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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio SASAME
鉄錆の邂逅

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ラストヘイムの傷跡

砲声が止んだ後、残されたのは壊れた壁と、変わってしまった子供の目だった。

コルヴァスが去った後のラストヘイムは、傷だらけだった。

 カイは崩れた外壁の修復作業に汗を流していた。住民が総出で瓦礫を運び、板を打ちつけ、割れた窓を廃材の板で塞いでいる。鉄錆と粉塵の匂いが空気に濃く混じり、木槌の音が集落に響いていた。叩く音、運ぶ音、声を掛け合う音。いつもの静かなラストヘイムとは、音の密度が違う。


 外壁の一角は、戦闘の余波で大きく崩れていた。コンクリートの破片が散乱し、住居の一部が傾いている。屋根を支えていた梁が折れ、中の家財道具が瓦礫に埋もれていた。廃材の椅子。陶器の破片。誰かが大事にしていた毛布が、砂と粉塵にまみれて地面に広がっている。カイは梁の残骸を肩に担ぎ、廃材の山に運ぶ。木の繊維が肩に食い込み、背中に汗が伝う。秋の風が吹いても、作業の熱が体を離れない。

 砂を踏む足裏に、地面の凹凸が伝わる。戦闘の振動で地盤が緩んでいる箇所がある。鉄殻(てっかく)の足跡だ。残殻(ざんかく)の歩行が残した窪み。その隣に、もっと深い窪みがあった。汎殻(はんかく)銘殻(めいかく)のものだ。重量が違う。窪みの縁が鋭く崩れている。あの巨大な質量が、この地面を踏み締めた。ここで暮らす人間の足では作れない痕跡。


「カイ兄、またあいつら来るのか」


 リックが瓦礫の隙間から顔を出した。15歳の少年の顔には、以前の無邪気さが薄れている。丸い目の奥に、怯えの残滓があった。首からぶら下げた旧式の双眼鏡が、埃まみれになっている。レンズに細かい傷が入っていた。戦闘の振動で棚から落ちたのだろう。

「分からない」

 カイは正直に答えた。嘘をつく理由がなかった。

 リックは唇を噛んだ。何か言いたげだったが、結局黙って瓦礫の運搬に戻った。小柄な体が、大人の半分ほどの大きさの廃材を引きずっていく。膝が砂に汚れている。手袋をしていない指先が赤くなっていた。


 ロイドが広場の中心で復旧作業を指揮していた。黒髪を後ろに撫でつけた22歳の若者は、メモ帳を片手に淡々と指示を出している。目の下の隈が、いつもより濃い。

「井戸のポンプは無事だ。水の供給に問題はない。壊れたのは外壁の南側と東端の住居3棟。屋根の応急修理を優先しろ。今夜雨が降ったら終わりだ」

 ロイドの声には感情がなかった。数字だけがある。だがその数字の正確さが、住民の不安を抑えていた。ロイドは数えている。壊れた壁の枚数、使える廃材の量、修復に必要な人手と時間を。感情を数字に変換することが、この若者の戦い方だった。

 カイがロイドの横を通りかかると、ロイドは視線を上げずに言った。

「備蓄の棚卸しが済んだ。水は12日分。食料は8日分。戦闘の余波で窯が壊れたから、灰域(アッシュランド)パンが焼けない。当面は干し肉と乾燥豆で凌ぐ」

 右手のメモ帳に、びっしりと数字が並んでいる。配給量、残日数、人数。集落の命が、ロイドの手帳の中に数字として整理されていた。

 集落の体力は確実に削られている。カイはロイドの横顔を見た。への字に結ばれた口元。鋭い顎のライン。22歳の若者の顔が、今日は父・ゲオルグに似て見えた。



 * * *



 昼食は乾燥豆を煮たものと干し肉だった。味は薄い。窯が壊れたせいで、いつもの灰域(アッシュランド)パンがない。パンがないだけで、食事がこんなに心許なくなるとは思わなかった。住民たちは黙々と食べていた。食器がぶつかる音だけが響く。以前は昼食の時間には誰かが冗談を言い、笑い声があった。今はない。


 クレアは診療所で負傷者の経過観察を続けていた。

 幸い死者は出なかった。打撲と擦り傷。瓦礫の破片で額を切った子供が1人。ガラスの破片で足裏を切った老人が2人。灰域(アッシュランド)の医療で対応できる範囲だ。消毒液の匂いが、診療所から廊下まで漂っている。クレアの声が壁越しに聞こえた。「動くな、まだ固まっていない」。子供の泣き声が止んだ。

 だがクレアは知っている。「次」があれば、死者が出る。残殻(ざんかく)1機と旧式の小火器では、汎殻(はんかく)2機が来れば終わりだ。

 クレアの丸眼鏡が消毒液の匂いの中で光った。左手の曲がった薬指が、包帯を巻く動きを止めた。

「次は来る。来ないと思う方がどうかしてる」

 独り言のように呟いた。その声は、診療所の薄暗い壁に吸い込まれた。


 ゲオルグは広場の端に腰を下ろし、住民一人一人に声をかけていた。

「大丈夫だ」

 その一言を、何度も、何度も繰り返す。白髪を短く刈り上げた頭。太い腕。火傷痕の引き攣れた右頬。68歳の体は、30年前の戦火を潜り抜けた体だ。腰を下ろしたコンクリートの塊の上で、背中を丸めている。脊椎の痛みが出ているのだろう。だが顔には出さない。

 その声に、住民は少しずつ肩の力を抜いていく。声の低さ。響き方。言葉の意味ではなく、声そのものが人を落ち着かせる。30年間、この集落を支えてきた声だ。

 だがカイは気づいていた。ゲオルグの懐中時計を握る手が、いつもより強く握りしめられていることを。亡き妻の形見。金属の蓋に傷がある。何度も何度も握りしめてきた痕跡。「大丈夫だ」と言い続ける声と、懐中時計を握りしめる手。不安を隠す指先。



 * * *



 タリアが通信小屋から出てきた。いつもの大きすぎるジャケットを羽織り、腰のポータブル通信機が歩くたびに揺れている。カイの横を通り過ぎざまに、声をかけた。

「通信を傍受した。セルヴィスの暗号化通信に、ラストヘイムの名前が出た」

 カイは足を止めた。

「間違いないのか」

「周波数帯はコルヴァスのもの。座標指定付きの報告文だった。暗号は解読できてない。でも、ラストヘイムって単語だけは平文で出てた」

 タリアの明るい茶色の目に、普段の快活さがなかった。半田ごての跡が残る指先が、通信機のケーブルを無意識に握りしめている。

「カイ」

 タリアは声を落とした。鼻の頭のそばかすが、夕陽に照らされている。

「あんた、やっぱり出ていくつもりでしょ」

 カイは答えなかった。タリアは溜息をついて、通信小屋に戻っていった。背中越しに聞こえた声は小さかった。

「……分かってるよ」


 カイは修復作業を手伝いながら、この場所のことを考えていた。

 自分がここにいれば、セルヴィスはまた来る。冴覚(さいかく)持ちの存在を知られた。リーヴが報告すると言った。カイ・セヴァルという名前が、セルヴィスの書類のどこかに記される。ラストヘイムという集落の名前と共に。タリアが傍受した通信が、それを裏付けている。

 ここにいること自体が、この集落を危険に晒す。

 瓦礫を運ぶ手を止めて、集落を見渡した。修復中の外壁。屋根に板を打ちつける住民たち。広場の隅で乾燥豆を煮ている鍋から、湯気が立ち上っている。塩と豆の素朴な匂い。窯が壊れたから、灰域(アッシュランド)パンは焼けない。今日の夕食も干し肉と乾燥豆だ。この匂いの中で、200人が生きている。


 夕暮れ時、修復中の壁の前を通りかかった。

 空が灰色から紫に変わりかけている。風が冷たくなっていた。砂の匂いの中に、夜の気配が混じり始めている。

 リックが炭で壁に絵を描いていた。鉄殻(てっかく)の絵だ。子供らしい線。歪んだ四肢。デフォルメされた頭部。

 だがその鉄殻(てっかく)は「格好いい」のではなく、「怖い」顔をしていた。

 口のような部分が大きく開いている。目のような部分が赤く塗られている。鉄殻(てっかく)が何かを踏みつけている。踏みつけられているのは、小さな四角い形。家だろうか。炭の線が壁に黒く残り、夕陽がそれを薄い橙に照らしていた。

 リックはカイの視線に気づき、慌てて炭を隠した。背中に回した手に、炭の粉が残っている。

「別に、何でもない」

 カイは何も言わなかった。

 胸が痛んだ。あの無邪気に双眼鏡を覗いて「鉄殻(てっかく)の残骸が見える」と興奮していたリックが、鉄殻(てっかく)を「怖い」と描く。戦闘は数日前のことだ。数日で、子供の目が変わった。

 カイは壁の絵を見つめた。炭の線が引かれた壁の表面は、まだ新しいコンクリートの修繕跡だった。修復した壁に、恐怖が描かれている。直しても、直しても、壊されるものがある。壁は直せる。だが子供の目に宿った恐怖は、どうすれば直せるのか。

 自分がここにいる限り、この集落は標的になる。自分がいなくなれば、リックの目から恐怖が消える日が来るかもしれない。

 風が冷たくなった。夜が近い。修復作業の音が遠ざかっていく。

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