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鉄殻のケストレル ―灰に沈む世界、鉄に宿る季節―  作者: Studio Yodaca
残鳴の先へ

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瓦礫の上に

朝から瓦礫を運んだ。

 ケストレルには乗らなかった。生身で素手で崩れた壁の破片を拾い上げ、通りの端に積んだ。コンクリートの塊は重く、腕が痺れて背中に汗が滲む。指の皮が擦り切れて鉄錆の色に染まっていく。灰域の人間の手はみなこんな色をしている。

 だが鉄殻の操縦桿を握る時とは違う疲労だった。体が直接ものに触れている。瓦礫の角が掌に食い込み、廃材の木片が指に刺さる。重さが腕を通して背骨へと伝わっていく。鉄殻の操縦席では感じられない情報の全てが生身の体を通って入ってくる。かつてガルドは言った。足の裏で世界を知る。手の平でも同じことが言えた。

 ロイドが隣にいた。

 22歳の実務責任者はメモ帳を腰に差したまま瓦礫を運んでいる。一つ運ぶたびにどの建物の壁か、どの部材が再利用できるかを計算していた。瓦礫の一つを持ち上げて断面を確認し、「これは梁に使える」と呟いて別の場所に分ける。

「西側の壁は基礎からやり直す必要がある」

 ロイドが言う。声はいつも通り事務的だ。

「旧世界のコンクリートが砕けてる。廃材の木材だけじゃ持たない。アイアンウェルから鉄材を融通してもらう交渉を、コンラッドにかけてある」

「コンラッドが応じるか」

「応じる。鋼城を止めた後、集落間の物資融通は以前より動くようになった。バートンの交渉が効いてる」

 ロイドは淡々と説明した。集落の復旧に必要な資材、人員、日程。全てが彼の頭の中で整理されている。

 壁の修復に取りかかる。崩れた箇所に新しい廃材を当てて釘で打ちつけるのは、ゲオルグに教わった手順だった。幼い頃にゲオルグの隣で屋根を直した時のことを思い出す。釘を曲げて泣きそうな顔をした子供に、ゲオルグが「まあ、座れ」と言って新しい釘を渡した日。あの日と同じ作業をカイは今やっている。

 カイは釘を真っ直ぐに打った。木槌の重さや振り下ろす角度、釘の頭を捉える瞬間の感触を手が覚えている。鉄殻の操縦とは違うもっと原始的な技術だ。

 ふとガルドのことを思った。

 この壁にもガルドが修理した箇所があった。旧世界のコンクリートが崩れかけた部分にガルドが鉄板を当てて補強した跡だ。溶接の線が壁の表面に細く走っている。それはガルドの手癖だった。溶接は常に左から右へ。左利きの男の一定速度の手の動きが壁に残っている。

 カイは壁に触れる。溶接跡の表面がざらついた。



 * * *


 リオンは集落の北側にいた。

 住民たちと距離を測りながら瓦礫の片付けを手伝っている。ラストヘイムの住民にとってリオンは見知らぬ女だった。借りた作業着を着ていても背筋の伸び方や歩き方が違う。周囲を無意識に走査する目の動きは灰域の人間のそれではなかった。瓦礫を持ち上げる動作一つにも訓練された身体の制御が見える。

 住民たちはリオンを遠巻きに見ている。敵意はないが警戒はある。見知らぬ人間が集落に入ること自体は珍しくないものの、リオンの立ち居振る舞いが管区の人間であることは誰の目にも明らかだった。セルヴィスの名前は灰域では良い響きを持たない。管区の兵士が灰域の人間を徴用し、使い捨てにしてきた歴史があるからだ。

 リオンは黙って作業を続ける。瓦礫を拾い、運び、積んでいく。声をかけられれば短く答えるだけでそれ以上の会話はしなかった。言葉ではなく手を動かすことでここにいる理由を示そうとしていた。

 クレアが通りの向こうからやってきた。

 丸眼鏡の奥の灰色の目がリオンを一瞥する。薄汚れたベージュのコートのポケットに両手を突っ込み、リオンの横を通りすぎようとして足を止めた。

「あなたもセルヴィスから逃げてきたのね」

 クレアの声は平坦だ。問いかけではなく確認だった。

 リオンが振り向くとクレアの首筋に視線が止まった。小さな刺青がある。消そうとして火傷させた痕が刺青の上に重なっていた。セルヴィスの軍医識別番号だ。

 クレアは左手をコートのポケットから出す。薬指と小指が不自然に曲がっていた。脱走時に折れた骨の後遺症だ。

「先輩よ」

 クレアが苦笑する。唇の端が僅かに上がっただけの皮肉とも自嘲ともつかない表情だった。

 リオンの目が一瞬だけ揺れる。

「......13年前ですか」

「よく分かるわね」

「刺青の識別番号の書式が旧式です。現行の書式に変わったのが13年前」

「さすが現役」

 クレアはそう言ってまた歩き出す。三歩ほど進んで振り返らずに言った。

「ここでは誰も過去を聞かない。聞かれたくなければ、黙っていればいい。聞いてほしければ、話せばいい。それだけよ」

 クレアの背中が通りの角を曲がって消える。薄汚れたベージュのコートの裾が風に一瞬だけ浮いた。

 リオンはしばらくその方向を見つめていた。

 やがて瓦礫を拾い上げて作業に戻る。近くで作業している年配の女がリオンの方を見た。「あんた、力あるねえ。こっちの石も運んでくれるかい」。リオンは「はい」と答えて石を持ち上げた。



 * * *


 日が傾く。

 カイは一日中生身で瓦礫を運んだ。掌に豆ができ、指先が擦り切れて血が滲んでいる。洗っても取れない鉄錆の色が爪の下に溜まっているのは、残殻の軸受けを素手で削っていた頃と同じだった。

 夕食は集落の広場で摂った。大鍋に乾燥豆と干し肉と根菜を入れたスープに、灰域パンの硬い切れ端。いつもの味だった。住民たちが鍋を囲み、木椀を手にして黙って食べている。リオンもその輪の端にいた。住民が差し出した椀を受け取って小さく頭を下げる。

 食後、カイは一人で格納区画へ向かった。

 格納区画はラストヘイムの外縁にあった。旧工場の建物を利用した空間は天井が高く、鉄殻一機が立てる広さがある。ガルドがテオの残殻をここで整備していた。壁には工具をかけるフックが打ち込まれ、作業台には油の染みが残っている。ガルドの手が触れた痕跡がこの空間の至るところにあった。

 ケストレルが立っている。傷だらけの機体が夕暮れの薄い光を浴びていた。格納区画の高い窓から差し込む光が鉄紺色の装甲を鈍く照らしている。コックピットの下には荷物が置かれていた。ガルドの工具箱だ。鋼城に入る前にケストレルの脚元へ置いていったものだった。「重いからな。中に入る時は身軽な方がいい」。あの言葉を最後に、ガルドはツールベルトだけを腰に巻いて暗い通路に消えていった。ストーンクロスからここまでカイが自分で運んできたのだ。

 工具箱の隣にはもう一つの箱があった。テオの工具箱だ。

 ガルドがずっと持っていた。テオが消えた後にガルドが引き取り、自分の工具箱と一緒に保管していたのだ。二つの工具箱が並んでいる。テオの箱は小さく表面が擦り減っていた。角が丸くなって取っ手の革も色褪せている。ガルドの箱はそれより大きく、蓋の留め金が何度も交換された跡がある。二つの箱が並んでいる姿は二人の男が並んで作業していた頃の名残のようだった。

 カイはガルドの工具箱の前にしゃがみ込む。

 蓋に手を置く。冷たい金属の感触。ガルドの手が毎日触れていた表面だ。留め金の溝には油の跡が残っている。ガルドは作業の合間に必ず工具箱の留め金に油を差した。「留め金が錆びたら、いざという時に開かん」。その言葉がカイの頭の中で響いた。

 開けなかった。

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