域は広すぎる。道もない。通信もまともに通らない。軍隊を送り込んでも、砂嵐と灰域狼と物資の枯渇に潰される」
ガルドは煙草の灰を床に落とした。灰が朝の光の中で散る。
「鋼城は、その問題を一挙に解決する。自律移動する巨大拠点。工場と武装と通信網を内蔵し、灰域を踏破しながら占領していく。抵抗する集落は踏み潰し、従う集落は吸収する」
ガルドの声は淡々としていた。だがその淡々さは、感情を殺している人間の声だった。自分が関わった技術が生み出そうとしているものを語る声。
カイの背筋が冷えた。椅子の上で、拳が膝の上で握りしめられていた。
ラストヘイムが踏み潰される映像が、脳裏をよぎった。廃材の外壁が砕け、マーサの焚き火が消え、ゲオルグの背中が瓦礫に埋もれる。タリアの通信小屋が潰される。リックが描いた「怖い鉄殻」の絵が、現実になる。あの絵は予感だったのか。
「テオは、その設計に関わっていたのか」
声が掠れた。自分の父が、この兵器に関わっていた。その事実が胃の底に沈む。
「傭兵として、鋼城の実地試験に参加していた。灰域の地形データを提供し、鉄殻の運用試験を担った。テオは技術の中身を知る立場にいた。どの集落にどれだけの人間がいるか、旧世界の遺構がどこに残っているか。テオが集めた情報が、鋼城の行軍計画に組み込まれていた」
ガルドは煙草を口から外し、先端の赤い火を見つめた。煙が天井に昇っていく。朝の日差しの中で、煙の筋が白く光った。
「そしてある時点で、テオは全てを理解した」
ガルドは煙草の灰を落とした。灰が床のコンクリートに散った。
「鋼城が完成すれば、灰域の全ての集落が消える。ラストヘイムも。ストーンクロスも。全部だ。あの大地に暮らす全ての人間が、統治機構体の管理下に置かれるか、排除される」
沈黙が落ちた。作業場の外で、灰域の風が砂を巻き上げている。外壁の修復をしている住民の声が、風に乗って微かに聞こえた。木槌の音。板を運ぶ足音。日常の音が、今は遠い。
「だから逃げた」
カイは呟いた。
「逃げたんじゃない」
ガルドの声に力が入った。普段の飄々とした声ではない。低く、硬く、壁を叩くような声だった。レンチを棚に置く。金属同士がぶつかる音が、作業場に響いた。その音が、ガルドの言葉の重みを裏付けた。
「テオは鋼城の設計データの一部を持ち出した。弱点を含む構造情報だ。装甲の継ぎ目、動力系統の配置、冷却機構の位置。それがあれば、いつか誰かが鋼城を止められる。テオはそう信じていた」
ガルドの声が低くなった。煙草の先端が赤く灯り、灰が長く伸びている。落とすのを忘れている。
ガルドは工具箱の蓋に手を置いた。古い金属箱。昨夜、蓋を撫でていた箱。テオの工具が入っている箱。金属の表面が朝の光を受けて、微かに温まっていた。
「そのデータがどこにあるかは、俺にも分からない。テオが持ち去った。そして消えた」
カイは立ち上がった。椅子が後ろに滑り、金属の脚が床を引っ掻く音がした。膝が震えている。怒りなのか、恐怖なのか、自分でも分からない。
「セルヴィスは知っているのか。鋼城のことを」
「各統治機構体がどこまで把握しているかは分からん。だがリーヴが冴覚持ちの存在を報告した。セルヴィスが動く。グランヴェルトも嗅ぎつけるかもしれん。テオの息子が灰域にいると知れば――」
ガルドは言葉を切った。その先は、カイにも分かった。父を追っていた連中が、今度は息子を追う。テオが持ち出したデータ。冴覚持ちの少年。どちらもグランヴェルトが欲しがるものだ。
カイは黙って立っていた。頭の中で情報が組み替わっていく。父が傭兵だったこと。グランヴェルトとの契約。鋼城の実地試験。そして裏切り。データの持ち出し。逃亡。消失。7年間の空白が、一つの物語の形を取り始めた。
だがまだ穴がある。ガルドが語らない部分。鋳脈のこと。クレアとの関係。テオの工具箱の中身。語られたことの裏に、語られないことが幾重にも積み重なっている。
「ガルド」
カイは振り返った。
「あんたは、何者だ」
ガルドは煙草を口から外した。灰が床に落ちた。暗い茶色の目が、カイの目を見た。長い沈黙。作業場の外から、修復作業の木槌の音が聞こえてくる。
「……いずれ話す。全部話す。だが今じゃない」
ガルドの声は掠れていた。「今じゃない」という言葉を、何度この男は繰り返してきたのか。だがその声の奥に、今までとは違う響きがあった。「話す」と言ったのは、初めてだ。
カイはそれ以上問わなかった。今はまだ、受け止められる器がない。
カイは作業場を出た。
朝の光が灰域の大地を白く照らしている。昨夜見えなかった地平線が、どこまでも続いていた。灰原草の穂が白く揺れ、砂の匂いと草の乾いた匂いが混じっている。風が顔を叩いた。冷たい。秋の灰域の朝の風だ。
鋼城。父が命を賭けて止めようとしたもの。父が持ち出したデータ。父が消えた理由。
霧が一枚、剥がれた。だがその奥に、もっと深い闇が見えた。
カイは東の空を見た。ストーンクロスがある方角。父の足跡が続く先。朝の光が雲の裂け目から差し、大地に白い筋を引いている。
「行くよ」
昨夜と同じ言葉を、朝の光の中で、もう一度呟いた。今度は、もう迷いがなかった。父が歩いた道を、自分の足で辿る。その先に何が待っていても。この足で、この目で、確かめに行く。
鋼城 -- 全長数km級の超巨大移動要塞。24名の鋳脈者で分散制御する。
ストーンクロス -- 灰域最大の独立集落。元クレスタの管区長バートン・セオが首長を務める。




