内部改革の道
オズワルド・グラントの執務室は、フォートレスの中央棟の最上階にあった。
コルヴァス駐屯地からフォートレスまでは車で40分。リーヴは軍用車両の後部座席に座り、窓の外を見ている。グレイウォーターからフォートレスへ向かう道の両側に、セルヴィスの管区が広がっている。舗装された道路。整然と並ぶ建物。制服を着た管区民が規律正しく歩いている。灰域とは別の世界だった。
フォートレスの三重防壁を通過し、中央棟のエレベーターで最上階に上がった。リーヴの軍服は正規のものだった。コルヴァス隊長の階級章が襟元にある。廊下の警備兵がリーヴを見て、目を見開く。コルヴァスの隊長がフォートレスに来ること自体が異例だった。
エレベーターの中で、リーヴは自分の姿を金属製の壁面に映して見る。軍服は皺なく着ている。コルヴァスの階級章は正しい位置にある。だが顔が変わっている。鋳脈を受けた頃は丸かった顎が削れ、頬の肉が落ちている。目の下に常駐する隈。23歳の顔ではなかった。30代の、消耗した兵士の顔だった。
最上階に着く。廊下は長く、窓から差し込む冬の光が床に白い帯を作っている。壁に掛けられた歴代司令官の肖像画の前を歩く。マーカス・グラント。初代司令官。油絵の中の男は軍帽を被り、右手に拳銃を持ち、左手で管区の旗を握っている。その息子が今、この廊下の先にいる。
執務室の扉の前に、副官が立っている。
「リーヴ・シェイド隊長。アポイントメントはお取りですか」
「取っていない」
副官の表情が硬くなった。アポイントメントなしでセルヴィスの最高司令官に面会を求める人間は、この管区にはいない。
「鋼城戦の戦後報告を兼ねた、コルヴァス隊の運用に関する進言がある。オズワルド長官に直接伝えたい」
副官は数秒間リーヴを見つめ、執務室の扉をノックする。中から声が返った。副官が扉を開ける。
執務室は広かった。
だが調度品は少なかった。机。椅子。壁に掛けられた管区の地図。窓からフォートレスの全景が見える。三重防壁の内側に広がる軍事施設の集合体が、冬の光の中で灰色に静まっている。
オズワルド・グラントは机の向こうに座っている。
60代の男だった。白髪を短く刈り込み、軍服の襟を正しく閉じている。顔に表情がなかった。厳しいのではなく、表情という機能を使う必要がないかのような顔だった。
オズワルドの目がリーヴを見る。
色のない目だった。リーヴを見ているのに、リーヴを見ていない。机の上の書類を確認する時と同じ目だった。
「座れ」
短い言葉だった。リーヴは机の前の椅子に座った。左手を膝の上に置く。震えを隠す必要はなかった。オズワルドはリーヴの神経劣化の進行を、定期検査の報告書で把握しているはずだ。
「鋼城戦の報告は書面で受けている。口頭で補足する内容があるなら聞く」
「報告の補足ではありません。提案があります」
オズワルドの目が僅かに細くなった。それが表情の変化の全てだった。
「聞こう」
「3点あります」
リーヴは背筋を伸ばす。左手の震えが膝の上で小さく続いている。
「1点目。新規の鋳脈処置の凍結。現在、孤児保護施設からの適合者選抜と鋳脈処置は継続中ですが、これを即時停止することを提案します」
オズワルドは何も言わなかった。リーヴの言葉を聞き、黙って次を待った。
「2点目。既存の鋳脈者への医療支援の拡充。現在、コルヴァス隊員の神経劣化に対する治療は対症療法に限られています。クレスタ経由で入手可能な神経再生薬剤の調達と、鋳脈者専門の医療チームの編成を求めます」
オズワルドは依然として無言だった。
「3点目。鋳脈者の処遇改善。コルヴァス隊員の任期制限の導入。神経劣化が一定段階に達した隊員の退役と、退役後の生活保障の制度化を提案します」
言い終える。
執務室が静かだった。窓の外でフォートレスの警備巡回車両が通過する音が、微かに聞こえた。
オズワルドが口を開く。
「お前の提案は、セルヴィスの戦力を削ぐことになる」
声は平坦だった。怒りも失望もなかった。事実の確認だった。
「新規の鋳脈処置を停止すれば、コルヴァスの補充要員が途絶える。医療支援の拡充は予算を要する。任期制限は熟練操手の早期離脱を招く。全てが戦力の低下に繋がる」
「その通りです」
リーヴは否定しなかった。
「だが、消耗品として使い潰すよりも、人間として扱った方が長期的には戦力になる」
オズワルドの目がリーヴを見る。色のない目に、何かが一瞬だけ浮かんだ。リーヴにはそれが何なのか読み取れなかった。
「お前は消耗品だったのか」
「はい」
リーヴは即答する。
「自分がそうだったと認識しています。13歳で施設から連れ出され、鋳脈を受け、コルヴァスに配属された。左手の感覚は半分以下になっている。味覚はほぼ失われた。遊肢なしでは戦闘能力は大幅に低下する。使い終わった消耗品の末路は、退役軍人施設の車椅子です。トバイアス・リンツと同じです」
初代コルヴァス隊長の名前を出す。オズワルドの表情は変わらなかった。だがリーヴは見る。オズワルドの右手の人差し指が、机の上で一度だけ動いたのを。
「お前は今、何を目的としてここにいる」
「次の子供たちを、自分と同じにしないためです」
リーヴの声は震えなかった。左手は震えていたが、声は通った。
「コルヴァスには現在12名の隊員がいます。全員が鋳脈を受けている。うち4名に神経劣化の初期症状が出ている。平均年齢は21歳。最年少は18歳のナディル・コール。ナディルの右手には幻肢残響が出ている。あと5年で左手も使えなくなるとソフィアは見ている」
リーヴは数字を並べた。
「自分はもう遅い。ナディル・コールも、神経の劣化は始まっている。だが次の13歳にリレー素子を埋め込むかどうかは、まだ決まっていない。止められるなら、止めるべきです」
オズワルドは長い間黙っている。
窓の外の空が、薄い雲の向こうに白く光っている。フォートレスの屋上に設置された通信アンテナが、冬の風に微かに揺れている。
「検討する」
オズワルドが言った。
2語だった。それだけだった。顔の表情は変わらなかった。声のトーンも変わらなかった。
却下するなら「不要だ」と言う男だ。「検討する」は、拒否しなかった。
「下がれ」
リーヴは立ち上がった。敬礼をする。右手で。感覚のある方の手で。
扉を開けて、廊下に出る。
ナディルが廊下で待っている。
壁に背を預けて立っている。右手の指はまだ震えていた。だが目はリーヴを真っ直ぐ見ていた。
「どうだった」
「まだ分からない。だが、聞いてはもらえた」
ナディルが息を吐く。安堵でもなく、落胆でもなく、ただ息を吐く。
リーヴはナディルの隣に並んだ。二人でフォートレスの廊下を歩き始める。長い廊下だった。壁に歴代司令官の肖像が並んでいる。マーカス・グラントの肖像の前を通り過ぎる。オズワルドの父。この管区を作った男の顔が、二人を見下ろしている。




